はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

消えた? 宝石箱

2015-01-22 21:55:43 | はがき随筆
 「プラモデルごたっど」悪口じゃない。住宅建築の様子を見てそう思う。木材のパーツを外から選び、電動鋸で長さを調整し、圧力銃で打つ。効率よく住宅が完成していく。
 小刀を持ち歩き、切れ味や、はがねの色味を競った少年時代から刃物に魅了されていた。普請場の大工さんの仕上げ鉋が紙のような薄板を1㍍以上も吐き出す姿に見とれ、木の香りにうっとり。用途別に手入れされた鉋や鑿などが並ぶ道具箱は宝石箱に思えてまぶしかった。
 トントントントン。のどかな金槌の音も木の香りも消えてしまった。あの宝石箱も……?
  出水市 中島征士 2015/1/18

春よこい

2015-01-21 14:43:16 | 岩国エッセイサロンより
2015年1月20日 (火)



 岩国市  会 員   中村 美奈恵

お正月、家族で神社へ初詣に行った。
 手を合わせた後、おみくじを引くと、私と三男が中吉だった。
 一番気になる「学問」を読む。
 私のは「目標を早く定めよ」。息子のは「己の甘さを戒め学問に精進せよ」。  

なんと、まあ!  
 正社員を目指し昨秋から学校に通っている母と、2カ月後に高校受験を控えた息子のことを神様はお見通しだ。
 記憶力の衰えにもめげず、ゲームの誘惑にも負けず、二人で頑張ろう。
 息子のしかめっ面を笑いながら、木に結びつけた。
  (2015.01.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

あの日から…

2015-01-17 17:58:26 | アカショウビンのつぶやき
阪神大震災から20年、今朝の新聞は震災関連の記事で埋まっている。

たくさんの痛ましい別れがあり、人に語れないような悲惨な状況を体験した方々も多い。


あの朝は私にとっても、被災者の方々と同じように切ない思い出が残る。

あの日、私は手術後1週間目のまだ動くこともままならない夫と鹿児島市の病院にいた。
長引く看護に疲れ果てた私は、夫のか細い声になかなか起きられず、やっと起き上がった時は、テレビの画面いっぱいに火の手が上がる場面に釘付けになった。

しばらく無言で眺めたあとにつぶやいた私の一言は。

「お父さんこの地震が鹿児島でなくて良かった、ここだったら私たちは助からなかったよね…」

夫は無言だった。
そして気付いた、なんと言う言葉を口走ったのだろう…と後悔した。

その時、夫は末期の腎臓がんで、手術しても余命6ヶ月と告げられていた。
そして半年後、夫は自宅での看取りの中で静かに命の灯が消えた。

そして20年、生涯忘れることの出来ない、震災と夫との別れ。
私にとっても長い長い20年だった。


神戸でも震災を知らない世代が半数となったという。
地震国日本の宿命…地震はいつどこで起きるか分からないし、地元桜島の活発な活動も収まる気配はない。
必ず起きる、大災害にどう対処するのか?

日本人の叡知が問われる所だろう。

今年の年賀状

2015-01-17 17:45:49 | はがき随筆
 年賀状作りは夫の担当。これまで、親戚へは夫婦連名で、それぞれの友人、知人には個人名で作ってきた。3通り必要なのだ。手間がかかる。「もう簡単に2人の連名でいいかも」と話すと、夫は瞬時に怒り「自分の好きなようにする」と。
 一言返そうとしてやめた。せっかくやる気でいるのに、夫の気持ちをそいでしまった。「ご免、お父さんに任すよ。あと何年一緒にいられるか分からないから仲良くしよう」。無言の夫。作られた年賀状は一通りで、表には個人名で、裏には夫婦の名前が並んでいた。もらわれた方々は戸惑われたでしょうか。
  いちき串木野市 奥吉志代子 2015/1/17 毎日新聞鹿児島版掲載

幾つになっても

2015-01-17 17:37:08 | はがき随筆
  岩国市  会 員   吉岡 賢一

 目が覚めると、真っ新な肌着上下が枕元に置かれている元旦。寝起きのぬくもりを捨て、冷たい肌着に袖を通す。子供心に抵抗はあったが、元気で爽やかに過ごせと願う親心の前には不平など言えはしなかった。 
 そんな験かつぎにも似た習慣も、大きな時代の流れと共に忘れ去ったまま大人になった。それでも「正月は冥土の旅の一里塚」と、浮かれ過ぎを戒めた母の声は今も耳に残っている。
 365日を一区切りに、人並みに英気を養った正月も往った。新たに始まった七十路のこの1年。どんな冒険や出会いが待っているのだろうか。
    (2015.01.17 毎日新聞「はがき随筆」掲載) より転載

小6の孫 コイ魂に火

2015-01-17 17:33:56 | 岩国エッセイサロンより
2015年1月17日 (土)

    岩国市   会 員   吉岡 賢一

 孫3兄弟の真ん中で小学6年生の次男は、おとなしく、絵を描いたり本を読んだりするのが好きなタイプ。昨年9月、そんな彼を誘って広島東洋力ープの応援に行った。
 ルールも完全にはのみ込めていないから、野球よりもマツダスタジアムの施設や店のにぎわいを喜ぶだろうと、高をくくっていた。 
 球場に着き、うねりをあげる大声援に少し慣れたと思ったら、人が変わったように、自己流ながら真剣な応援を始めた。
 ヌンチャクバットを打ち鳴らし、大声を上げて一役一打に喝采とため息。カープは完敗したが、後ろの老夫婦が「お兄ちゃんの応援のおかげで楽しかった」と喜んでくれた。
 新生緒方カープ。たゆまぬ「常昇魂」で、今年こそりーグ優勝はもちろん日本一を勝ち取ってくれるに違いない。
 ふとしたことで火が付いた孫の新たな成長ぶりと合わせ、期待に胸膨らむ一年になりそうだ。一試合でも多く、彼を誘ってスタジアムに通いたい。

    (2015.01.17 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

秘訣

2015-01-16 20:49:52 | はがき随筆
 88歳の頃、病院の番取りにいった。玄関前に数人の雑談をしている待ち人がいて、私もその中に加わった。私を一番年長と思ったのか、その中の1人から「長生きの秘訣は何ですか」と問われ、あまり考えもせず「よか物を食わんこつ」ととっさに言った。人に言えるような特別なことをしているわけでもない私は、美食を追い求める今日を考え合わせると「それはそうかも」と思うようになった。大正~昭和初期の世界を巻き込んだ大不況の時代に粗衣粗食で人となった。3月で94歳になる私に「よか物は食わんこつ」が身についているのかと思える。
  鹿屋市  森園愛吉  2015/1/16 毎日新聞鹿児島版掲載 

はがき随筆12月度

2015-01-16 17:56:45 | 受賞作品
 はがき随筆の12月度の入賞者は次の皆さんです(敬称略)

【月間賞】1日「ごめんね」西尾フミ子(80)=鹿屋市新栄町
【佳 作】4日「紫尾の里さんぽ」小向井一成(66)=さつま町宮之城屋地
【佳 作】11日「地引き網」新川宣史(66)=いちき串木野市大里


 ごめんね 買い物の帰りに、重いカートにてこずっていると、小学生の男の子が声を掛けてくれた。その好意を断ってしまったことへの悔いが内容です。小学生とのやり取り、その後の後悔が、軽妙な文章に綴られていて、ドラマの一シーンを彷彿とさせるように鮮やかです。
 紫尾の里さんぽ 生まれ育った古里を散歩してみたら、悪ガキの頃が懐かしく思い出されてきた。そこは素晴らしい天空集落なのだが、今や限界集落と化していた。政府の唱える、ふるさと創生もここまでは届かない。あの古里の再生を願っても、詮無いことか、思いは複雑です。
 地引き網 かつて地引き網で賑わった海岸に出てみたら、網元の網舟、伝馬船の旗、引き子、手伝いの小学生らの喧噪が蘇ってきた。しかし今は、網小屋はもちろんのこと、豊潤だった海も砂浜も無くなってしまった。「紫尾の里さんぽ」も同様ですが、故郷が、自然が、そこに済む人が急速に変化し、失われつつあります。懐かしがってばかりではいられない自体が、目前に迫っているようです。
 この他の3編を紹介します。 
 種子田真理さんの「元気で長生き」は、健康で、89歳のご母堂の長寿を周囲は喜んでくれるが、本人は、夫にも友人にも死別し、「つまらない」と言うという複雑な内容です。長寿社会の現在、超高齢者の特に心の問題は新たな課題のようですね。
 宮下康さんの「引き継ぐ思い」は、母親は、毎朝仏壇の供花をきれいに整えて、先祖を供養し、家族の幸せを祈っていた、それが母の死後自分の日課になったという内容です。ある時から、母親の思いが理解されてくる様子がよく表れている文章です。
 岩田昭治さんの「うぬぼれか」は、読みたい本を出版元に直接注文する時の功罪(?)か洒脱に書かれています。いわゆる店売り、ネット通販、直接購入など、本の入手方法も多様になってきていますが、このようにそれぞれを楽しむの自慢の種かもしれません。
  (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)

新しい年

2015-01-16 17:49:32 | はがき随筆
 無事迎えられた元旦。1日変わっただけなのに周囲はすっかり静かである。今朝は初雪が降り、野も山も白く輝いている。庭に出ると水仙が凜と咲き乱れ、紅梅の枝先につぼみがかすかに膨らんでいる。松飾りが取れると、再び多忙になってくる。
 考えてみると、苦しみや辛さが人間をより豊かにしてくれる。いつか80年の人生が過ぎていく。残り少なくなった人生を心豊かに生きてゆきたいものである。人に優しく、自分に優しく、そして自然にも優しく接しながら、「今年こそ1歩でも進んでいこう」と明るい気持ちで生きてゆきたい。
  出水市 橋口礼子 2015/1/15 毎日新聞鹿児島版掲載

野ウサギ 

2015-01-16 17:43:24 | はがき随筆
 雪や霰が舞う正月は何年ぶりのことだろうか。今年は楽しみが確実に上演されそうです。私たち野ウサギは満を持して待っていたのです。人の子たちが増え、私たちのエリアが脅かされ始めると、私たちの後を継ぐ者が少なくなりました。しかし、時と共にそばにいたはずの人が居なくなり、それで私たちは潤うはずでしたが、逆に楽しみが薄れ廃れていったのです。それが久しぶりに雪積む原野が出現しそうです。中学校全員での浜辺の松林の中のウサギ狩り。
 お互いが緊張ある時の方が繁栄すると知らされ、雪の中の出番が楽しみなこの冬です。
  いちき串木野市 新川宣史 2015/1/14 毎日新聞鹿児島版掲載

年賀状雑感

2015-01-16 17:36:35 | はがき随筆
 元旦は年賀状がどさりと届くのがいい。届いた賀状はそれぞれの顔を思い浮かべて、丁寧に見る。添え書きにはその方の人柄がうかがえて、心が弾む。
 作家の池波正太郎さんは5月から師走にかけて、少しずつ宛名を1000枚書かれていたそうた。私などもっと早く準備しておけばよかったと、いつも後悔する。
 定年後、ボランティアや趣味の仲間が加わり、300枚出す。「高齢なので、来年から賀状失礼したい」と友人から届いた。やめ時も大切だが、年に1度のお付き合い。頭と体が元気なうちはまだまだ続けていきたい。
  鹿児島市 田中健一郎 2015/1/13 毎日新聞鹿児島版掲載

我が輩は……

2015-01-16 17:29:25 | はがき随筆
 我が輩は犬。プリンと何やら洋菓子のような名前を付けられておる。
 先祖様は、鳥猟で獲物を回収する水猟犬だったとか。その血が騒ぐのか、猫でも見かけると、猛突進してほえたてる。その時、ご主人に一喝され、サッシをピシャリと閉められる。しがない室内犬の不満が鬱積する。
 しかし、我が輩が体調を崩した時、なりふり構わず病院に駆け込んでくれた。その時以来、信頼の絆が生まれ、べったりなのだ。「今年から高齢者だわ」とこぼすご主人に〝元気なシニアでいて〟と願っておる。皆様も良いお年で。ごきげんよう。
  出水市 伊尻清子 2015/1/12 毎日新聞鹿児島版掲載

初春に思う

2015-01-15 20:31:50 | はがき随筆
 「羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹……」。しかし、どうして羊なんだろう。羊が優しいからでしょうね。「狼が4匹」では怖くて寝られませんよね、やはり羊ですよ。それに羊は昔から非常に人類のためになっています。羊毛は衣、マトンは食、毛皮は防寒、皮はいかだ、ほかにもいろいろ役に立っています。凶暴性がないので飼育しやすいのです。さあ、その羊の年がやって来ました。今年は未年です。未年がくると未来が見えて来ます。クールジャパンの良い年ですよ。希望を胸に抱いて一緒に参りましょう、元気を出して。
  鹿児島市 野幸祐 2015/1/11 毎日新聞鹿児島版掲載

楽しみも

2015-01-15 20:22:46 | はがき随筆
 文化教室2015年冬の講座の表紙に、妻の陶芸作品(羽子板、靴、花車)が、ものの見事に掲載された。17年間、妻が陶芸に打ち込んだ成果であろう。羽子板。他にまねの出来ないほどの出来映えで、年度もニコニコ喜びにあふれている感じである。天文館の料亭? に飾ってくださると購入していただく。妻の喜び、創作意欲は倍増している。花車は玄関にと、靴だけは我が家に。娘の嫁ぐ時に一緒にか。2015年の夢も脹らみを増していることだろう。粘土は、妻の芸術性で生かされ、新しき作品に生き生きか。15年、楽しみも増すか。
  鹿児島市 岩田昭治 2015/1/10 毎日新聞鹿児島版掲載

ぼくの昭和史3

2015-01-15 20:15:53 | はがき随筆
 終戦の意味を理解できないぼく。防空頭巾をかぶり、手をひかれて松の下に隠れる必要が無くなったことと、つい先日新聞を見ていた母が、すごい爆弾が落ちたとつぶやき、自分たちへの恐怖を感じたが、その不安が消えたように思えた。
 情報源の4球ラジオを真剣に聞く母が、戦争が終わったとは言わなかったし、聞き取りにくい音声を理解するには幼すぎる。ただ晴れて暑い日の記憶はある。一方、状況の変化は歴然で、電球を覆う黒い布は無く、警報の放送も消えた。しかし、不安が全て消えたのは、復員した父の膝に抱かれた時だと想う。
  志布志市 若宮庸成 2015/1/9 毎日新聞鹿児島版掲載