風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

観音遍路満願旅 219号

2008年01月22日 10時25分13秒 | 青春18きっぷ
冬の青春18切符期限切れ寸前の19日、最後の1回分を消化する為に西国三十三所観音巡礼の難所・第4番札所の天台宗槇尾山施福寺を参拝することにした。仕事の休日に13年間懸けて訪ね歩いた残された最後のお寺である。

寒い冬に暖かい寝床を抜け出す勇気を与えてくれた考えは、2300円を無駄にしてはならないという貧乏人根性である。ハングリー精神は一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。5回分で10500円の切符は過去4回で購入価格以上の運賃を稼ぎ出したのであるが、まだ2300円残っていると考えるのは筋金入りのさもしい貧乏人である。

夜の明けない6時半に自宅を出て、街灯の輝く人のいない道を徒歩で岡崎駅に向かう。7時9分発のJR東海特別快速で米原到着は8時46分。8時52分のJR西日本の新快速は大阪に10時13分に到着する。環状線で京橋を経由して天王寺にゆき、関空・紀州路快速で和泉府中駅に辿り着いた。大型バスが入れない小さな駅であるから、500m程歩いて和泉府中車庫前の停留所で11時50分の父鬼行きの南海バスで和泉中央駅を経由して12時27分に槇尾中学校前に到着。

12時40分のオレンジバスに乗り換え12時52分に槇尾山に到着した。6時間を越えた長旅である。このバスが最終便であるから、乗り遅れると当日に帰宅するために、タクシーや新幹線の為の経費が増大する。

施福寺は仏教伝来538年頃の創建で日本有数の古寺である。役の小角、行基菩薩等の山岳修行の道場であり弘法大師 空海が勤操大徳について出家得度した寺として有名である。役の小角は神変大菩薩であるが修験道の開祖で比叡山天台宗の千日回峰行はその流れである。行基菩薩は東大寺大仏を造営し、空海は満濃池を整備した技術屋であるのはご縁なのだろう。私も技術屋の末席を汚した。

西国観音巡礼の最大の難所は第11番札所・深雪山上醍醐寺であり、次席難所がこの寺である。上醍醐寺の時は観音様と女房がいたから旅姿三人で苦痛は33%であったが、今回は観音様と苦痛を分け合っている。古典仏教で指摘するように、女の性は罪深い浮気者である。ヨン様・ソン様に心移りしている。だから今回は観音様と二人旅である。

金堂までは急峻の山道である。日々酒を飲み、怠惰な生活をしている運動不足の私は地獄の苦しみである。因果は巡るのである。息が切れ動悸が激しくなり太腿が痛い。人が追い抜いていく。喘ぎながら休みながら登っていく。坂の上を見ると引き返したくなる。若ければ20分程度で登れるだろう。年老いて半分の速度なら2倍の時間をかければ行き着ける。

暫くすると歩く勘所を掴めた。足元以外は見ないことだ。そして歩数を数える。階段を数える。30になったら休もう。次は50になったら休もう。階段の踊り場で休もう。一歩を踏み出す勇気を持とう。一歩一歩の積み重ねがやがて金堂に運んでくれる。難行苦行の結果の境内からの岩湧山・金剛山・葛城山のパノラマは雄大で静かである。諦めなくて良かった。

納経帳に御朱印を頂戴し、最後のお寺であることを伝えると、満願の証の御朱印を別途押印して頂ける。

茶店が境内にある。時間に追われ呑まず食わずで、腹ペコである。缶ビールが並んでいる。禅寺では『不許薫酒入山門』の表示で酒を禁止しているから意外だったのであるが、帰りのバスまで2時間ほどの余裕があるので、おでんを肴に缶ビールで満願の祝宴を一人ぽっちで始めた。苦難を乗り越えた後の缶ビールはことのほか美味い。観音菩薩の贈り物の泡般若湯である。

店番のお婆さんが4km程山を下ると時間は分からないが槇尾山口にバスが来るという情報で歩くことにする。その勇気を与えてくれたのは、泡般若湯である。喘ぎながら登って来る巡礼者に『もう少しだからがんばって』なんて調子の良い言葉を投げ掛けるのは、私でなく泡般若湯である。1時間歩いて到着した停留所には、直に和泉府中行きの1時間に1本のバスが来る。事実は小説より希なり。観音菩薩が乗り移ったのだろうか。信心は御利益がある。

天王寺行きの快速に乗り、大和路快速で奈良駅に行き柿の葉寿司を購入して、都路快速で京都を経由して米原・大垣で乗り換え岡崎に到着したのは21時45分である。あえて文明の利器を最小限にして苦難の旅にしたのは、単なる物見遊山でなく修行の遍路であるからである。15時間程の旅は終り、13年の観音巡礼も満願である。旅の終わりは新たな旅の始まりで、四国八十八カ所遍路が待っている。

追記 紀州路快速で大阪を経由して帰宅したら、1時間早かったようである。山のバスで節約した1時間は、帰りの電車で浪費してしまった。損得は存在しないようで、時間の経過で相殺され零になるようである。仏教の空観でお釈迦様が紀元前に言っている。
罪深い女性も成仏できるとしたのは、法華経の統一と平等を主張した最澄である。女性も必ず救われるのである。

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