折にふれて

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能登半島地震の記憶3

2024-01-17 | がんばれ能登

35年間お世話になっている近所の理容店が営業を再開しました。

 

店主のOさんは珠洲市のご出身。今回の地震で輪島市とともに最も被害の大きかったところです。

日本海に面した小さな集落に実家があってご両親も漁業や農業の傍らで

同じ集落に住む人たちが通う理容店を営んでおられたとのことです。

Oさんは東京の理容店で修業した後、

同僚だった奥さんと金沢で自宅兼用の理容店を開業されたのが35年前のこと。

奥さんがお嬢さんを出産してまもなくの頃で、

同じ時期、近所に引っ越してきた私が新装開店のお店に入ったのがOさんご夫婦とのご縁でした。

しばらくはお互いによそよそしい間柄だったのですが、回数を重ねるうちに打ち解けてきて

次第に親し気に話をするようになりました。

Oさんが髪を切りながら趣味の釣りの話をすると、顔そりと洗髪担当の奥さんが飼い犬の話をする。

さらにお嬢さんの成長や進学、就職の話などをそれぞれが面白おかしく話してくれる。

そんなユーモアたっぷりの会話が35年間繰り返されているのですが、

私のほうはもっぱら聞き役。それでも、ご夫婦の人柄に触れながら、

自分にとってはひと月に一度の居心地の良い場所になりました。

ところが、あの地震。

会話の中から、毎年元旦は珠洲の実家でご両親と過ごすことを知っていたので

地震の後の消息が気がかりでした。

というのも「しばらく休業します」の張り紙とともに店が閉められたままだったからです。

ご実家は震源にごく近い海岸沿い。大きな揺れはもちろん津波が押し寄せた可能性もある。

無事を祈りつつ、ひょっとして家族の中に被害にあった方がいたのでは、と心配し、

家内も行方不明者の中にOさんご家族の名前がないか、ニュースに目を凝らしていました。

地震から10日以上たった先週の土曜日のこと。

朝の散歩で店の前を通りかかると三色のサインポールが回っている。

急ぎ店に入ると、Oさんはやつれた表情ながら笑って出迎えてくれました。

ご両親も含めみなさん無事とのことでした。何よりです。

実家は傾いて住める状態ではないので、ご両親を連れて帰ってきたそうです。

Oさんによる地震発生からの顛末です。

立っていられないほどの大きな揺れが続き、家にいては危険と急ぎ外に出た。

そして海を見ると、100メートルほど波が引いている。

「引き波だ。大きな津波が来る。」と車のバックドアも開け、近所の人も含め

定員以上の人を乗せ、高台へと逃げたそうです。

結果、津波は来なかった。

あとでわかったことですが、引き波と見えたのは海底が広範囲に隆起したからだったとか。

地震が持つすさまじいエネルギー。

それを恐ろしく、そして生々しく感じた話でした。

ご両親を金沢に連れてきたものの、高齢で歩くことも不自由。

仕事は再開したものの、ご両親との生活をどうしたものか、思い悩んでいると

話しておられました。

終始、重苦しい雰囲気で話を聞いていましたが最後に。

「あの短い脚の犬が踏ん張れずにひっくり返っていた。」と

持ち前のユーモアで飼い犬の様子をオチにしてOさんは大笑い。

それにつられて私も噴き出したのですが、

ご夫婦が持ち前の明るさでこの逆境をぜひ乗り越えて欲しいものだと

笑顔のOさんを眺めながら強く願っていました。

 

さて、今日で阪神淡路の震災から29年が経ちました。

阪神淡路、東日本、熊本、さらに能登。

あらためて命を落とされた方のご冥福を祈ります。

そして、能登の被害がこれ以上広がらないことを切に祈るばかりです。

 

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