共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

謎が解けた…ε~(゜。゜;)

2014年03月03日 17時00分01秒 | 日記
今日は全国的に3月3日桃の節句でございます。女の子の健やかな成長を願って雛人形を飾ってお祝いします。小田原の教室近くの商業施設にも、御覧のような立派な七段飾りが設えられて、訪れる人の目を楽しませていました。

ところで、この写真のお雛様もそうなのですが、最近の雛人形の一部の持ち物が、私が認識しているものと若干違っているのです。

例えば、三人官女で中央に座っている人形の持ち物が、私の認識では盃を載せた三宝を捧げ持っていたのですが、この官女は大嶋台を持っています。また橘と桜の間にいる仕丁(もしくは衛士)の持ち物も、私の認識では台傘・沓台・長傘なのですが、この仕丁は熊手・ちり取り・竹箒を持っているのです。

この一揃いだけではなく、展示会に並んでいる七段飾りは大概私の認識と違う後者の物を持っているので、最近までは『私の認識が違っているのかしら?』とか『時代と共にいろいろと変わっていったのかなぁ』とか思っていました。

ところが、そうではなかったのです。

実はこの写真の一揃いのかたちは、いわゆる『京風』のものだそうで、私が認識していた一揃いは『関東風』だということが、ある方との会話の中で判明したのです。なので、確かに流行りもあるかも知れませんが、雛人形の本場の一つである埼玉県岩槻に行くと、今でも私の認識している『関東風』の一揃いもちゃんと存在しているそうなのです。

ただ、その会話の主曰く、この飾り方には若干の違和感を感じるのだそうです。というのも、純然たる『京風』は内裏雛の配置が左右逆で、向かって右側に男雛、左側に女雛を飾るのが習慣なので、どうせやるならそこまで『京風』に徹してほしい…と思うそうです。

確かに古来からの習慣に則れば、この一揃いの場合は『京風』に飾るのが本来です。男雛を右側に飾るのは、京都御所の正殿・紫宸殿で『天子』たる天皇が日の出の方角である東側に坐すことに由来します。『関東風』の並べ方になったのは東京遷都後、大正天皇の即位礼の時に、西洋の王室に倣って女性の右手を取るよう左右を入れ換えて並んだことによるものです。

だから、関西の方々からすると何ともチグハグに見えるのだとか。それは、この一揃いの持ち物に違和感を感じる関東人の私も少なからず感じているところなのですが、平成の御代にあってはそこまで厳密に考えることも良しとされない空気感があるので、まあ『痛み分け』ということで…。

それにしても、長年モヤモヤしていた雛人形についての疑問が解明されてスッキリしました。これからは安心してこういう一揃いを見ていられます(大袈裟…)。
コメント
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