和歌山県岩出市根来にあるこの寺。
高野山の学僧であった覚鑁(かくばん、後に上人、興教大師)が1130年高野山内に
一堂を建て伝法院と称したことに始まるとされます。後、高野衆徒の間の不和により
覚鑁は根来の地に移ります。
寺はその後、戦国時代の政争に積極的に加担し盛衰を繰り返します。
(根来衆と呼ばれた僧兵の活動は様々な物語に語られていますね・・)
大門は一山の総門で、寺の中心より1kも東にあります。当時の広大な寺域を伺わせる
ものでしょう。現存する門は江戸後期の1850年の再建、高さ16.88m。
両脇の仁王も含め、力の籠った実に立派な二重門であると感じさせられます。(県指定文化財)
長い参道を歩くと大伝法堂をはじめ寺の中心に導かれますが、多くの建物は戦国時代の
戦火を罹り焼失、再建されたもの。当初より残るのは、大師堂と大塔のみです。
大師堂は1391年の建立。弘法大師を祀る簡素で趣ある風情のお堂です。(国重文)
大伝法院と大師堂の間で一際辺りを圧するのが大塔。(国宝)これは次回にも再掲します。
緑溢れる境内を歩くと、古色の五輪塔や石仏に慰められる・・根来寺は素晴らしい寺です。
大門
大師堂
大塔
石仏
百日紅
高野山の学僧であった覚鑁(かくばん、後に上人、興教大師)が1130年高野山内に
一堂を建て伝法院と称したことに始まるとされます。後、高野衆徒の間の不和により
覚鑁は根来の地に移ります。
寺はその後、戦国時代の政争に積極的に加担し盛衰を繰り返します。
(根来衆と呼ばれた僧兵の活動は様々な物語に語られていますね・・)
大門は一山の総門で、寺の中心より1kも東にあります。当時の広大な寺域を伺わせる
ものでしょう。現存する門は江戸後期の1850年の再建、高さ16.88m。
両脇の仁王も含め、力の籠った実に立派な二重門であると感じさせられます。(県指定文化財)
長い参道を歩くと大伝法堂をはじめ寺の中心に導かれますが、多くの建物は戦国時代の
戦火を罹り焼失、再建されたもの。当初より残るのは、大師堂と大塔のみです。
大師堂は1391年の建立。弘法大師を祀る簡素で趣ある風情のお堂です。(国重文)
大伝法院と大師堂の間で一際辺りを圧するのが大塔。(国宝)これは次回にも再掲します。
緑溢れる境内を歩くと、古色の五輪塔や石仏に慰められる・・根来寺は素晴らしい寺です。
大門
大師堂
大塔
石仏
百日紅
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