52歳で現役を退き、静岡県から霧島へ移り住んだ私にとって、ふるさとは年を重ねるごとにただただ懐かしいものとなりつつあります。美しい山河はもちろんですが、それにもまして望郷をかき立てられるもの、それは友です。
中学時代、400人近くいた学年の中、学業で私の前に壁のように立ちはだかっていた2人の秀才がいました。そのうちの一人は生徒会長。調子づいて立候補した私が完敗した相手です。心の中では「友達になりたい」と願っていましたが、それもかなわず、あっという間に50年の月日が。
そこで私は一念発起。隠居生活の傍ら手を染めた俳句、短歌、川柳、エッセーを文庫本に仕立て、あいさつの手紙と共に送ったのです。
当時の私への印象が芳しくなければ、縁がなかったものとして諦めようと決めていました。さて、その結果は……。
生徒会長をしていた彼の方は県立高校の校長職を勇退していましたが、美しい手書きのお便りを何度も頂く仲になりました。もう一人の友は、何と歌舞伎の演出家に。先日の九州公演の時には、わざわざ足を延ばして我が家に立ち寄ってくれたのです。
現在、ぼくたちが少年時代を過ごした「竜洋町」という地名はありません。だが、70歳を超えた私の胸には故郷の遠州灘や天竜川、そして竜洋中学がさんぜんと輝いています。
ありがとう、我がふるさと。ありがとう、我が友。
鹿児島県霧島市 久野茂樹(70) 毎日新聞 鹿児島版 男の気持ち掲載