黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 思い出を有難う硫黄島への旅 (2013/05/02~06)

2013年06月12日 | 日記


        


          


          



 5月5日の硫黄島最後の夜は再度、東温泉の駐車場に戻りアンテナを設営して運用した。明日は鹿児島に向けての上り便のフェリーが入港する為、観光客にとっては最後の入浴タイム、日中は日差しが強いので夕刻の日が沈み掛ける時間帯に成ると顔見知りの観光客が続々と集結し始めた。一番手はベルギーの二組のカップル、続いて若いカップルが登場した「叔父さん此処で何をしているの?」と奥さんが初めて話し掛けて来て少しアマチュア無線の事を説明した後、「先程ベルギーの人達が降りて行ったよ」と言ったら「平気、平気、水着で入るから」と笑いながら降りて行った。

 

 続いての登場は大学生風の二人組み、島では移動中に一番多く会ったが年齢差か?話す機会は無かったが何処で会っても「今日は」と笑顔で挨拶をしてくれた。続いては東京からの社会人、彼は沖縄周辺の離島を総て回っているマニアックな人で正月と5月の連休は南の島を回っているらしく英語も堪能でベルギー人とも色々話しをていた。驚いた事に島で私が移動中に見た彼は何時も走っていた。

 

 その次に現れたK君は20代の関西の人だったがアルバイトをしながら日本を歩いて回る夢を持った青年で既に4年以上、九州や沖縄方面を歩いたらしく沖縄や離島の話で盛上った。普通、旅行中に見知らぬ人と腑とした事から話をする機会が有るが御互いが知らない同士の気楽さから初対面でも打ち解けた話が出来る事が有るがその様な場合でも御互いの名前を紹介する事は少ない。御互いに二度と会う可能性の無い事を理解しているからこそ 其の短い時間を大事にしたいと思うのでは無いだろうか?

 

 この事はアマチュア無線での見知らぬ人との交信時と合い通じるものがある。彼とは縁が有ったのか?其の後、鹿児島の指宿の温泉でも再会し其の奇遇さに今回の旅行の中で唯一、名前と携帯電話番号の交換をする仲に成った。其の後、続々と民宿での宿泊の方が送迎車で訪れて賑わった様だが私の方は無線運用に夢中に成っていた。


 翌朝、6時頃まで運用した後、温泉に入り、此れで、早朝、昼、深夜と東温泉の露天風呂に入ったが其々に趣があった。其の後、港に向かい御世話に成った駐在さんに離島する挨拶に伺った後に港に行くと港湾の管理者の方が「徳島の日下さんですか?」と聞いて来たので驚いたが、初日に駐在さんと御会いした時に適当な運用場所が見付からない場合を考えて「港の岸壁での運用は可能ですか?」とお聞きした時に「港湾の管理者に聞いたら多分、OKが出ると思うよ」と言って下さったのだが港湾管理者と聞いた時に「かたぐるしい御役人」を想像した私は確認に行かなかったのだが、駐在さんが後で話をして頂いた様で有った。御本人は若い気さくな人で其の後、暫く世間話をした中でアマチュア無線の話もしたので今後、硫黄島での移動運用を計画している人は岸壁での運用も申し出れば可能だと思う。此処には公衆トイレも有るので私が硫黄島で一番困ったトイレの問題もクリヤー出来るはずだ。


 出港1時間くらい前に成ると観光客が港に集まり始め、顔馴染みの帯広からのお兄ちゃん、東京からの青年、関西からのK君と私の四人で階段に腰掛て会談を開始、楽しい時間を過ごした。K君は沖縄の蛇味線を持っており弾いていたが帯広のお兄ちゃんも沖縄の曲を意図も簡単に弾いたのでこの二人の沖縄通は本物であった。

 

 やがて上りの「フェリーみしま」の姿が見えると駐在さん、港湾管理者、民宿の方々や村民の方々が港に集まり岸壁ではジャンベ・スクールの生徒さんによる「ジャンベ」(ボンゴの様な手で叩く太鼓状の物)の演奏が始まった。そして車の積込みが始まり其々に別れて乗船し私がデッキに出たら見送りのジャンベの演奏が始まり若い女性が演奏に合わせ踊ってくれた。

 

 硫黄島は手軽に行ける観光地では無いし誰もが興味を示す様な観光スポットが有る訳で無く、島内では放牧がされていただけで水田も見当たらなかったし地場産業も有る様には見えなかったし、其れ故に島全体で観光に取組んでいる様子が強く感じられた。民宿の叔父さん等は「伊豆の踊り子」のラスト・シーンを彷彿させる感じで岸壁をジャンプしながら手を振り走り回っていた。民宿に泊まらなかった関係ない私でも思わず手を振ってサヨナラをした。港の突堤を過ぎるとフェリー三島は「ボォ~~・ボォ~」と汽笛を2回打ち島を出港した。


 この日は天気も良く海も凪いで居たので例のメンバーが甲板に集まり再び旅の話が始まったが其れは断片的に鹿児島港に入港するまで続いた。写真中段は離れ行く硫黄島と3枚目は薩摩半島の先端部に有る開聞岳、4枚目が鹿児島のシンボルの桜島、下段は沖縄航路のフェリーで2年前の沖縄~鹿児島間の離島の移動運用で乗船した其々の船、如何した訳か鹿児島港に揃い踏みで停泊していた。鹿児島港に入港したのは16時30分、長い様で短い三島村(硫黄島)への旅は終わった。





 


 


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