はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

時の記念日

2020-06-03 16:46:10 | はがき随筆
 6月10日は時の記念日。671年のこの日に、天智天皇が奈良で漏刻(水時計)を製作されたと日本書紀に記載してあるのがその理由だとか。
 私が小学校の頃は、昭和12年に火蓋を開いた支那事変(日中戦争)の最中であった。6年生の時、授業中に時の記念日に関係する標語を書かされた。
 「時間を大事にしよう」だの「非常時日本、守れよ時を」などと書いたものだが、Y君は「まだ早いが遅刻のもと」と書いて提出して優賞に選ばれた。
 同級生が絶えて久しいが、彼は元気にしているのかなあ。
 熊本市東区 竹本伸二(91) 2020/6/3 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆4月度

2020-06-03 16:13:55 | 受賞作品
 はがき随筆4月度受賞者は次のみなさんでした。(敬称略)

月間賞】9日「ちゃんと考えて」平田壮一朗=宮崎県都城市
佳作】15日「ヒゲダンス」矢野小百合=熊本市西区
▽28日「思いがけないゆとり」永井ミツ子=宮崎県日南市
▽17日「失くしたもの」久野茂樹=鹿児島県霧島市

 新型コロナウイルスの感染症対策として日本政府は4月に緊急事態宣言を実施。さらに5月末までの延長が発表された。全国の小中高校は3月から一斉休校となり、その間の卒業式や春休み、入学式などの自粛要請で異例のものとなった春4月。
 「未来のぼくへ」と投稿したのは11歳の壮一朗君。「ごめんね。お姉ちゃん」。素直に謝るだけではなく、取っ組み合いのけんかでお姉ちゃんを爪でひっかいてけがをさせてしまったことを手紙に書いたのです。未来を生きていくこれからの自分への決意。ちゃんと考えて「落ち着いて」。壮一朗君、多くを学びましたね。
 コロナウイルによる感染症の死亡者は日本でも600人を超えると伝えられています。お茶の間の人気者のコメディアン、志村けんさんの感染死をしのんだ「ヒゲダンス」。困難でなかなかうまくいかないことも、きっとできる。彼は笑顔で拍手して応援してくれている。小学生の頃からのお気に入りの芸人の突然の死を惜しみつつエールを送る、矢野さんの心温まる作品。
 「コロナ」の影響で時間は無限にあるように感じると、捉えている永井さん。自粛生活の中で過ぎし日の忙しさを取り戻すように自然とたわむれている情景は読む者の気持ちを和ませます。ウグイスの鳴き声、ご飯をマキで炊く、山菜採りに行く……。緊急事態宣言は夫とのゆとりの時間の大切さ、かけがえのなさを気付かせてくれたのですね。
 「失くしたもの」。今こそ身に沁みて考えるとき。「ぼくたち大人は、働くことに一生懸命で何かを失くした。そして大人たちの多くは、何かを失くしてしまったことさえ思い出せずにいる」と久野さんは書きます。与えられた命を全うする。元気に生きていくこと。忘れてはいけない大切なこと。
 パンデミックと称されたコロナウイル感染症は世界を大混乱に陥れて各国が感染を食い止め死者が出ないよう必死。街中はひっそりとしています。その変化をはがき随筆にして投稿。かつてない風景、想いを共感し、一日も早い終息を願っています。
 日本ペンクラブ会員 興梠マリア





イペーでハッピー

2020-06-03 16:01:46 | はがき随筆
 「今日はどこを歩こうか」。4月初めの自粛生活の中、橋を渡って隣町を歩いていると、ラッパ状の大きな黄花が大空に咲いていた。初めて見る花だ。
 調べるとイペーという花で、なんとブラジルの国花(木)であった。気に入り何度も足を運んでいると、この町の家々や公園に40本程咲いていた。
 4月末花も散って来た頃、公園でイペーが好きで庭に3本植えている方と出会った。花後にインゲン豆のような種ができますよと教えていただいた。すると種や緑葉紅葉落葉開花まで興味が膨らみ、この町でのウオーキングは来年まで続く。
 熊本県八代市 今福和歌子(70) 2020/5/31 毎日新聞鹿児島版掲載

白いカーネーション

2020-06-03 15:54:45 | はがき随筆
 終戦の翌年、国民学校の1年生。子供10人を遺して母が逝った。父を中心にみんなで協力した。
 まだ「花より食糧増産」が優先。母の日に授業の図工で、カーネーションを作った。みんなは赤だ。私だけが白い花だった。だが普段「母がいない自分」を不憫には感じていなかった。
 だが、就職後初の正月に大阪から広島へ里帰りした。父は大変喜んでくれたが「ヨー帰ったの!」の一言だけだった。
 母が居てくれたら、根掘り葉掘り問うてくれたのではと。はじめて「母の存在」の素晴らしさを実感した。戦争未亡人の母代わりの姉に甘えた。
 宮崎市 貞原信義(81) 2020/5/29  毎日新聞鹿児島版掲載

土に返る家

2020-06-03 15:35:49 | はがき随筆
 棟梁の知人がいる。大工仕事に魅了され、脱サラした元同僚だ。大工に弟子入りし、また夜学に通って修行を積んだ。1級建築士の資格を得てから独立、もう20年余りになる。
 家には寿命がある。必ず解体される時が来る。彼はその時を考える。材料が土に返ることができるよう、「木の家」にこだわる。
 彼の建築現場に行くと、墨入れされた材木が、昔ながらの大工道具ののこ、かんな、のみなどで柱や梁に姿を変え、棟上げを待っている。昔の普請現場に近い。
 そんな彼がある店に立ち寄ったところ、たまたま古い大工道具の展示会が催されていた。その一つに刃のさびたかんながあった。彼は長年の大工が大切に使った物と直感、購入した。
 かんなの台は作りに狂いがなかった。刃を外して丁寧に研ぐとよみがえった。再び、刃を取り付けてかんな掛けをすると、きれいなくずが舞うように出た。
 「かんなを作った職人と、かんなを大切に使った大工の技がある」と彼は言う。私は、かんなも息を吹き返してさぞ喜んだろうと思った。
 土に返すこだわりは壁にも見える。「竹の木舞」を組み、壁土で仕上げる。柱や梁、ぬきなどのつなぎに金具はない。ほぞ穴に手作りした木製のくさびを打ち込む。木組みを知り尽くした造作に木の家を作るという細やかな気遣いがある。
 難点もある。彼の建築手法では時間がかかる。だからこそ、彼の手作りした家がいい。新築見学の案内を待ちたい。
 北山清勝(79) 岩国市