共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

かける言葉が難しい…

2014年03月22日 17時53分18秒 | 日記
昨日は水戸の隣のひたちなか市にある無人の実家に一泊しました。かつては5人で住んでいた家に1人でいると、そう大して大きくもない家ながらガラ~ンとした印象ばかりが強くて、何とも居心地が悪いものでした…。

昨日の疲れでちょっと遅く起きてから一通り身仕度を整えて、今日はそこから更に北上して日立市まで移動しました。常磐線日立駅から、1時間に1本しかないバスに乗って20分ほど揺られたところに、私の祖母が住んでいるグループホームがあります。

祖母は明治42年(1909年)生まれの御歳104歳!今年の春過ぎには105歳になります!!6年前に、80年間連れ添った祖父に先立たれた時にはかなり憔悴していましたが、今では足がちょっと弱っているのと自前の歯が2本しかないこと以外は、目もよく見えているし、耳もよく聞こえているし、よく喋るし、よく笑うし、出されたものはしっかり食べるし…と、まあ本当に元気そのものです。

こちらとしては、高齢の祖母の具合が心配で見舞いに行っているつもりなのですが、行けば行ったで「ちゃんと食べてんのか?」「仕事は順調か?」「周りの人とはうまくやっていけてんのか?」と叱咤されること度々…。一体何をしに行ったのやら分からなくなります。あまつさえ最後には小遣いまでくれようとするので「婆ちゃん、私ゃもう40越えてんだヨ?!」と断ると「おや?ま~だ40くんだりけ?」…もう、何も言えません( ̄_ ̄|||)。

それに、「わたしはここまで生きてきたから、いつまでも生きてなくてもいいんだ」みたいなことを言われることもあるのですが、何と言って返事をしていいのやら…。

「そんなこと言わないで、いつまでも長生きしてね」と言うのは、100年以上齢を重ねてきた人に向けてはあまりに酷なことのようですし、でもだからといって「そうだねぇ」と変に素直にうなづくのもおかしいし…何かいい言葉はないものでしょうか?

祖母にしてみれば、一日一日を生きていることそのものが大変なのかも知れません。確かに、太平洋戦争末期に、連合艦隊からの艦砲射撃の中を子供を抱えて走ったような壮絶な体験をした人ですから、私達戦後生まれが逆立ちしても分からないような苦労をしてきたことでしょう。

それでも、祖母が元気で生きていてくれることが、今の私にとっての生きるモチベーションの一つだったりもするので、できればいつまでも元気でいてほしい…と、深くシワの刻まれた顔た手を見る度に、手前勝手ながら思ってしまったりするのです。

帰り際「写真撮らせて」とお願いしたのですが、「こんなしわがれた女の姿を残すもんではない!」と怒られてしまいました((゜Д゜ll))。なので、代わりにお世話になっているグループホームの玄関先の写真を撮りました。

身内とはいえレディに対して失礼なことをしてしまいましたが、もしかしたらこういう矜持を今でも持ち続けていることが、祖母の長寿の秘訣の一つなのかも知れません。
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