韓国雑記帳~韓国草の根塾&日韓環境情報センター&ジャパンフィルムプロジェクトブログ

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スンチョン湾保全運動の歩み~その2

2013-04-21 01:08:30 | 環境問題&有機農業

 昨日の土曜日から一般公開の始まった<庭園博覧会>、ニュースでも思った以上に大きく取り上げていますね。昨日の初日も天候が悪かったのですが、予想以上に入場者数が伸びたとか。まあ、関係者の皆さんはほっと一息というところでしょうか? ヒマな日本人が一番乗りになりたくて夜中の2時にゲート前にいったそうですが、それより前に並んでいた韓国人がいて、かれは見事(?)に2位。それでもテレビのインタビューにでていました。

 テレビのニュースを見ながらちょっと感じたのですが、庭園博覧会、化けるかもしれないですね。というのも、ヨス海洋博ではパビリオンの出し物が映像中心でがっかりしたからです。だって、<アバター>のようなすごい映画に慣れ親しんでいる今時の大人・子供を感動させるような映像なんかは、なかなかないですよ。テーマ館もひどかったし、日本館などは問題外でした。それとくらべると、庭園=ガーデンですから、実物です。時間帯や季節によって姿は変わりますし、直接の体験です。そしてなによりも、写真が撮れる! 問題は、庭園博覧会に来た人たちが、どれだけスンチョン湾の保全運動の歴史にきがつくかでしょう。

 さて、1997年11月にスンチョン湾で第一回の<葦原フェスティバル/순천만갈대제>が行われます。スンチョン市役所の無関心と一部住民の反対行動のなか、市民団体のメンバーのカンパとボランティアと使命感で行われたフェスティバルは、翌年に全羅南道10大フェスティバルに選ばれます。食べたり飲んだりするだけの普通のお祭りと違い、当時としては珍しい自然生態をテーマにした文化祭として実施されたところが評価されました。

 このようなフェスティバルと同時に、市民運動のメンバーたちは情報公開請求、行政訴訟、環境評価に対しての質問状の提出、監査請求といったさまざまな制度や権利を駆使して圧迫を加えていきました。そのため、スンチョン湾の直線化と砂利採取に賛成する住民と業者は一等反発し、フェスティバルのときなどは横断幕をかけたり、葦原に火をつけたり、ナベヅルのえさ場を妨害するため稲を倒したりしました。

 1998年になると、環境部、文化財管理局(天然記念物を管理します)、国立公園管理公団など政府の関連機関の訪問も盛んになり、市民運動側は国際的な連帯活動に力を注ぎました。その年の6月にソウルでスンチョン湾の保護を求める全国環境団体の共同声明が発表され、6月19日にはウェットランド・インターナショナルなど国際湿地団体の専門家がスンチョン湾を訪問して、スンチョン湾の保存を訴える記者会見を行いました。そして、1998年9月、スンチョン市はこれ以上砂利採取事業を推進することができなくなり、事業許可の取り消しを決めました。しかし、スンチョン湾に流れ込むトンチョンという川の直線化問題は解決せず、あたらしい問題点として浮上します。(続く)

スンチョン湾の目の前の食堂で、「灰貝」のフルコースです。