3月も半ばに入り、吹く風に春の予感が漂い始める頃になると、そろそろ公立小・中学校の卒業式が近づいてきます。今年は冷え込んでいたところから急に暖かくなってきましたので、もしかしたら卒業式に桜が咲いてしまうのではないか…という懸念もチラホラ聞こえて参ります。
ただ、毎年この時期になると新聞やテレビのニュースを賑わすのが、いわゆる『日の丸・君が代問題』と呼ばれる現象です。私の生徒さんの中にも学校の教員をされている方がいらっしゃるのですが、毎年この時期になると職員室内が何やらきな臭くなるのだそうで、気苦労が絶えないようです。
いろいろな考え方があって、それぞれの『思想の自由』が保障されている主権在民国家である以上、他人様の考えにとやかく口を挟むべきではないのでしょう。ただし、敢えて個人的意見を述べさせて頂けるならば、これを『問題』と槍玉に挙げることそのものが愚行中の愚行だと思っております。
《日の丸》や《君が代》に反対している人達の言い分として
●過去の戦争を想起させる
●天皇を賛美している
●印象が地味で時代にそぐわない
といったことを挙げておられると思います。
確かにかつて戦争を繰り広げてきた過去は存在しますし、そのことについて思いを致さなければならないことに異論はありません。ただ、それにこの国旗・国家を直結して、敢然と否定していいかどうかということは別の話です。
それに、《君が代》の『君』が天皇を指しているからいけないという方もおいでですが、もともとこの歌詞は古今和歌集巻七の巻頭に置かれた
《我が君は 千代に八千代に 細石の 巖となりて 苔の生すまで》
(我が君の世が千年も八千年も、細かな石が寄り集まって大きな石となり、苔生すまで続きますように)
という《賀歌(よろこびの歌)》によります。確かにここが出発点と考えれば、なるほど『君=天皇』という図式が成立するように見えます。しかし、それが何か問題あるのでしょうか。
日本国憲法第1章第1条において『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く』と規定されています。ということは、『君=天皇』であるならば、それは須らく『君=日本国』といってもいいはずです。つまり言い換えれば『日本の国が千年も八千年も…』ということになり、そのつもりで歌っていれば何の問題もなくなるのです。
《日の丸》にしても、成立したのは律令制が整備された奈良時代ともいわれています。そうだとすると、この旗は実に1300年以上の歴史を含有していることになります。この21世紀に、そんなに歴史のある国旗を掲げている国が、他に何処にあるのでしょうか。
『地味』とか『時代遅れ』という意見ですが、こういうことを言う人達は恐らく『グローバルスタンダート』みたいな薄っぺらい21世紀造語に飛びついた人達なのでしょう。しかし、そもそも国旗や国歌というものは、時代の変遷に伴ってあれこれ作り換えるようなものではありません。そんなことをしたら、国旗・国歌の持つ威厳や意義なんてものは、あっという間に吹き飛んでしまいます。
それでもなお『過去の戦争を想起させる』と反対するのであれば、彼らはドイツにも猛抗議しなければなりません。なぜなら現在のドイツ国歌は、かつてナチス統治下で使われていたものと、歌詞こそ違え同じメロディが使われているからです。
現在のドイツ国歌のメロディは、かの『交響曲の父』と呼ばれる古典派の巨匠ヨーゼフ・ハイドンが作曲した《皇帝賛歌》が使われています。かつては1番から3番まで歌詞がありましたが、ナチス時代には1番のみ、戦後は分裂した西ドイツで3番のみを歌っていました。その後、東西ドイツが統一された時、そのまま統一ドイツ国歌として採用されました。
このことについて、時に旧東ドイツ国民からしてみたら、かつてナチス・ドイツ崩壊及び東西ドイツ分裂以降忘れていた歌が再び国歌として目の前に現れたわけで、その心中たるやさぞかし複雑なものがあろうかと察せられます。しかしだからといって、少なくともドイツ国内で、日本で毎年繰り広げられているような乱痴気騒ぎが起きているというような話は聞いたことがありません。それは須らく、このハイドンの旋律が負ってきた数々の歴史を清濁合わせ飲むことを『覚悟』したからに他なりません。ですから日本も、この国旗・国歌の背負ってきた歴史を正面から見据える覚悟と矜持を持てば、それでいいはずなのです。
もっとも、一部の左派の輩が難癖をつけながら学校教育の場でいくら《日の丸》と《君が代》とを否定し続けていても、先のオリンピックや6月からのサッカーワールドカップでは会場に日本国旗としての《日の丸》が掲げられ、選手たちは胸に手を当てて日本国歌としての《君が代》を歌い上げるわけです。ですから、彼らがどんなに頭ごなしにギャーピー否定してかかったからと言って、そういう現象を駆逐しきれていないあたりで、既に彼らが真の意味で賛同を得ていないこと、惹いてはこの問題自体がお話にもならないことは明々白々です。
そして、それでもあーだのこーだの言うのであれば、千年以上の長きに渡って使い続けられてきたこのシンプル極まりない国旗と、極めて優雅で日本的な旋律の国歌に取って代われる歌を作ってから文句を言って頂きましょう。
最後に、雅楽演奏による《君が代》をどうぞ。これを聴けば、単純にこの曲が如何に素晴らしい芸術作品であるかがお分かり頂けます。
雅楽「君が代」
ただ、毎年この時期になると新聞やテレビのニュースを賑わすのが、いわゆる『日の丸・君が代問題』と呼ばれる現象です。私の生徒さんの中にも学校の教員をされている方がいらっしゃるのですが、毎年この時期になると職員室内が何やらきな臭くなるのだそうで、気苦労が絶えないようです。
いろいろな考え方があって、それぞれの『思想の自由』が保障されている主権在民国家である以上、他人様の考えにとやかく口を挟むべきではないのでしょう。ただし、敢えて個人的意見を述べさせて頂けるならば、これを『問題』と槍玉に挙げることそのものが愚行中の愚行だと思っております。
《日の丸》や《君が代》に反対している人達の言い分として
●過去の戦争を想起させる
●天皇を賛美している
●印象が地味で時代にそぐわない
といったことを挙げておられると思います。
確かにかつて戦争を繰り広げてきた過去は存在しますし、そのことについて思いを致さなければならないことに異論はありません。ただ、それにこの国旗・国家を直結して、敢然と否定していいかどうかということは別の話です。
それに、《君が代》の『君』が天皇を指しているからいけないという方もおいでですが、もともとこの歌詞は古今和歌集巻七の巻頭に置かれた
《我が君は 千代に八千代に 細石の 巖となりて 苔の生すまで》
(我が君の世が千年も八千年も、細かな石が寄り集まって大きな石となり、苔生すまで続きますように)
という《賀歌(よろこびの歌)》によります。確かにここが出発点と考えれば、なるほど『君=天皇』という図式が成立するように見えます。しかし、それが何か問題あるのでしょうか。
日本国憲法第1章第1条において『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く』と規定されています。ということは、『君=天皇』であるならば、それは須らく『君=日本国』といってもいいはずです。つまり言い換えれば『日本の国が千年も八千年も…』ということになり、そのつもりで歌っていれば何の問題もなくなるのです。
《日の丸》にしても、成立したのは律令制が整備された奈良時代ともいわれています。そうだとすると、この旗は実に1300年以上の歴史を含有していることになります。この21世紀に、そんなに歴史のある国旗を掲げている国が、他に何処にあるのでしょうか。
『地味』とか『時代遅れ』という意見ですが、こういうことを言う人達は恐らく『グローバルスタンダート』みたいな薄っぺらい21世紀造語に飛びついた人達なのでしょう。しかし、そもそも国旗や国歌というものは、時代の変遷に伴ってあれこれ作り換えるようなものではありません。そんなことをしたら、国旗・国歌の持つ威厳や意義なんてものは、あっという間に吹き飛んでしまいます。
それでもなお『過去の戦争を想起させる』と反対するのであれば、彼らはドイツにも猛抗議しなければなりません。なぜなら現在のドイツ国歌は、かつてナチス統治下で使われていたものと、歌詞こそ違え同じメロディが使われているからです。
現在のドイツ国歌のメロディは、かの『交響曲の父』と呼ばれる古典派の巨匠ヨーゼフ・ハイドンが作曲した《皇帝賛歌》が使われています。かつては1番から3番まで歌詞がありましたが、ナチス時代には1番のみ、戦後は分裂した西ドイツで3番のみを歌っていました。その後、東西ドイツが統一された時、そのまま統一ドイツ国歌として採用されました。
このことについて、時に旧東ドイツ国民からしてみたら、かつてナチス・ドイツ崩壊及び東西ドイツ分裂以降忘れていた歌が再び国歌として目の前に現れたわけで、その心中たるやさぞかし複雑なものがあろうかと察せられます。しかしだからといって、少なくともドイツ国内で、日本で毎年繰り広げられているような乱痴気騒ぎが起きているというような話は聞いたことがありません。それは須らく、このハイドンの旋律が負ってきた数々の歴史を清濁合わせ飲むことを『覚悟』したからに他なりません。ですから日本も、この国旗・国歌の背負ってきた歴史を正面から見据える覚悟と矜持を持てば、それでいいはずなのです。
もっとも、一部の左派の輩が難癖をつけながら学校教育の場でいくら《日の丸》と《君が代》とを否定し続けていても、先のオリンピックや6月からのサッカーワールドカップでは会場に日本国旗としての《日の丸》が掲げられ、選手たちは胸に手を当てて日本国歌としての《君が代》を歌い上げるわけです。ですから、彼らがどんなに頭ごなしにギャーピー否定してかかったからと言って、そういう現象を駆逐しきれていないあたりで、既に彼らが真の意味で賛同を得ていないこと、惹いてはこの問題自体がお話にもならないことは明々白々です。
そして、それでもあーだのこーだの言うのであれば、千年以上の長きに渡って使い続けられてきたこのシンプル極まりない国旗と、極めて優雅で日本的な旋律の国歌に取って代われる歌を作ってから文句を言って頂きましょう。
最後に、雅楽演奏による《君が代》をどうぞ。これを聴けば、単純にこの曲が如何に素晴らしい芸術作品であるかがお分かり頂けます。
雅楽「君が代」