この言葉は郷里の種子島で、特に食べ物について、期待はずれになった場合に使っていた。
昭和25年3月末、3年生になったら、米国の援助で学校給食が始まるとの事で、アルマイトのカップと皿が配られた。4月、給食の開始を期待して登校した。しかし、いっこうにその気配が無い。そのうち、先生が「朝鮮戦争が始まるので給食は中止」と言った。とっさに「うったらし顎か」とつぶやいた。みなも「うったらし顎だ」と声に出して言った。当時大半が貧しかった。期待が大きかった分、落胆も大きかった。この言葉は今も侘びしさを誘う。
薩摩川内市 森 孝子(68) 2010/7/22 毎日新聞鹿児島版掲載
昭和25年3月末、3年生になったら、米国の援助で学校給食が始まるとの事で、アルマイトのカップと皿が配られた。4月、給食の開始を期待して登校した。しかし、いっこうにその気配が無い。そのうち、先生が「朝鮮戦争が始まるので給食は中止」と言った。とっさに「うったらし顎か」とつぶやいた。みなも「うったらし顎だ」と声に出して言った。当時大半が貧しかった。期待が大きかった分、落胆も大きかった。この言葉は今も侘びしさを誘う。
薩摩川内市 森 孝子(68) 2010/7/22 毎日新聞鹿児島版掲載