「再出発」をテーマに
文学賞5編を紹介
第19回はがき随筆大賞の発表に併せて「再出発」のテーマで募集した文学賞には118編の応募がありました。その中から毎日新聞西部本社の松藤幸之輔編集局長らが選んだ入賞作5編を掲載します。
(順不同、年齢は執筆時)
家族
「人は自ら望んで家庭を作り、やがて孤独に陥る」。私が昔読んだ文章。息子が結婚して、2人目の子供が生まれると、顔つきがきつくなっていった。
嫁は幼い2人の子供に手いっぱい。会社の悩みもあったのか心を病んで休職。「死」を口にする息子におびえ、嫁は2人の子を連れて実家に帰っていった。
週に何度か会社に行く息子もやがて復帰。孫息子が「パパと暮らしたい」と。小学校入学を機に元の家族に収まった。
帰省した息子に「よう、はい上がったね」と背をなでる。目頭を押さえた息子が「家族が居るけんね」と答えた。
大分市 桑野みちえ(74)
介護の再出発
小鳥たちの声で目が覚める。一時、楽しみ、また老老介護の一日が始まる。今までは何もかも必死に背負ってきたが、これでは共倒れになる。半分見て見ぬふりをしよう、手を貸しそうになるのを我慢して陰で見守る、と考えを変えたら気持ちが楽になり、玄関先の花も増えてきた。
好きな手芸でマスクを作ったり、季節の野菜の苗を植えたりして昔の生活に戻れた。それでも夫の世話は変わらない。
仕方なくではなく、私に与えられた生き方と思うようにした。本人が一番つらいはずと気づき、もっと優しく接しなくては、と自分に言い聞かせている。
福岡県中間市 永田ふみ子(74)
逢瀬の歌
青い空の下、夫と息子が遊んでいる。私は洗濯物を干しながら「この時が一番好き」と言うと「平凡だからいいんだよ」と返す夫。25年前の記憶がよみがえる。
海外赴任中、夫は病に倒れ、平凡な生活は一変、闘病の末、他界した。無念で私は受け入れられずに4年が過ぎた。
前に進むため、亡夫の誕生日を機に整理を始めた。ギターを弾きながらイベントで歌っている映像がみつかり「お父さんに会いたくなったら見たら」と息子が勧める。そこには元気な笑顔の夫がいた。
今でも時々、夫と画面越しの逢瀬を重ねている。
宮崎県串間市 梅田絹子(64)
最後の再出発
父は91歳で突然母に先立たれた。口から出る言葉は母のことばかり。所構わず人目もはばからず涙を流す日々だった。
そんな父を緑一色の広大なお茶畑に誘う。かつて母と共にお茶の栽培に精を出したところだ。「ええ眺めじゃ」。つえに寄りかかり四方を見渡して目を細める父。
外地から復員して米作、たばこ栽培に挑んだ再出発。さにらお茶栽培が加わり、三足のわらじで眠る暇もない。「二人でよう働いた」。父は自分に言い聞かせるように、きっぱり言う。
以後、涙は消え、母のいない父最後の再出発が始まった。その後、6年を生き抜いた。
山口県美弥市 吉野ミツエ(72)
閉山草
毎年、初夏になると空き地などで一斉に立ち上がり、秋に黄色の花をつけるセイタカアワダチソウという植物がある。約40年前にはエネルギー革命に敗れた炭鉱が次々に閉山に追い込まれ、その跡地に咲いていたため、閉山草と命名されていた。
炭鉱マンの多くの仲間は次々に全国に散り、全く違う職に就いた。挫折を繰り返しながらもお互いに励まし合って現在に至っている。石炭の現物を見ることもなく、炭鉱、閉山の言葉ももはや死語の時代ではあるが、戦後の復興を担った第一線の炭鉱マンへの最後のはなむけがこの閉山草であろう。
山口県下関市 河野 京(82)