
昭和20年の終戦後、私たち家族は山村に住んでいた。
父は教師で、母は子育ての真っ最中。食糧不足の毎日。子供は9歳の姉を頭に3人いて、私は6歳、弟は4歳で食べ盛り。ある夕暮れ時、父が熟した柿を枝ごと土産に帰宅。子供たちは柿に目を向ける。父いわく「食べたいなら、早く足を洗うこと」。我先に田んぼの向こうの川辺に急いだ。先に走った姉はもう折り返して来る。
私が足を洗う時「ピーヒョロロ」とカッパの声。怖くて弟のことも頭になく即、家の方へ。それほど柿に魅了されたか。子供の頃が懐かしい。
肝付町 鳥取部京子 2012/10/12 毎日新聞鹿児島版掲載