平織りばかりでは面白くない。
初めから綾織はどうかなと、試しに織ってみたけど、今度は経糸が目立って、そうきれいでもない。
結局、今まで通りで織ることにした。
経糸は、初めから一か所継いでいるところがあって、織っているうちに切れた。
通し間違いで捨てていた経糸が近くだったので、それを引っ張って来て綜絖と筬に通し、手前の糸と一部重複して織り、ボンドで修復。
目立つ。違ったことするとどうしても目立つのが平織りのいいところでもあり、悪いところでもあり。
午前中に50㎝くらいまで織った。あと1m、今週中には仕上げたいものです。
膝は、昨夜寝ている時は前も後ろも痛くて目が醒めるほどだった。
無理して、せっかく治っていたのに元の木阿弥?とがっかりしてまた寝たけど、朝起きるとあら不思議、痛いのはすっかり治っていた。
いえいえ、痛いのは痛いんです。それは両脚が同じ、山歩きの翌日の痛さ。私の場合は大腿四頭筋と足首。山歩きも久しぶりなのでこれは懐かしい痛さ。明日にはほぼ治まっていると期待したいものです。
痛みとは不思議なもので、痛い時にはずっと気になって気分も落ち込む。特に下肢は出かけることも、毎日の動作もおっくうで心の片隅にずっと痛さが居座っている。
私達の世代で人気作家だった高橋和巳は、肝臓がんで40歳ころ亡くなったけれど、晩年のエッセイに「痛みの周りを意識がグルグル巡っていて、他のことは何も考えられない」という意味のことを書いていた。
当時は鎮痛剤も今のようにいいものがなく、がんの闘病は痛さとの闘いでもあったと思う。みんな、その痛さを何よりも恐れていた。
立派な作家でも、痛いことは痛いとしか書けない。そのことが痛ましかった。
で、痛みが取れると、「ああ、今は痛くない」と考えたりもしない。痛かったことも忘れている。それが痛くないことのありがたさ。年寄りがよく、「どこも痛くない」ことを幸せの一つに挙げているけれど、私もそろそろそのことが分かる年になったようです。
昨日山へ行く気になったのは、先週の納骨に向かう道すがら、山のコナラやクヌギが茶色から黄色まで色とりどりにきれいで、その下を歩きたいと思ったから。
膝が痛いので途中で引き返してもいいと登り始めたのですが、慎重にゆっくり登ったおかげか、特に息切れもせず、頂上手前まで往復2時間半を掛けて無事下山しました。
最近では下山にも時間がかかります。無理な衝撃が足にかからないよう、段差を下りるときはゆっくりと、足を置く場所もこまめに探して歩幅もなるだけ狭く。結局、登るのと同じだけ時間がかかったけど、今朝になって膝が全然痛くないのは本当に意外でした。前日よりもよくなっている感じ。やれやれ、と心が軽くなりました。
私が思うに、山歩きは歩幅、足首の角度、力の入れ方など一歩一歩違うので、普段使わない筋肉も刺激して、リハビリ効果があったのかと。
久しぶりに土の上、落ち葉の上を歩いて心が生き返るようでもありました。私が子供のころは家の周りや通学路はまだ未舗装でした。また昭和20年代の終わり、東京まで自転車で往復する冒険旅行したのは大学生だった叔父ですが、後年の話で、その頃はまだ国道一号線でさえ、市街地以外は土の道だったとのこと。
今日つらつらかんがえたことは、人間は二足歩行を始めてから今までずっと土の上を歩いていて、それに合わせて体の仕組みも作られたのではないかと。
舗装道路が広く行き渡ったのは高々この数十年のこと、その上をいくら靴を履いていたとしても歩くのは苛酷ではないかなと愚考したわけです。舗装道路は何よりも自動車のためにある。人間が歩くには向かないのかなと。
前置きがものすごく長くなりましたが、私の中のご先祖の記憶がよみがえったのか、今日も土の上を歩きたくなりました。
でも、土って、どこにある?
出来れば草の生えた柔らかな土。傾斜があれば猶よし。
で、近所の公園に行く。
芝生と歩道が混ざっている。
向こうの道路、オバマさんが広島へ来たときに通った。ランプで降りて反対車線に回り、平和公園に通じる吉島へと降りたのでした。
ここへ来るといつも思い出す。
ちょっとだけ小高くなっている。
平日の昼過ぎ、人影なし。子供は学校へ、大人は仕事に。年寄りは家でおとなしく、はたまた社交と社会活動。
一人でさまよう時には大きなカメラ持参。ばあちゃんだけど、趣味で写真撮ってる、決して徘徊しているわけじゃないというアピール。
そのカメラ、殆ど使いこなせていません。大きなレンズつければもっと様になるけど、使いこなせないもの増やしても仕方ない。もうものは増やさない。楽しい、幸せな体験だけ増やして思い出にしていく。
冬の海。
雲の合間から冬の日が射す。
ある知り合いの方、がんの手術後、毎日一時間の散歩。それで健康を保っているそうです。歩くの大切。歩くのが、自然の中を歩くのがリハビリになるなんて・・・膝が痛くなるまで知らなかった。
痛くなったきっかけは、9月に夫と食事に行ってから。Pのない店、近隣にもなくて、私自転車、夫徒歩。自転車走らせて少し行っては立ち止まり、また押して話しながら、また乗ってとふざけたのが悪かったかも。そこの平たい靴で、夏の間ほとんど家にいたので、急に変な歩き方して悪かったんだと思う。
登山靴に分厚い靴下、山道をゆっくり歩く。これからも機会を見つけて歩きたいものです。