現在の鍼灸の世界の全体をアバウトにでも知りたいとの思いから「連動企画 ツボの選び方1・2」(『医道の日本 1・2月号』所収)に眼を通している。 鍼灸は科学化=学問化されるべき、との思いを専門的に鍼灸、東洋医学に関わりを持つようになって以来、持ち続けているので、現代の鍼灸が科学化されないのは何故なのか?そのためには何が欠けているのか?との思いは当初より持ち続けている。 それ故、今回の『医道の日 . . . 本文を読む
標治、本治ということを古代中国の人類のアタマのレベルから考えると、そんなことはあり得ない、あり得なかった筈、と思える。 東洋医学(鍼灸、漢方薬等)の世界には、古代中国の医術医学を至上のものとする信仰が存在するように思える。そこから、人類の歴史性を無視しての、が東洋医学の世界には多々あると思える。例えば標治、本治について、「標は現象であり本は本質である。我々は本を脈診により証として捉えて、それ . . . 本文を読む
東洋医学の論理のレベルから東洋医術の問題を考える。
『全集第三巻』で、東洋医学の中身(論理のレベル)を説いていただいてる。
「この医学(......東洋医学)は、まず身体に表れている面から病気を見てとります(身体の内部、つまり実際の筋肉や骨や、特に内臓の実体には分けいらないのが、いわゆる東洋医学の成立過程です)。確かにそれでも病気はある程度は治せるようになりますが、病気とは何か . . . 本文を読む
鍼灸の世界の現状は、(自身にとっては)人類の歴史性に学ぶことを怠ったがゆえの惨状と思えてしかたがない。そして、この流れはもう定まってしまっていて、「病膏肓に入る」の感があると諦めにも似た思いが自身にはある。
しかしながら、そんな思いでいるときに『誰にもわかる経絡治療講話』(本間祥白著 医道の日本社)に出会った。一読して、鍼灸の世界にもかつては志高く「鍼灸の科学化」を目指した方がいたのだと、鍼灸 . . . 本文を読む
東洋医学を専門とするかたと会話するたびに思うことが、論理のレベルということがお分かりじゃあない、のだなあということである。
あることがらに関して、事実として正しい(効果がある)と思えることと、そのことが正しい(論理的である)といこととを、ゴッチャにしているというか平面的に考えてしまっている、もっといえば、自身の論理の(東洋医学の)正しさを主張したいが為に、論理としては、常識レベルですらおかしな有 . . . 本文を読む
「太陽の塔」の修復の二重性について、NHKラジオで語られていた。これはまさに東洋医学・古典の学びかたである、と思える。
「太陽の塔」とは岡本太郎のプロデュース?で70年の万博の時に作られたものである、が50年近くの年月が経って内部の展示(生命の樹)が壊れたり部分的に失われたりしている、のでそれを修復して公開することとなったのであるが、その修復の方法論について今朝のNHKラジオで語られていた。
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国家試験過去問を先達は何を成そうとしたのか、との問いかけで見直していくことで、鍼灸・東洋医学を如何に学ぶべきか、が次第次第に明確になっていって......と思える。
「学問を志す者は、先達を単に批判するだけでは自らの堕落への道となるだけだから、大事なことは先達を完成させるように論じることなのだ」と『学城 第16号』の「編集後記」で説(解)いていただいていることに感銘をうけ、鍼灸・東洋医学に関わる . . . 本文を読む
『空想から科学へ』でエンゲルスの説くこと、そのままに鍼灸論(東洋医学)の問題である、と思える。
端的には、これまでの鍼灸論は、それなりにの偉大な成果を含みながらも、鍼灸の、人間の、現実の科学的分析を欠く「空想的鍼灸論」であり、それに対して我々は、科学的(=歴史的、論理的)な立場に立つ鍼灸論を、「科学的鍼灸論」を構築して行かねばならない、ということである。
エンゲルスという人は本当に凄い人!その . . . 本文を読む
東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」というものはあるのか?と考えてみる。
12月の中旬から体調を崩してなんとか持ち堪えていたのが、先週末に鍼灸学校が冬休みに入った気の緩みからか、発熱するところまで行ってしまった。
せっかくの機会なので、「あらゆる病気に共通な筋道」ということを自身の事実で考えてみるとともに東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」というものがあるのか?と考えてみた。
当初は、東 . . . 本文を読む
「肝火上炎」を自身の事実で考える(思う?)ことを行なってみることで、ようやくにそのことが納得レベルで分かれた、イメージ出来たと思える。
昨夜の「審美六鍼」の授業、臓腑病証で患者を診て(問診、脈診、舌診、腹診等によって証を立てて)の施術であった。自身の相手に対しての見立ては、肝火上炎と腎虚証で、指導の先生にチェックしてもらい(実際に問診事項を提示して、先生に相手の舌診、脈診をしてみてもらってのチェ . . . 本文を読む
五行説について考える、それには弁証法の学びが必須である、と思える。
五行説はアバウトには、世界のあらゆるものを木火土金水の五つの性質に分け、それらが繋がりあって、循環しての世界の実在がある、と捉えるもの。
それゆえに、本能をほとんど失って自身のアタマで考えることで対象に、世界に関わっていくしかなくなってしまっていた、かつ考えるという実力も未熟で、本能や考えるということの不足を補ってくれる知識の . . . 本文を読む
経穴を問う上での疑問。問うてはならないものがあるのか?
鍼灸学校では「経穴とは診断点(反応点)であり同時に治療点である。」と教わり、また「経穴は中国四千年?日本千五百年の経験の積み重ねで有効性が確認されたものである。(から正しいのだ)」とも教わる。
しかしながら、自身の実践経験上からは概ね反応点=治療点であるものの、ときには反応点≠治療点、治療点≠反応点ということも無いでは無い。
そのことに . . . 本文を読む
西洋医学全盛である現代において(その限界も見えてきて、西洋医学自体も変革されようとしているが、それについては改めて説くこととして)、古来から伝わる伝統的な東洋医学をそのままに学んだり、解釈したりすることの是非について考えると、その困難性には二重性があると思えた。
昨日、『悟りを求めて・・・』(時々コメントをくださる、自由びとさんのブログ)を覗いたところ、ヘーゲルについて、「そもそも、ヘーゲル程に . . . 本文を読む