京都に大仏があったことは、よく知られています。NHKの「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げられていましたね。今回は、その大仏さんの跡地を訪ねてみました。
観光客で賑わう三十三間堂から七条通を挟んで、京都国立博物館があります。博物館を少し西に行くと大和大路との交差点があるのですが、そこに大仏前交番があります。いきなり、手がかりとなるものが出てきましたね。

大和大路を北に向かって歩いて行きます。京都国立博物館の西門前西門前を通って行きます。ここも立派な建物です。

博物館を過ぎると、道沿いに大きな石垣が並んでいます。

この巨大な石垣こそ大仏殿院の基壇として築造されたものなのです。

しかし、こんな大きな大仏を造ろうとしたのは、誰なんでしょう。答えは、豊臣秀吉です。こんなことを考えるのは、この人しかいませんね。この人が祀られている豊国神社に到着です。

大仏が完成した時期には、豊国神社はありません。ここには仁王門が建っていました。その奥に大きな大仏殿が聳えていたのでしょう。(古地図で見ることが出来ます。)鳥居の反対側には、正面通という広い道があります。これも参道として造られ道でした。

さらに奥に進んでみましょう。豊国神社の隣には、方広寺があります。このお寺の鐘は歴史的にも有名なんですよ。

鐘に刻まれた文字に徳川家康が、いちゃもんをつけて大坂の陣がはじまったんですね。

こんな歴史のお勉強をしながら細い通路を進むと、大仏さんが建っていたという場所がありました。草ぼうぼうの空き地でした。芭蕉さんの句を思い出しますね。

もう1枚、違う角度からも。

大仏跡地を示す案内板がありました。まあ、これが証拠でしょうか。

秀吉・秀頼によって造られた大仏は、江戸時代も京都の名所だったようです。しかし、1798年に落雷で焼けてしまい、その後も再建されましたが、これも失火で消失したそうです。
しかし、現在もその痕跡は、石垣やら地名などに残っています。大仏跡地周辺の電信柱には、大仏という地名が残っていました。

<おしまい>
観光客で賑わう三十三間堂から七条通を挟んで、京都国立博物館があります。博物館を少し西に行くと大和大路との交差点があるのですが、そこに大仏前交番があります。いきなり、手がかりとなるものが出てきましたね。

大和大路を北に向かって歩いて行きます。京都国立博物館の西門前西門前を通って行きます。ここも立派な建物です。

博物館を過ぎると、道沿いに大きな石垣が並んでいます。

この巨大な石垣こそ大仏殿院の基壇として築造されたものなのです。

しかし、こんな大きな大仏を造ろうとしたのは、誰なんでしょう。答えは、豊臣秀吉です。こんなことを考えるのは、この人しかいませんね。この人が祀られている豊国神社に到着です。

大仏が完成した時期には、豊国神社はありません。ここには仁王門が建っていました。その奥に大きな大仏殿が聳えていたのでしょう。(古地図で見ることが出来ます。)鳥居の反対側には、正面通という広い道があります。これも参道として造られ道でした。

さらに奥に進んでみましょう。豊国神社の隣には、方広寺があります。このお寺の鐘は歴史的にも有名なんですよ。

鐘に刻まれた文字に徳川家康が、いちゃもんをつけて大坂の陣がはじまったんですね。

こんな歴史のお勉強をしながら細い通路を進むと、大仏さんが建っていたという場所がありました。草ぼうぼうの空き地でした。芭蕉さんの句を思い出しますね。

もう1枚、違う角度からも。

大仏跡地を示す案内板がありました。まあ、これが証拠でしょうか。

秀吉・秀頼によって造られた大仏は、江戸時代も京都の名所だったようです。しかし、1798年に落雷で焼けてしまい、その後も再建されましたが、これも失火で消失したそうです。
しかし、現在もその痕跡は、石垣やら地名などに残っています。大仏跡地周辺の電信柱には、大仏という地名が残っていました。

<おしまい>