2011年9月28日 (水)
山陽小野田市 会 員 河村 仁美
科学技術が発達し、機械化が進んだ今日でさえ、農作物の収穫は天候に左右されている。今治市に住む叔母が、今年もふるさとの新米を送ってくれた。80歳近い叔母夫婦が丹精して作ってくれたお米だ。
小さいころに手伝いをした、黄金色に色づいた田んぼの稲穂が目に浮かぶ。叔母の家はわが家からひと山越えた所にあり、父が手伝いに行くときは単車の後ろに乗って必ずついて行った。
ついて行っても小学生の私にできることはあまりない。刈った稲をよいしょよいしょと稲架(はざ)まで運ぶのが私の役目だった。汗をかきながらも楽しそうにしていたら、いとこが言った。「仁美ちゃんは、たまに来て手伝うだけだから楽しいかもしれないけれど、僕はいつもせんといけんのだから」。その言葉が、40年以上たっても忘れられない。
保育園のころ、「一粒のお米にも万人の人の苦労がこもっています。感謝をこめていただきます」と言っていたのを、今でも覚えている。炊きあがった新米を感謝をこめていただいた。
(2011.09.25 愛媛新聞「へんろ道」掲載) 岩國エッセイサロンより転載
山陽小野田市 会 員 河村 仁美
科学技術が発達し、機械化が進んだ今日でさえ、農作物の収穫は天候に左右されている。今治市に住む叔母が、今年もふるさとの新米を送ってくれた。80歳近い叔母夫婦が丹精して作ってくれたお米だ。
小さいころに手伝いをした、黄金色に色づいた田んぼの稲穂が目に浮かぶ。叔母の家はわが家からひと山越えた所にあり、父が手伝いに行くときは単車の後ろに乗って必ずついて行った。
ついて行っても小学生の私にできることはあまりない。刈った稲をよいしょよいしょと稲架(はざ)まで運ぶのが私の役目だった。汗をかきながらも楽しそうにしていたら、いとこが言った。「仁美ちゃんは、たまに来て手伝うだけだから楽しいかもしれないけれど、僕はいつもせんといけんのだから」。その言葉が、40年以上たっても忘れられない。
保育園のころ、「一粒のお米にも万人の人の苦労がこもっています。感謝をこめていただきます」と言っていたのを、今でも覚えている。炊きあがった新米を感謝をこめていただいた。
(2011.09.25 愛媛新聞「へんろ道」掲載) 岩國エッセイサロンより転載