年末、ドキュメンタリー番組を観てて、「生き辛い人達」や「辛くても生きる人達」を目にしました。
一人で生きて行く事は大変です。
大変なのに、誰かの役に立てるならば、と献血をする人。
笑顔で献血ルームを出て行く姿は神々しく見えた。
声だけのヤングケアラーの大学生の話に、今の社会の闇を感じたけど、彼の声は、私にも重かった。
何故なら、私の発症当初に、幼かった長男・長女には、相当辛い思いをさせたであろうと昔を振り返ったから。
過ぎた事は変えようが無いから、考えないようにはしているものの、昨今のヤングケアラーの問題には、胸が痛む。我が子達も辛かったのに、何も言えなかったんだよな〜と、時間が経って気付いた母を、「しゃあねえな」と笑うだろうか。
ヤングケアラーの話題を見聞きする度に、古傷がチクチクと疼くのだった。
今、箱根駅伝での熱い走りが中継されている。
彼等は、自分の為もあるけど、チームの為に襷を繋ぐ為に走る。
独り走るマラソンとは、違う。
よく人生は、マラソンに例えられる。
人並みに言えば、折り返しを過ぎた私の人生。でも、人並みじゃないからな〜。異端になるから、それなりの覚悟です。でも、前向きでありたいと思う。
子供達も、そんな母の背中を見て育ってくれた。葛藤もあったはずだし、親を恨めしくも思ったはずだ。
子等の為にも、母は、前を向く。
一人じゃないから。子等の父たる夫が側にいてくれる。私を見捨てず支えてくれてる夫の為に、自分に喝を入れる。
基本、ズボラなので、カッコ良くは無いが、私は私の道を行く。道を作る。
年頭の誓いみたいな文面になってしまった
元気そうに見える人も、そう見えるだけで、何かしら抱えてるんだから、自分だけが辛いんだ、って思わないで欲しい!
生きてれば、何かあるよ、かな?
地球さん、シンドイね。申し訳ない。
周りを見てみようよ。気づきが、ないかな?