はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

一緒の納骨堂に

2010-11-30 20:07:16 | はがき随筆
 墓守を頼んでいた従兄夫婦も高齢となり、父の墓を移しに晴天の日、神主さんと父の故郷・鹿屋市に出かけた。
 昭和19年6月に南洋で戦死してから66年。素焼きの骨つぼは思いの外汚れてはいない。ていねいに拭いて開けてみると骨がぎっしりと入っている。顔も覚えていない父の骨つぼを胸に抱きしめた。
 乗っていた船が雷撃を受けて父は負傷。旧セレベス島の病舎で2日後に亡くなったという。幸い荼毘に付されて骨を拾ってもらえたのだろうか。
 この世では縁薄かった父と墓は一緒がいいと私はきめた。
  霧島市 秋峯いくよ 2010/11/30 毎日新聞鹿児島版掲載

県警余話

2010-11-30 20:02:33 | ペン&ぺん
 鹿児島県警本部が今の鹿児島市鴨池新町に移るずっと以前の話。聞いたままを書き記す。(以下、呼称略)
   ◇
 岡本公三。出身は熊本県。鹿児島大学農学部に入学し、1970年春、よど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命した兄の影響を受け、学生運動に興味を抱く。新左翼、日本赤軍に参加。72年5月、イスラエル・テルアビブのロッド空港で自動小銃を乱射し26人を死亡させ、72人に重軽傷を負わせた。共犯の2人は現場で死亡。岡本だけが逮捕され、終身刑を受けた。
 事件前後、日本の警察庁が岡本の人物像を捜査した。鹿大時代の素行を調べていた県警の警察官。本庁の照会に、こう答えたとの伝聞が残っている。
 「岡本とは一度、マージャン卓を囲んだことがあります。余り強くはなく、自分がマージャンに勝ちました。それ以外に関連情報はありません」
 一度でも接触したことを褒めるべきか。本庁側の反応は伝えられていない。
   ◇
 記者たるもの、現金を持ち歩くべし。突然、屋久島でヘリが墜落し「溝辺空港から、飛行機に乗って取材に行け」などと命じられる可能性が常時あるからだ。
 細川護煕。由緒正しい武家、細川家の生まれ。日本の第79代内閣総理大臣となった。若かりし頃、記者として鹿児島県警記者室に詰めていた。
 細川の財布が記者室で無くなった。いじわるな先輩記者が、いたずらし、隠したのかもしれない。
 「いくら入っていた?」
細川の答えた額は、当時の金銭感覚では考えられない大金だった。もちろん、周りの記者は大騒ぎ。だが、本人は「財布は買い直せば良い」という表情だったとか。
今年1月、日本経済新聞に連載した「私の履歴書」で、細川は支局時代を「大学運動部の合宿の延長みたいな感じ」だったと振り返っている。だが、その連載や「権不十年」「日本新党 責任ある変革」などの著作にも、県警財布事件は見当たらない。さて、細川の財布が見つかったや否や。寡聞にして、知らない。
  鹿児島支局長 馬原浩 2010/11/28 毎日新聞掲載