黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 3.5MHz帯の効率の良いアンテナは?

2016年11月23日 | アマチュア無線

 今朝も日の出前後の3.5MHz帯のコンディションは先ず先ずで昨日と同じ様に8Q7SP(Maldives)が其れとは別に5H1WW(Tanzania)が強く聞こえて居たが本日も彼の地に当局の電波は届かずあえなく撃沈した。今から40年位前に近くのOMさんがDXを遣る為に態々団地の一番隅っこに家を構え近くの小高い山の上から自宅まで可成り長いロングワイヤーを張って「此れで3.5MHz帯でアフリカと交信するんだ!」と言って居た時に3.5MHz帯でアフリカからの信号を聞いた事も無かった私は呆気に取られたが時代と共にトランシーバーの性能も格段にアップした事も有って現在は当局の極普通の給電点が15mH程度の逆Vアンテナでもアフリカからの信号が受信出来る様に成って無線機器の性能アップを凄く実感する。

 
 私が住んで居る町は徳島の片田舎だがアマチュア無線関係は可成り進歩的で今から40年位前の私が二十歳代には其の当時7MHz帯のフルサイズのCQアンテナを使って居る局は全国でも殆ど居なかったが(現在と違い製造メーカーが無かった)スプレダー部材を専門メーカーへ特注したりクロスマウントを金型から起こし発注製作する「キュピカル・クワッド製作の虫」も居れば沖縄の嘉手納基地で使用して居た軍用の24エレのログペリオディック・アンテナ(ブーム長24mでアンテナ重量は300Kgを越えていた)を何処からか手に入れ自作のタワーに組上げた猛者も身近に居て「此のアンテナで3.5MHz帯でDXをバリバリ遣るんだ。」と豪語する人であった。一人は私の高校の先輩でもう一人は私より一回り上の私のDXの師匠である。師匠とはタワーの組上げやアンテナをタワーに取付ける段階で微力ではあったが共に汗を流しアマチュア無線に対する見聞を広める事は少し出来たが其の後30年間、私成りに努力してマルチバンドに於ける(特にハイバンドでの)実績は何とか追い着く事が出来たが3.5~7MHz帯に於ける実績はとても足元にも及ばない。


 諸先輩からの刺激も有り遅ればせながらも7MHz帯は短縮の3エレ八木までは何とか追従し300Eは超えたが3.5MHz帯は未だにワイヤーアンテナで100Eまで7E届かぬ情け無い状態で此れだけは何が何でも達成せねば成らぬ目標として居る。其の事からも現状のアンテナ・システムでは限界を感じ最近はインターネットで我家の狭い敷地に当て嵌まる効率の良いアンテナを物色中だが今の所は見付かって居ない。年齢的にも体力的にも此処数年間で達成せねば目標達成は無理な事が解って居るだけに焦っては居るのだが、目標達成の為の何か良いアンテナは無いものだろうか?


 






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我が町(阿南市)紹介シリーズ第9回 「平等寺」

2016年11月22日 | その他

            



 今回は我家の南西の方向に有る。四国八十八箇所霊場の第22番札所の「平等寺」の紹介に成ります。


 弘法大師が此の地で御修行のみぎり五色の霊雲がたなびき、其の中に黄金の梵字が現れ大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いたので大師が早速に加持水を求めて杖で井戸を掘られたところ乳の如き白い水が湧き出し其の霊水で身を清められた大師は100日間の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が皆、平等に救済される様にとの願いを込めて山号を「白水山」、寺号を「平等寺」と定められたのです。今の季節は四国八十八箇所参りの方は少ないのですが、それでも私がお参りしている間中、境内に人が途切れる事無く訪れて居ました。


 今日は昼前から青空が広がり天気が良かったので絶好の写真日和で県南部のブログの題材に成りそうな場所を数箇所廻って来ました。平等寺では確り拝んで来たので下のバーナーをクリックすれば御利益がきっと有る事でしょうHi 
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  今日は全体的にコンディション良し!

2016年11月22日 | アマチュア無線


 今朝はLowBandのノイズレベルが低く3.5~7MHz帯は非常に聞きやすくて3.5MHz帯ではJY9YL(Jorden)と8Q7SP(Maldives)の信号が一時は599プラスで入感して一時は本物か如何か?疑う程で其の強い信号に驚いた。此れなら当局の逆Vアンテナでもチャンスが有るかな?の僅かな期待で呼掛けたが世の中そんなに甘くは無く見事に撃沈した。矢張り3.5MHzのアンテナも考え直さねばとは思うのだが肝心のハイバンドのビームアンテナが回らないのを「不便だなぁ~」と思いつつも修理にタワーに上がる気力がいざと成ると萎えて「まあ慌てる事は無いわさ」の気力の無さでは何時に成る事やら?とにかく高い所に上がる事が億劫に成ってしまった。現在の年金暮らしではお金は無いがクランクアップタワーが欲しい。


 其の後7~18MHz帯へ順次QSYしながら聞こえるBand Newの局は呼掛けてQSOしていったら昨日の丸坊主を少し取り返す事が出来た。



        
            今朝の交信実績


  YB4IR/8(7,CW)  KC1XX(7,CW)  PJ4/K4BAI(14,CW)


  6Y9X(18,CW)    V63FA(18,CW) XZ1A(14,CW)


  XZ1A(18,SSB)


 矢張り北向きの北米、中米、カリブ海方面はアンテナが其の方面に向いて居るので何とか交信出来るがXZ1Aは全て北東向のビームアンテナで呼び掛けているので疲れる事、此の上無い状態に「本間にストレス溜まるわ!」とボヤキまくって居る毎日である。

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 携帯も愈々 スマホ にせねばと感じた事 

2016年11月21日 | その他


    

 



 昨日は日曜日なのにDX局との交信は全く出来ずに丸坊主の状態、頼みの綱のXZ1Aの信号も14MHz,7MHz帯で聞こえたが当局のアンテナは全てそっぽを向いて居るので呼掛けても御呼びで無い状態、アンテナさえまともに相手に向いてさえ居れば問題無く交信出来る場所なのにイライラ感が募る。宵の口の7MHz帯のSSBの信号は何とか当局の逆Vアンテナでも受信出来たがバンド内が全体的にノイズぽい状態で御本尊の信号は深いQSBを伴いアップアップ状態、信号が上がった状態で呼掛けてもQSBの周期が早く上手く受信出来ない為に40分程待機したが最終的に諦めてQRTした。


 今朝は珍しく家内が起こしに来るまで気付かず起きても頭が重く体がだるい感じ、昨日は家内のリクエストで御機嫌取りを兼ねて回転寿司に行ったのだが日曜日の夕方とあって凄い御客さんの数で待合室は座る席も無い状態、此れは40分は待たないと駄目と覚悟をして入り口の予約機械に入力した。しかし時間帯が時間なので後から入店した組が店舗の端末機にスマホを見ながら何か入力するとどんどんと先に案内されて最終的には1時間20分程待たされた。如何もスマホでの予約制がある様で事前に予約した家族が順次来店したみたいで私や家内のガラ系の携帯電話は既に時代から取り残されて居る感じ・・・・

 

 私は携帯電話は嫌いで自分から電話を掛ける事も無いし非通知の電話は絶対に取らないので(親類関係の憶えて居る電話は取るのだが)無線仲間からも何時掛けても電話が繫がらないとよく言われたり家内からも「お父さんの携帯は当てに成らない」と良く言われるHi 此れには理由が有って現役時代にサービス関係の仕事をしており当時のサービス業界のうたい文句であった「365日24時間体制」の為に会社の費用持ちで携帯電話を持たされて居た。緊急の電話は滅多には掛かって来ないのだが時間外に一度掛って来ると此れは大変な事が多かっただけに其れがトラウマに成り自然に携帯電話が大嫌いに成ってしまった。


 では何で携帯電話を持って居るのか?と言う事に成るが此れは私が以前に日本一周の旅に出る時に家内が私に出した唯一の条件だった「一日に一回は何処に居ても必ず生存証明の電話を掛ける事」であった。其の頃は携帯電話の普及で公衆電話ボックスの数がどんどん少なく成って私が移動運用をする様な辺鄙な場所からは他に家内に対する連絡手段が無かった事からで仕方なく持って居ただけで現在でも自分から電話を掛ける事は月に1~2回程度しかなく携帯電話を持つ必要性は殆ど無い。

 

 従って現在の私の携帯電話は私が退職する少し前に機種変更した古い携帯電話で2年くらい前に2回目の電池交換にドコモショップへ出向いたら担当者が驚く様な代物であった。しかし昨日の出来事の様に食事ひとつに出掛けるにしてもスマホで事前予約が可能に成り其の便利さを上手に利用出来る者と逆に利用出来ない者とでは可なりの不利益を被る現実を目の前にすると此れは近い内に携帯電話もスマホにしないと他人に遅れを取る事に成り、余分な労力を費やす事に成る現実を身を持って体験した。此れは昨日のブログのDXクラスターの利用有無の話と全く同じ事で利用しなくても問題は無いが?利用しなければ其れ成りの労力を使う事に成り(知らない内に損をする事になる現実)此れは近日中に携帯ショップに行かねば!と強く実感した。


        今日のDXとの交信


   XZ1A(14,CW)




 

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 車中泊が出来る後部座席の改装を計画

2016年11月20日 | その他



        

 



 先日に高知県の別府峡に紅葉を見に行った時に偶々、駐車場の横に停車した車が私の車と同じホンダのアクティーバンであった。運転者は私と保々同年代の男性で双方ともに紅葉を見る為に出掛けたので話をする事も無かったが私が一周りして帰って来てひょっと隣の後部座席を見たら前列シート以外は倒してフラット・シートにして其の上にフカフカの綺麗な絨毯を敷き詰めて助手席側の直ぐ後ろ側から最後部までの棚を作りその下の部分には冷蔵庫と電子レンジが並び其の中間部に内容量が20L程のポリタンクを配して明らかに長期車中泊の旅行が出来る様に改装した車であった。興味が有ったのでナンバープレートを見たら長崎県のプレートで後部側の窓は濃いスモークは張付けてなかったので車内は全て見渡せたので外から見せて貰って居たら調度其の方も見学から帰って来られたので「こんにちわ 遠い処から来られて居るのですね」と私から話掛けたら気さくな方で即其の場所で立ち話が始まった。


 話の中で其の方は退職後の元気な内に日本各地を廻りたいと7~10日単位の分散した形で各地を訪れて居るらしく今回は四国に入って4日振りとの事で有った。其処で「一人旅ですか?」と聞いたら奥さんは車中泊の旅は嫌いで同行はしてくれないらしく「何処も同じだなぁ」と変に納得した。私も同じ様な事をして来たので話が弾み駐車場の縁石に腰掛けて1時間位話が弾んだ。其の方は此れから高知市内に向かうとの事で「良い旅を」と手を振って別れたが四国内で全国を廻っている方とユックリ話をしたのは此れが初めての事であった。


 別府峡から帰って来て直ぐに我がピョンピョン二世号を車検に出したら2年間は殆ど走行して居なかったので何も問題は無く1日で仕上がって帰って来た。前回の車検時に長期車中泊対応の為に自己流で改装して居た物を全て取っ払って居たので現在の後ろのフラット・シートは何も無くガランとした状態、先日の別府峡で会った人と車を見て刺激を受けたのか?最近は後部座席部分の改装の事ばかり考える様に成った。今は高齢者の交通事故の加害者が増え高齢者の運転免許証の返納問題が取り沙汰される昨今、私も其の年齢に段々と近付きつつある事から私の日本列島の外周を廻る旅も3箇所ほど残って居るので早く実現せねば成らず其の為の簡単な改装を始めようと思って居るし日本列島外周の旅を70歳までに完成したいと思って居る。

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  DXクラスター彼是

2016年11月19日 | アマチュア無線


    

 



 海外の局との交信を主とした運用に成ると通信が可能な沢山の周波数帯を使用する事と成り、其々の周波数帯により日本とのパスが開けるエリアや時間帯は其々に異なる。自局が運用出来る(アンテナが有る)周波数帯が多ければ多い程、効率的な運用をする為には其のすべての周波数帯に、目配せが出来ねば成らず其れを自分の耳だけを頼りに運用すると成ると自ずから限界がある。


 其処で私の場合はインターネットのDXクラスターを利用する訳だが此れも各種あり其々に特徴がある。先ず此れと言う目的無しの状態で各周波数帯を自力でDX局を探して居る時には自分の聞いて居る周波数帯以外で取り溢しが無い様にMultiple DX SCAPE と言うクラスターを表示させ常に他の周波数帯でQRVする局の動向掌握する様にして居る。

 

 此のクラスターは大半が日本人に寄って情報がアップされて居る事から日本の誰かが受信出来る(日本からパスの有るDXエリア)情報で有り急遽QSYすれば交信出来る可能性は高い。反して海外サイトのDXクラスター情報は(例えばDX Summit等)は全世界からDX情報がアップされる為に情報量としては非常に多いが其の同時間帯で日本で必ず聞こえる確証は無い為に知るべき情報では有るが慌ててQSYしたが御本尊は聞こえず本来狙って居たDX局を取り逃がすリスクが常に伴う。前者は情報が時系列で並んで居るが其れとは別にLOWバンド(1.9~7MHz帯)WARCバンド(10,18,24MHz帯)とHIバンド(14,21,28MHz帯)のブロック別に表示されて居て目的別に見分けられ対応が早く取れるのが特徴だが現在の様にコンディションが悪い時期には全体的に書き込み情報量が少ないので良く見て判断しないと可成り以前の情報が残って居て(2~3時間前の運用情報等)慌ててQSYして聞いたら既に相手はQRTして何も聞こえ無いという失敗は私の場合は良くある。


 良く似た物にDX SCAPE JA-ALLと言うDXクラスターが有るが此れは完全なマルチバンドでQRVされ、然も日本で地域差が有っても必ず何処かで聞こえて居るDX局の情報が時系列順にアップされた物で目標相手が定まってジックリ取組む場合の他の周波数帯のDX局の動向チェックには(刻々とリアルタイムの情報が書きこまれて居るので)便利で有る。然し此の二つのクラスターは私の好みの問題だが画面構成が単調で私の様な色付きが好きな小父さんには一寸物足らない感じがする。


 私は其の事から通常はDX Summitと言うDXクラスターを愛用して居るのだがデザイン的にも画面的にも見易いので重宝して居る。此のクラスターは画面を切換る事に寄って全ての周波数帯の時系列の運用情報を一つの画面で表示も出来るし周波数別に表示も出来るので便利だが実際の追撃体制に入ると途中で画面を切替える時間が煩わしく感じるので最初はMultiple DX SCAPEを使用して運用情報を知ったら次にDX Summitで目的の周波数帯の画面に切替えて状況を把握する様にして居る。勿論二台のパソコンで二つのクラスターを別々に監視する場合も結構有る。


 昔からDXを楽しむ人は昔はDXクラスターが無かったので夜討朝駆けが日常で受信に継ぐ受信でDXingをして来たので「DXクラスターを使うのは邪道だ!」と言われる人も居られるが私も其の時代にDXを始めたのでお気持ちは良く解るのだが何の世界もそうだが時流の流れに逆らう事は其れをカバーする為に数倍の努力をせねば成らず、大変な労力を費やす事に成るので私は受け入れる事にして居る。アマチュア無線は所詮個人の趣味なので自分の思う様に楽しめば良い訳で両者はお互いに自分達の考えを言ったり押し付けたりする必要は無く、其々が好きな様に楽しめば良いと思うのだが?現代で効率良いQSOを望むならDXクラスターは必要不可欠なアイテムと私は思って居る。




            今日の午後からの交信


  T88QR(21,SSB)  V63FA(18,SSB)  YV1AAA(18,CW)


  Y16T(21,CW)    R26MDXC(18,CW)





 

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 気が張り詰めて居るのか二日連続の早起き

2016年11月19日 | アマチュア無線


 昨晩も色々考える事が有って今朝の01時頃まで起きて居ましたが中々世間はそう甘くは無く作戦行動は失敗に終わり仕方なく布団に入りはしたのですが、ウトウトとして居たら2時40分頃にぱっと目が覚め、此れで2日連続の早起き、何かを感じて此の時間帯なら3.5~7MHz帯しか無いと無線機の電源を入れ受信を始めたら3.5MHz帯でXZ1Aの強力な信号を捉えた。当然にスプリット運用であったが呼掛ける日本の局の信号もバリバリで聞こえるので相手が聞いて居る周波数は直ぐに1KHz-UPなのはすぐに解り呼掛けたら一発で応答が有り7バンド目のQSOが成立した


 其の後に7MHz帯はどうだろうか?と聞いてみたが運用の気配もクラスター情報も無かったので此の侭朝まで頑張っても成果が期待出来ない事は昨日の受信で十分解って居たので再び布団に入り03時頃には眠りに入ったが習性か?05:30JSTには目覚めて受信体勢に入ったが残念ながら朝食までの時間帯には成果は無し、朝食が終って現在28帯に網を張って聞いて居るが今の処はQRVは無い様でだ。


          昨晩から今朝に掛けての交信


  T88QR(14,SSB)   XZ1A(10,CW)   XZ1A(3.5,CW)


  ZL4TT(18,CW)     

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 ビームアンテナの有難さを思い知る。

2016年11月18日 | アマチュア無線


 今日の午前中にハイバンドの14,18,21,24MHz帯でXZ1A(Myanmar)からの電波が入感して2日間程は少し静かに成って居た各周波数帯が可成り賑わって居た。現在アマチュア無線でDX通信を楽しむ局は大半がリタイア組で占められ平日の今日の昼間でも大半の人が対応出来るのか?パイルの壁も週末とは余り変わらない感じで結構賑わって居た。


 私にとってはミヤンマーと言うよりはビルマと言った方が馴染みが有る国だが私が開局した頃は確か軍政を敷いており1970年の後半辺りは確かアマチュア無線が許可されては居なくQRVが無かったので東南アジアの中では珍しいカントリーであった。其の為に私のミヤンマーとの1stQSOは遅く1982年の6月20日の14MHz帯のSSBモードの交信と成って居る。其の次の年の1983年に1Z9Bの一寸変わったコールサインでの運用が有ったが其の時はDXCCにクレジットするとかしないとかで?話題に成った事が頭の片隅に記憶としては残って居るが結論は憶えて居ない。此の当時はベトナムやラオス、カンボジアとビルマを含む此の国々は戦争あり内戦ありの可成り緊張感のある状況でアマチュア無線どころの状態では無かった。


 其の後に此の地からのQRVは時々はある様だが(私のミヤンマーとの交信は過去43回で1.9MHzと50MHz帯が未交信)先進国並みに極一般の人が簡単にアマチュア無線局を開局は出来ないのか?何時でも此の地からの電波が聞こえて来る状況では無い様である。今回、インターネットの情報ではXZ1Aは11/15~11/22までの運用予定で今日の14Mhz帯のSSBの運用は此の世界では何かと有名な日本人の方であった。


 当局のアンテナは現在トラブルで全てが北東向で回す事が出来ずに困ったが「距離が近いので如何にか成るだろう」と甘い考えで呼掛けたがスプリと幅が余り広がら無い状況で付入る隙が無くどの周波数帯も可成り時間が掛かり日頃のビームアンテナの有り難さを思い切り実感する事に成った。


 ブログをご覧に成ったら何も考えずに男は黙って(特に右側バーナーを)ワンクリックを!

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 ブログ・ランキングで一喜一憂する日々

2016年11月18日 | アマチュア無線


 今朝は首の辺りが如何も変な感じがして目覚めた。私は毎晩布団に入るとMedia Playerのイヤフォンで英会話教材を聞き眠たく成るとイヤフォンを外して寝るのだが時々は外すのを忘れて其の侭に寝込む事はある。イヤフォンは軽く耳の中に入って居るだけなので寝込んでも殆どの場合は無意識の内に外したり寝返り等で自然に外れるのだが昨晩は其のコードが首に巻き付き違和感を感じたのだろう何か嫌な夢を見て目覚めてしまった。


 時計を見ると03時を少し廻った時間、再び寝ようと思ったが中々寝付かれず仕方なく起き出してパソコンと無線機の電源を入れ聞き始めたが先日と同じで各バンドはノイズばかりの状態で海外からの信号は聞こえず相手が居ない状態では如何する事も出来ずにインターネットでブログ等を見始めた。私は特定のブログを除き余り他の人のブログは見ないのだが少し前に私がブログランキングに登録して(にほんブログ村のアマチュア無線部門)もう少しで3週間を迎えるのだが順位の方は如何も頭打ち状態で特に昨日は可成り順位を落としたので其の原因は何だろうか?と知りたく成って私より上位の方のブログを中心にユックリと観察してみた。


 矢張り上位の方のブログは写真を沢山貼り付けたりアンテナや各種の付加装置等の写真と説明記事が有る様なブログに人気が有る様に思える。そして一番驚いたのは可成り上位の方でも必ず毎日記事をアップしている方は意外と少ない事、此れは私の「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の思いとは一寸違い意外な事で有った。確かに私のブログの場合でもアンテナ工事や移動運用をする車の内部写真等を取り上げると訪問者や閲覧数のカウンターは通常寄りも可成り増加する事はハッキリと解って居たのだが無線機の修理屋でも遣って居ないと日々の記事ソースの確保が出来無い。その意味では移動運用の記事等は其々の運用場所の情景や使用して居るアンテナや運用状況や無線設備のセッティング状況等は皆さんが興味が有り知りたい事なのでアクセス数が増加するので持って来いのブログの題材なのだが?此方も移動運用を止めてしまった身としては如何する事も出来ないHi


 ブログを始めた段階でブログランキングだけには手を出さないでおこうと思って5年間は辛抱して居たのに(私の性格からして多分この様なジレンマに陥る事は予測出来たのに)長くブログを続けて来た中で特に過去と比較して訪問者や閲覧ページ数が大きく減少すると少し不安に成り客観的な自分のブログの存在がどれ程なのか?如何しても知りたく成って遂に登録したが一度登録するとランクが下がるのは気に成って彼是と考えてしまう20日間であったが此れからは此れ以上ランキングが上がる可能性(上がり切った感がある)は少ないので数字を気にせずもっと自然体で気楽に出来れば良いのだろうが?多分無理であろう此の方面でも悟れない困った爺さんである。




           今日の午前中の交信


  CX2BR(21,CW)  XZ1A(14,SSB) T88QR(18,SSB)


  XZ1A(18,CW)  XZ1A(21,SSB) XZ1A(24,CW)


 

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 又もや 頭の痛いトラブルが!

2016年11月17日 | アマチュア無線


 最近の早朝の北向けのDXコンディションは夜明けが遅くなった関係でパスが開ける時間帯は06:33~08:00JS
T頃がベストタイムの様に思える。今朝もコンディションは決して良く無く聞こえる信号は強くは無いが辛抱強く待ち受けて聞けば交信のチャンスは有る様だ。今朝は10MHz帯で大きいパイルがあったので聞き耳を立てたらTL8AO(Central African Republic)のQRVがあった様でスプリット運用でJAのパイルを捌いていた。10MHzのアンテナは北東を向いて居たのでアンテナをアフリカに向けようとコントローラーを操作したが如何した訳かアンテナが回らない?昨日まで何ら問題なく動作していたので原因は全く解らないが夏前にメンテ作業を終えたばかりで3ヶ月しか経過していないのにトラブル発生とは頭が痛い。メンテ終了時に「此れで5年間はローテーターを点検する事は無いだろう」と思ったのに?早くもタワーに点検の為に上がらねばと思うとショック、ショック!




            今朝の交信

  V63YY(14,CW)  6Y5WJ(18,CW)  J68GD(14,CW)

  V63YY(21,CW)  V63FA(18,CW)

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 パソコンの異常温度警告エラーの原因

2016年11月16日 | その他


 私が一番使用するパソコンのDELLのOPTIPLEX-775が夏頃からCPUの温度上昇警告表示と警告音が長時間使用すると時々作動する時々症状が出ていた。最初の内は本体パネルの空気取入れ口のグリルの部分を掃除機の直管部分を当て吸取れば正常に動作して居たが先月頃から其の対応では駄目でパソコンを2時間以上使用すると出る時々症状に天板を外しCPUクーラーのヒートシンクを外して其の上の冷却用のファンも外して羽根の埃とヒートシンクのフィンの隙間を綺麗に掃除して使用していた。分解した時にCPUとヒートシンクの間の熱伝導グリスも塗り替えるべきであったが手持ちが無かったので其の侭で仕方なく組上げて使用して居た。


 此のパソコンは非常にコンパクトで場所を取らない上に動作音が非常に静かで無線機の送信中の音声の中にファンの風切り音が入り難い事が気に入って一番重宝してるのだが矢張りセットを分解すると音も静かなだけにファンも小さいしチャチナ部品を使って居る「この様なファンで本当に確りCPUを冷やせるのか?」と如何しても疑問を感じる様なファンを使用しているのだ。まして此のパソコンは私がCPUをオリジナルの物より可成りグレードの高い物に交換して居るがファン用のダクトや其の取付け構造的にファンの入替が出来ないので仕方なくオリジナルの物を使用して居るしビデオカードも本来はオンボードの物を使用だが此れは画面表示の大きさの制約や画質や表示スピードが劣るので此方も増設用のスロットに別のビデオカードを挿して使用して居り此のカードの発熱量が半端な状態では無い(勿論冷却ファンは装備済み)其れでも問題無く動作はして居たが此処2週間位は2~3時間連続の動画などを見続けると必ず症状が出る様に成った。


 警告エラー表示は相変わらずの「冷却ファン及ぶヒートシンクのチェックをして下さい」の英文表示、前回に遣れる事はして居たので?やはり熱伝導グリスの問題か?其れ以外にする事も無いし回路的な問題では無さそうだし?」何故なら警告表示はクリックして消せばパソコンは動作するのだが暫くすると同じ動作の連続でパソコンが熱暴走に寄るハングアップする様な事は一度も無かった。其処で熱伝導グリスの可能性は少ないが遣れる事は遣らねばと思い立ち先日、車検用の保険書類を取りに徳島市内に行った時の帰りにパソコンショップで熱伝導グリスを買い求めて念の為に塗り直してみたが矢張り症状は改善されなかった。(熱伝導グリスは結構値が張り1500円の投資は無駄に終った)


 其処で二日前に徹底的に原因を追究する為にパソコンを早朝から連続通電状態で動作させたが通常の待機状態では何時間経っても症状は出ない。此の段階で「単なるCPU(CPUだけの発熱量に寄るトラブル)だけの問題で発生する症状では無いのでは?」と何と無く感じた。其処で動画を長時間動作させると時間は区々だが何時かは必ず症状は再現する。其処で症状が出た段階でパソコン本体の空気取り入れ口からドライヤーで冷風を送り込むと症状は直ぐに治まるが10~20分すると動画再生時は必ず症状は出るのでCPU自体の発熱の問題では無くセット内全体の熱が抜けずに警告表示が出るのでは?の考えに至った。其処でパソコン本体を引っ張り出して天板を外そうと触ったら矢張り天板は可成り熱い状態、天板を外してCPUのヒートシンクを直接に触ったが確かに熱いが私が思って居た程は熱くは無い状態、反してビデオカードのヒートシンクは触って居られない程にチンチンに熱い状態だしHDDのケースも思いの他に可成り温度が高い。パソコン形状がコンパクトな為に別挿しのビデオカードのヒートシンクとHDDケースのサイドとの距離は1cm位しか離れて居ないが其れにしても温度が高過ぎる。取敢えずビデオカードをソケットから抜き取りファンの羽根とヒートシンクのヒダをピンセットとメン棒を利用して綺麗にした。次に念の為にHDDを取外す為にSATAコード類を外しHDDを斜めに持上げたら別のコードが見えたので「あれ ひょっとしたら冷却ファンが装備されてるのかな?」と気が付いた。今まで沢山のメーカー製のパソコンを見て来たがHDDに確りした冷却装置が付いているセットを見たのは初めてで驚いたと同時にひょっとすると此れが原因の可能性かもと裏返してファンの羽根を見たらプロペラ状の構造と違う羽根には可なりの埃が溜まって居た。此れは掃除機では取れなかったので同じくピンセットとメン棒で丁寧に掃除した後に全てを組上げて早速テストを始めたが可成り過酷なテストを長時間に渡り繰り返しても症状は出なく成った。


 此のパソコンの各部品の内部配置はパネル前面の空気取り入れ口から入った空気は電源ボックスに使用して居る様な口径のチャチナ構造のファンでヒートシンクの冷却フィンの目を抜けた後HDD下の空間を通り後面の排気口から外部に流れ出す構造で多分此のHDD冷却ファンの吐き出す風の流れも利用してCPUでの発生熱をも上手く放出して居る感じ、本来はオンボードでのビデオ回路を使用するシステムに別のビデオカードを使用し発生する熱がHDDのケースが近い為に上手く流れず且つHDDの冷却ファンの目詰まりに寄る空気の流れが悪く成りセット内の温度が上昇し警告が出るのでは?の結論に至った。特に動画の再生時にはビデをカードの負担が大きいので発熱量も当然に増えて症状が出易く成るのではと思える。エラー表示は全て英文なので私には良く解らないがHDD本体の異常温度検知回路は多分附加されて居ないと思われるので?多分ビデオカードの発熱量とHDD冷却ファンの能力低下の相乗効果でCPUのヒートシンクを抜けた後の空気が澱み異常温度上昇検知が作動したのだろう。


 今回は異常温度上昇検知の作動エラーと成るとCPUの冷却装置以外には考えられないと思った事と今まで使用したパソコンのHDDに過去の経験から冷却装置等は付いて居ない筈と思い込んで居た先入観が邪魔をして原因の追究に随分手間取ったが良い勉強に成ったと思うしか無い。何故なら人に口答で教わった事は時間が経つと直ぐに忘れるが自分で悩み経験した問題解決は時間の経っても決して忘れる事は無いからである。

 

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 静かに成ったハイ・バンド

2016年11月16日 | アマチュア無線


 此の1ヶ月以上の相次ぐ南太平洋方面からDXペディションも漸く一段落した感じで昨日辺りから各周波数は静かに成って来て昨日と今朝の午前中はDX局との交信は無しの状態であったが午後の時間帯には少しDXの信号も聞こえて交信は出来る様で我慢強くこまめに聞くしか無い様である。




          昨日から今日までの交信



  V63AJ(14,CW)  CE2AWW(21,CW)  HC5F(21,CW)

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 我が町(阿南市)紹介シリーズ 第8回 出島野鳥園その他

2016年11月15日 | その他


                

       

 



 我が町紹介シリーズも第8回に成ると「今度は何処にしようか?」と考えねば成らない様に成って来た。阿南市にも沢山の町が有るが人口1万人を越えた町は私の生まれた羽ノ浦町(13210人)と隣町の那賀川町(11230人)だけ阿南市全体で人口は76407人(30059世帯)と成って居り2町で全体の約32%を占める。元々此の二つの町は徳島県の中でも人口の多い町で単独の町として行政が長く続いて居た事も有って其々に在所名は沢山有るのだが町が小さく分かれなかったので一町当たりの人口が多いのだろう。然し平成の大合併の気運と同時に一番コストと手間の掛かる生ゴミの回収事業や屎尿処理施設を町単位で運営する事の難しさも有って一番最後の段階で同時に阿南市に吸収合併された。この地区は元々は旧の那賀郡に属しこの那賀郡は剣山の麓から紀伊水道の海岸線に至る細長いが広大な面積を有する郡で有り嘗ては5町2村を有する郡で有ったが平成の大合併前後で1郡1町に成り大きく様変わしアマチュア無線の移動運用を考えると町村が減り徳島県下で無線的には一番面白く無くなったエリアである。


 羽ノ浦町は昔から県南方面への交通の要所として栄えた町であったが最近は此の町の中心部を通らず町の手前から那賀川町の田園地帯を一直線に阿南市の中心地へ抜けるバイパス道路が開通してからは「通行道路が変われば町が変わる」と言われるが如く県南部(阿南市や海部郡)へ向かう車は大半が那賀川町を通過する為に人と車の流れの様相がガラリと変わってしまった。従って前のブログの道の駅「公方の郷」も此のページの最初の写真の阿南科学センターやコートベール徳島ゴルフクラブや阿南市役所那賀川B&G海洋センター、出島野鳥園等の文化施設の大半はこのバイパス道路の海岸線側に集中している。最初の写真の科学センターは那賀川町が多分未だ阿南市に合併しない前の時期に「故郷創成費用」(漢字変換が間違って居るかも?)として日本全国の各町村に配られた1億円で天体観測ドームを建設したと思うので生え抜きの町民だと阿南市が頭に付くのは納得出来ない人達も居るのでは?(勘違いしてたら御免なさい)B&G海洋センターも同じくB&G財団から那賀川町政時代に寄贈された物で私達も剣道の試合等で良く利用したので此れは間違いが無いと思う。


 今回、此れ等の写真を撮りに行った段階で科学センターに止まった大型バスから小学生が徒歩でゴルフ場のある海岸の方へ歩いて居たので其の後を追ったら出島野鳥園に向かって居た。私は此の施設の存在は全く知らなかったので「へぇ~こんな場所が有ったのだ!」と子供達が帰った後でユックリ見学したが二番目の写真の場所から野鳥を見学出来る様に成って居て暫く見学して居たが鳥達はのんびりと池を泳いで居て30分間位の時間は何の変化も無い状態・・・・・カメラを三脚に固定して待ち構えて居たので悪いとは思ったが近くの水際に石を投げて水音で驚いて飛び立つ瞬間の写真が撮りたく成って窓の小さい隙間から石を投げ出そうとしたら手元が狂い内側の壁に当たって跳ね返った石がカメラの数十センチの近くに跳ね返りあわや虎の子のカメラをパァ~にする所で有った。然し懲りない爺さん今度は声で鉄砲の音真似をしたが鳥達は全く動ぜず変化は無く仕方なく諦めて出て来たら同年輩の人が駐車場に居て多分私の大人気無い声が聞こえて居たのだろうニヤニヤ笑って居たので恥ずかしい事此の上無い。今回の私の所業は鳥の観察をする人として遣っては成らぬ事をしてしまったので大反省する事と成った。


 科学センターの中には小学校の子供の見学が多かったので観測ドームの内部や望遠鏡の見学は見合わせたが夏場に家族を対象とした夜の観望会の案内が広報に載って居るので星の好きな家内を誘って一度訪れたいと思って居る。町の人口では勝っても文化施設面では私の生まれた町は及ばない事を実感した。



コメント (2)
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 我が町(阿南市)紹介シリーズ第7回  道の駅「公方の郷」

2016年11月15日 | その他


     

 

 
 阿南市内の那賀川町に阿南市で唯一の道の駅「公方の郷」が在ります。その昔、10年にも及ぶ応仁の乱以後は天下は乱れ中学時代に歴史の教科書で習った室町から安土桃山時代に至る段階で下克上の風潮が漲り侍の総大将である征夷大将軍の権威は地に落ちた。室町時代の第10代将軍 足利義たね(漢字変換は出来ず)は其の管領の細川高国の専横に憤って淡路島ー阿波国(徳島県)に流れ再度の上洛を企てたが果たせず此の地で没した。


 10代将軍には子供が居なかったので11代将軍の義澄の子供の義冬を養子に向かえ足利義冬とした。其の後に義冬は足利幕府で勢力の有った阿波勢の後ろ楯で上洛を果たしたが其の阿波勢が天文元年の京都での戦いで敗れたので阿波の細川持隆に当時の足利氏由縁の天竜寺領の阿波の国、平島庄(現在の阿南市那賀川町古津)に移り住んだ。此の人が初代平島公方の義冬である。其の義冬は再度の上洛は果せなかったが其の子の義親が当時に勢力があった三好三人衆の(三好長逸、三好政康、岩成友通)後ろ楯で1568年に上洛を果たし室町幕府の第14代の将軍と成ったが戦国時代の風雲児の織田信長が足利義昭を奉して上洛した時の戦いで三好三人衆は破れ後ろ盾の無くなった義親は再び阿波の国に帰り病死した。(此の三好3人衆の一人である三好政康は織田勢に敗れた後、今NHKの大河ドラマの真田幸村の家来として大阪の陣の時に大阪方に参戦した真田十勇士の一人の三好青海入道のモデルと言われている。)


 其の義親の弟である義助は平島館にあって秘かに上洛の機会を伺って居たが頼みの綱の京都に於ける阿波勢が信長に寄って壊滅させられ三好氏も土佐の長宗我部元親の侵入に会い滅亡してしまうと後ろ楯を失い自分も武力を持って居なかったので悲しいかな義助の上洛の野望は果敢無くも潰えた。当時は3000石有った平島公方の所領は江戸時代に入り阿波の藩主であった蜂須賀家に公方の禄を百石まで減領され足利姓を名乗る事も許されず平島と改名させられ其の後270年の歳月を此の地で過ごしたが遂に九代目の義根に至ってその思いは爆発して蜂須賀家に増禄を申し出たが聞き入れられず憤慨し阿波国を退去して1805年に紀州に渡り其の後に京都へと帰って行った。


 四国の三好氏は室町幕府の時代には絶大な力を持っていたが松永弾正(三好氏は弾正の主家筋に当たる)と組して暴れて居たが途中で仲互いをして松永弾正に暗殺や諜略される。弾正は織田信長(此の叔父さんも結構、既成概念をぶ壊したある意味での悪人だが)にして稀代の悪人と言わしめる生粋の戦国時代のヒールと言われている。



 其れまで誰もが出来なかった事を三つも成した男

 ・ 主家三好氏への暗殺と諜略

 ・ 将軍 足利義昭の暗殺 (織田信長も此のオッチャンの日和見には手をやいた)

 ・ 奈良東大寺を代表とする奈良時代からの文化財を焼き討ち(信長も比叡山を焼き討ち根絶やしにしたので人の事は言えない)

 此の過去の既成概念や過去からの しがらみ等を全く気にせず事に望む気質が自分に似ている事から信長は気に入って居たのか名器の茶釜が余程欲しかった性か?織田信長は一度自分を裏切った者は絶対に許さなかったと言われて居るが此の松永弾正だけは一度目の裏切りを許したが性懲りも無く二回目の裏切りを行った際も松永弾正が持って居た名器の「古天明平蜘蛛」の茶釜が欲しくて「差し出せば今回も許す」と言ったが弾正さん此の茶釜に爆薬を詰めて「この平蜘蛛の釜と俺の首の二つは やわか信長に見せさせるものかわ」の時世の句を残し文献上では日本初の爆薬で壮烈な爆死をした人物として歴史に名を残した。


 此の現在の阿南市の一角に嘗ては足利氏の流れを受け継ぐ人達が居て「平島公方」と呼ばれて居たらしい事は私の生まれた町に(那賀川町の隣町の羽ノ浦町に)「公方饅頭」と言う銘菓が有り「丸に二つ引きの足利の家紋」が焼印してある美味しい饅頭は子供の頃から知って居たが今回、此の歳に成って初めて平島公方の歴史を調べてみたら思わぬ所で此の様な田舎にも織田信長や最後の15代足利将軍の足利義昭との関係が有る事が解って面白かった。










































































































































































































































                                                  
                                                                                                                      

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 T30(W Kiribati Is)がアクティブに運用中

2016年11月15日 | アマチュア無線


 昨日は早朝から8時頃まで各周波数帯をチェックしたのも関わらずDX局との交信は一局も出来ずに終ってしまった。午前中は外出して帰った13時頃からはブログを書き込みながら無線機のお守りをして居たら14:40JST辺りから日本の方の運用と思うが南太平洋からの運用が各周波数に分散した形で有り何とか交信する事が出来た。




              今朝の交信


    T30KJ(21,CW)  T30MA(24,CW)  T30VE(18,CW)


    T30JY(28,CW)  V6EME(18,SSB)

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