はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

懐かしい題名

2020-06-17 13:00:44 | はがき随筆
 テレビの画面に青々とした麦畑。そばを自転車で走りながら火野正平が言った。「麦がそよいでる、ええ景色やなあ。『ライ麦畑でつかまえて』やね」と。
 わあ、懐かしい題名。息子が大学生だった頃「先生に薦められたから」と買った本である。彼の本たての隅にずっと並んでいた。40年近く過ぎたいま、内容も品の行方も忘れてしまった。
 秋田に単身赴任中の当の息子は、コロナ騒動で横浜の家族の元へ帰れない。「本を読む時間が増えた」と言う。「『ライ麦畑でつかまえて』でも読んだら」と言うと、゜「なに、それ?」だって。
 宮崎県延岡市 島田千恵子(76) 2020/6/16 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆5月度

2020-06-17 12:28:39 | はがき随筆
 月間賞に廣野さん(熊本)
佳作は逢坂さん(宮崎)、田中さん(鹿児島)、竹本さん(熊本)

はがき随筆の5月度受賞者は次の皆さんでした。(敬称略)

【月間賞】13日「手仕事」廣野香代子=熊本県八代市
【佳作】11日「生きることの尊さ」逢坂鶴子=宮崎県延岡市
▽18日「ヒゲダンス」田中健一郎=鹿児島市
▽16日「家内へ」竹本伸二=熊本市東区

「手仕事」は、手作りマスクにまつわる、姉妹間の優しい思いやりが内容になっています。5月の投稿には、新型コロナウイルスに関するものが非常に多く、またそのほとんどがマスクに関するものでした。興味深いのは、いわゆるアベノマスクへの風刺などはなく、完全に無視されていて、手作りマスクを通じて、人と人とのつながりや、手作業の楽しさなど、皆さんの耐えて生きる賢さが現れていることでした。「手仕事」を取り上げたのは、手作りマスクの詳細な描写、それを作ってくれる姉の作業の様子やその心境、妹への思いやりなどが、美しく描かれているためで、コロナ禍の中の涼風を感じました。
 「生きることの尊さ」は、夫君と死別された後の、子息との生活の困難さと、現在のコロナ禍の苦痛とを比べてみたという内容です。今考えるとその頃は生きるのに精いっぱいではあったが、悲しみは生きることの尊さを教えてくれた。さて現在は、何を見つければよいのか、私たちに付きつけられた難しい問題です。
 「ヒゲダンス」は、急逝された志村けんさんに関する挿話です。彼が好きで、会社の忘年会でヒゲダンスを必死に踊ったら、大喝采であった。機会があればまたやってみたい。私は彼のテレビも見たことがありませんが、一芸能人の死がこれほどの影響を与えたことには驚きました。政治家の棒読みの答弁などよりもはるかに切実に、コロナの恐ろしさを私たちに教えてくれました。思いやりのある追悼文として読みました。
 「家内へ」は、急逝された奥様への哀悼と感謝の言葉です。全くの他人同士が60余年を共に暮らしたこと、それに感謝の言葉ひとつかけなかったこと、すべてが後悔してももう遅い。せめて遺影に「ありがとう」と声をかけたら「幸せでしたよ」とほほ笑んでいるように見えた。私たちの人生はみな似たようなものかもしれませんが、それを淡々と書かれたことに、静かに落ち着いた気分が流れていることを感じました。
 鹿児島大学名誉教授石田忠彦

◆ 係から
 廣野さんの月間賞を巡るインタビューが28日(日)午前7時10分からのМRT宮崎放送ラジオ番組「潤子の素敵に朝!」で放送予定です。「宮崎ほっとタイム」(水曜午前9時15分から5分間)の中でも掲載作が朗読されることがあります。
 また、МBC南日本放送ラジオでも、掲載作が27日(土)午前9時半すぎから朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。


呼吸筋の運動

2020-06-17 12:18:47 | はがき随筆
 体の老化を遅らせるには体を動かせば効果があるのは理解している。でも、外出して手を振りながら足を交わしていると腰が痛く歩くのがつらい。
 あるパンフレットに呼吸筋を鍛えるタオル体操という見出しがあった。肩幅に広げた両手でタオルを握り、手を上に伸ばして、息を吐きながら上体を左側に傾け、息を吸いながら上体を起こす。右側も同じ動作をして、これを2分間繰り返すと、呼吸筋が活発化するそうだ。
 実行してみると肩や腰が痛い。そんな凝りや痛みを我慢して続けていると、痛みが和らいでいる。
 熊本市東区 竹本伸二(91) 2020/6/16 毎日新聞鹿児島版掲載

節目を迎えて

2020-06-17 12:08:31 | はがき随筆
 年齢を出すのを嫌う人がいるが、私は平気。もうすぐ80歳になりますと誇りを持って言う。生まれた日から一日一日の積み重ねの2万9200日である。
 小さいときハシカと水ぼうそうが重く危なかったという。戦争もかいくぐってきた。父は戦死。母は女で一つで苦労して私を高校までやってくれた。就職、結婚、子育て。やがて祖母となった。14年前に思いがけなく夫の急逝に遭い、その5年後に母も見送った。今は気楽な一人暮らし。病気や手術もしたけれど、現在はとても元気だ。お蔭さまである。余命は知らないが、精いっばい生きていく。
 鹿児島県霧島市 秋峯いくよ(79) 2020/6/14 毎日新聞鹿児島版掲載