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前期最後の登校日

2024-08-09 | 機織り
 
本日、ここからスタート。

 
おやつ持参。
窓の外は橡に桜、高砂百合。高砂百合は真夏の花。どこにでも生えるけど、斜面が得意かな。
20年前くらい、山口県内の山陽道法面で見た群落が初めてだった。
向こうの工事現場みたいなのは金属、石材を使う工房。

 
サルスベリ。
大学は山の中にあるので、セミがよく鳴いている。

 
学部を繋ぐ回廊。

 
カフェは初めて。
遠いけど、運動と気分転換兼ねて、後期は利用したいものです。



ここまで織って、いつもより2時間早く帰る。
先生に「織り機は慣れましたか」と聞かれる。
そろそろ中心部なので派手にするつもりと言うと、大いにやってくださいとのこと。
展示会場で離れて見る場合、人目を引くくらいの派手さが必要。まだまだです。
原子雲のようでもあり、竜巻でもあり、禍々しき予兆が表現できたらいいかなと。
花鳥風月、お花畑など可愛いもの、きれいなものは他に上手な人がたくさんおられるので、私は私にしかできないものを。
 
80㎝まで来たので、後期は120㎝織らなければいけない。休まないように、体調管理をしっかりして来年2月の展示に備えます。
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機織り、少しづつ

2024-08-07 | 機織り

デザインは断続的に3か月くらいかかったと思う。

いくらやってもきりがないので、月曜日早朝から整経を始めて、紆余曲折の後、本日わずかに10㎝分が完了。

本数は16×10㎝+16(両端補強分)=176本。

全体で幅が150㎝長さは200㎝の予定。最大幅85㎝の織り機なので、何本かに分けて織る。

今回は横向きに仕立てるので、計算してみたら約3,520本の経糸。来年春までの遥かな道のり。その頃には一つ歳とっている。

一度に全部しようと思わない。焦らず、一日一行程。残りの人生で、後いくつできるでしょうか。

午後、整経台から外して織り機のところまで持って行った。これでさらに1行程。

家の中を持って移動するだけ。大豪邸ではないので約10秒笑。

ああ、よう働いた笑。

明日もまた涼しい時に、気が向いたら頑張ります。


大学の事務室に夏休み期間をラインで問い合わせ、8/10~9/30と確認が取れた。先日は先生の勘違い。私の認知症初期症状ではありませんでした。よかったあーー、セーフ。

暑いのでどこへも行かず、家に潜んでいる。窓もカーテン、ブラインドなどでなるだけ光を防ぐ。

四月、島根県の日御碕で買って来た貝殻の風鈴。

触るとカラカラと乾いた音がする。夏はまだまだ折り返しも来てない気がする。

お盆過ぎ、夫と山陰の山歩きと温泉を予定していたけど、夫の都合が悪くなったので、私一人で近場のいい宿を見つけた。

湖畔に面して和室12.5畳、一人で泊まるのも可。誰か友達誘いたいけど、人がいると気になって眠れない私、一人旅を楽しみましょう。


夏、思い出すことなど。

夏休みに遊びに行く、二番目の叔母の家は広かった。

平屋に玄関横の応接室、縁側の先に和室と洋室の二間続きの離れがあった。

洋室は天井まで本棚があり、好きな本を好きなだけ読んでよかった。腰高の窓の外は裏庭で、雑木がいろいろ植わっていた。

南側の庭には池があり、夏にはハグロトンボがゆらゆらと漂っている。

従弟が一人いるだけで、遊び相手のない私は本読んだり、庭を歩いたりして一人でいることが多かった。

しかし、昔の夏はなんであんなに涼しかったのかと今では不思議に思う。


叔母は1943年8月、叔父の出征の日に女学校から石鎚登山に行き、見送りできなかったことをずっと悔やんでいた。

「出征してもまた会えるから学校行事に行け」と言われたそうですが、会うことは二度となかったのです。

叔父は南の島で戦病死。

戦さの要は兵站にあり。船の不十分な日本陸軍が海外で戦争をする無謀さは「暁の宇品」に詳しい。精神力で戦争は出来ません。

そんなこと、あんなこと考えて、夏は少ししんみりします。

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糸が届いた

2024-08-03 | 機織り

注文した糸が届きました。2か月くらいデザインあれこれ考えましたが、もういいアイデアも浮かびそうになく、今織りたいものを織ることにします。

明日から整経です。

糸は多めに。今回も緯糸は表に出ないので、残ったら適宜緯糸に使う。

毎日暑いけど、嫌になったらやめることにして一日一行程。


金曜日に大学工房で一人で作業していたら、先生が午後から来て「もう夏季休暇」と言われ、恥ずかしい思いをした。

でも事務室からもらった出欠表は、8月初めの一週間まで書く欄がある。

そして年度初めに貰ったカリキュラムでは9月から後期。でも社会人講座のスタートは10月かららしい。どっちなんだ?

週明けに事務室に電話して確認の予定。

9が末まで夏休みとばかり思っていたけど、どうなるんでしょうか。

私の勘違いとしたら、これもまた認知症への大きな一歩。


チェストの上のランナーでもなく、カバーでもなく、何といえばいいのか知らないけど掛け替えて見た。

これは、一昨年の秋、団体の勉強会に誘われ、何か持って行かなければならなくなり、慌てて織ったもの。

裂き布でオーバーショット(組織織)をするという無謀な試み。何考えていたんでしようか、まったく。

材料は紬と白いのは胴裏。余りに慌てて水通しもせず、織った後で洗ったら白だけえらく縮んだ。会の先生に見せるのが恥ずかしかった。

で、昼夜織りの切れ端見せたら、これにしなさいと言われたんだった。

あれからまだ2年も経ってない。話を聞くだけのつもりで行ったら、もう私は応募することになっていたのでびっくり。翌月に京都で展示があると言われて、旧日銀京都支店隣接の立派な美術館へ見に行った時は、一生に一度でいいからこんな立派な所で自分の作品を発表したいと憧れたものであります。

いろいろな方に引っ張ってもらって、機織りを続けてきたのだと、昔の下手な作品見てしみじみとした。

ただの裂き織り(平織り)の方が、きれいに出来たように思う。久しぶりに出してみた。

夕方の「人生の楽園」という番組で、佐久市のつたやという一棟貸しの古民家民宿、藍染や裂き織りの体験ができるとのこと。近ければ友達誘っていくのだけど、あまりに遠い。元は呉服商だったらしい。

使わなくなった機織り機をたくさん座敷に並べ、昔の手紡ぎ手織りの着物いろいろ。もったいないなあ。切り刻むのも忍びないけど、洋服、袋ものではなく、布団にするならあまり細かく切らずに済みそう。色もとてもきれいだった。


先日、会派のホームページで、受賞者のインタビュー動画を見た。

作品のたたずまいと作者の雰囲気が驚くほど連動しているのが不思議といえば不思議。

逆に言えば、髪型、服装、ものの言い方で作品も想像がつく。

皆さん、一本筋の通った人生を歩んで来られたのが、Youtubeの画面からよく分かった。派手ではなく、服装も品があって素敵だった。

入選して東京へ展示を見に行って、入賞して懇親会に参加して・・・ここまでは何とかやって来れた。次はさらに上位の賞を頂いて、動画デビューしたいところだけど、それはたいそう困ります。人様に姿かたちを晒したくない。

覆面レスラーがいるように、謎の覆面工芸の人って、それも目立ち過ぎだし。

あれこれつまらないこと考えずに、暑いので年寄りはおとなしく家にいて、とりあえずあすから頑張ります。

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本日、登校日

2024-07-26 | 機織り


芸術学部の建物。



先週はここまで。



夕方、帰る前。
70センチまで織りました。
あと130センチです。
きょうはオープンキャンパスの準備でいそがしそうでした。
4月以来、学生さんが作ったのが展示されるようです。
材料、織り方、実にいろいろ。
楽しそうです。

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会場当番でした

2024-07-19 | 機織り




午後から3時間、当番でした。
明日もあります。
お近くの方、ぜひお越しくださいませ。
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本日、登校日

2024-07-12 | 機織り


張り切ってする予定が糸が足りなくて、いつもより2時間早く下校。
そごうでついワンピース買って、知り合いの水彩画展見て帰宅。やれやれです。
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紗、絽、洞絽・・・

2024-07-06 | 機織り

昨日は登校日で、自分の織物のほかに表題の織り方も少し習いました。

いずれも夏の着物地ですね。

こちらから画像お借りしました。

男着物のQ&A 1) 男の反物で紗と絽は、どのように違うのでしょうか?男着物.com (kimonosugata.info)

女性の夏着物としてもよく仕立てられるのが、紗に絽ですね。

学校では太い糸で、織り方の組織を学生さんが習っていて、ついでに私も織らせてもらいました。

紗は模紗織りとして、以前の織工房で習い、夏用のストールをいくつか織りました。絽は初めて、そして洞ほら絽です。

綜絖は3枚だったかな、そのうちの一つの糸の列に細い糸綜絖を付け、開口を3種類にして緯糸が立体的に交差する織り方・・・と言えばいいのかな。

織り地に起伏ができて夏生地としてはピッタリでしょうが、織り方として残っているだけで、注文でもしない限り、こんな手間のかかる贅沢な着物地は市場に出回っていないと思います。

飛び切り贅沢な夏着物。谷崎潤一郎の細雪でならあるいは。。。。

いい体験をさせてもらいました。織の世界は奥が深いようです。そして日々廃れてゆくのが寂しくもあり。

 

 

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機織りのデザインはアナログで

2024-07-03 | 機織り

さて来年の作品、今から準備しています。こちらは大学と違って組織織です。

組織織で自分らしさを出すのは難しく、結局幾何学的なきれいな模様を崩すわけですが、織ってみないとなかなかイメージが掴めない。

掴めないけど、いちいち織るわけにいかないのでデザインを詰めていきます。

前はエクセルでしていたけど、隔靴掻痒、コピペに時間ばかりかかって浮かんだアイデアがその間に消えてしまう。

それで今回から昔からの道具でしています。

紙、色鉛筆、物差し、電卓などなど。電卓がハイテクだあ~

結局、一マスずつ塗っていく方が私の場合はやりやすい。

昨日ときょう、外出時以外はほぼずっとしていた。していない時も頭の中で考えがグルグル回って落ち着かない。

これは出来上がるまで続くと思われます。誠に因果なことを始めたものです。

本日夕方から、左の肩から背中が突然痛くなった。疲れがたまっているものと思います。

本日の唯一の外出は、友達の家に週半ばの展覧会の招待券を届けたこと。

2時間弱話もする。楽しかったけど、最近は一緒に活動することもなく、話しが少しずつずれて来ているのが寂しくもあり。

でも家の行き来をする貴重な友達。これからも楽しく付き合いたいものです。

大学の入学祝をいただきました。誰からも貰わなかったのに。

嬉しや、嬉し。

いただきます。

友達の気持ちがしみじみと嬉しかった。スマホを出して織りかけのつづれ織りを見てもらう。

彼女は親戚の紹介で、中国のさる都市で裂き織りばかりの展示をしたとか。組み合わせて壁面に垂らすと途端にアートになっていた。

何事も動きが大切。糸の、織り目の表情が大切。生き生きとしていた。参考になった。

明日はばあちゃんの茶話会。手押し車で参加する人もいるので、雨の日は禁忌。やっと晴れて出来るようになりました。

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機織り、続行

2021-12-13 | 機織り

平織りばかりでは面白くない。

初めから綾織はどうかなと、試しに織ってみたけど、今度は経糸が目立って、そうきれいでもない。

結局、今まで通りで織ることにした。

経糸は、初めから一か所継いでいるところがあって、織っているうちに切れた。

通し間違いで捨てていた経糸が近くだったので、それを引っ張って来て綜絖と筬に通し、手前の糸と一部重複して織り、ボンドで修復。

目立つ。違ったことするとどうしても目立つのが平織りのいいところでもあり、悪いところでもあり。

午前中に50㎝くらいまで織った。あと1m、今週中には仕上げたいものです。


膝は、昨夜寝ている時は前も後ろも痛くて目が醒めるほどだった。

無理して、せっかく治っていたのに元の木阿弥?とがっかりしてまた寝たけど、朝起きるとあら不思議、痛いのはすっかり治っていた。

いえいえ、痛いのは痛いんです。それは両脚が同じ、山歩きの翌日の痛さ。私の場合は大腿四頭筋と足首。山歩きも久しぶりなのでこれは懐かしい痛さ。明日にはほぼ治まっていると期待したいものです。

痛みとは不思議なもので、痛い時にはずっと気になって気分も落ち込む。特に下肢は出かけることも、毎日の動作もおっくうで心の片隅にずっと痛さが居座っている。

私達の世代で人気作家だった高橋和巳は、肝臓がんで40歳ころ亡くなったけれど、晩年のエッセイに「痛みの周りを意識がグルグル巡っていて、他のことは何も考えられない」という意味のことを書いていた。

当時は鎮痛剤も今のようにいいものがなく、がんの闘病は痛さとの闘いでもあったと思う。みんな、その痛さを何よりも恐れていた。

立派な作家でも、痛いことは痛いとしか書けない。そのことが痛ましかった。

で、痛みが取れると、「ああ、今は痛くない」と考えたりもしない。痛かったことも忘れている。それが痛くないことのありがたさ。年寄りがよく、「どこも痛くない」ことを幸せの一つに挙げているけれど、私もそろそろそのことが分かる年になったようです。

昨日山へ行く気になったのは、先週の納骨に向かう道すがら、山のコナラやクヌギが茶色から黄色まで色とりどりにきれいで、その下を歩きたいと思ったから。

膝が痛いので途中で引き返してもいいと登り始めたのですが、慎重にゆっくり登ったおかげか、特に息切れもせず、頂上手前まで往復2時間半を掛けて無事下山しました。

最近では下山にも時間がかかります。無理な衝撃が足にかからないよう、段差を下りるときはゆっくりと、足を置く場所もこまめに探して歩幅もなるだけ狭く。結局、登るのと同じだけ時間がかかったけど、今朝になって膝が全然痛くないのは本当に意外でした。前日よりもよくなっている感じ。やれやれ、と心が軽くなりました。

私が思うに、山歩きは歩幅、足首の角度、力の入れ方など一歩一歩違うので、普段使わない筋肉も刺激して、リハビリ効果があったのかと。

久しぶりに土の上、落ち葉の上を歩いて心が生き返るようでもありました。私が子供のころは家の周りや通学路はまだ未舗装でした。また昭和20年代の終わり、東京まで自転車で往復する冒険旅行したのは大学生だった叔父ですが、後年の話で、その頃はまだ国道一号線でさえ、市街地以外は土の道だったとのこと。

今日つらつらかんがえたことは、人間は二足歩行を始めてから今までずっと土の上を歩いていて、それに合わせて体の仕組みも作られたのではないかと。

舗装道路が広く行き渡ったのは高々この数十年のこと、その上をいくら靴を履いていたとしても歩くのは苛酷ではないかなと愚考したわけです。舗装道路は何よりも自動車のためにある。人間が歩くには向かないのかなと。

前置きがものすごく長くなりましたが、私の中のご先祖の記憶がよみがえったのか、今日も土の上を歩きたくなりました。

でも、土って、どこにある?

出来れば草の生えた柔らかな土。傾斜があれば猶よし。

で、近所の公園に行く。

芝生と歩道が混ざっている。

向こうの道路、オバマさんが広島へ来たときに通った。ランプで降りて反対車線に回り、平和公園に通じる吉島へと降りたのでした。

ここへ来るといつも思い出す。

ちょっとだけ小高くなっている。

平日の昼過ぎ、人影なし。子供は学校へ、大人は仕事に。年寄りは家でおとなしく、はたまた社交と社会活動。

一人でさまよう時には大きなカメラ持参。ばあちゃんだけど、趣味で写真撮ってる、決して徘徊しているわけじゃないというアピール。

そのカメラ、殆ど使いこなせていません。大きなレンズつければもっと様になるけど、使いこなせないもの増やしても仕方ない。もうものは増やさない。楽しい、幸せな体験だけ増やして思い出にしていく。

冬の海。

雲の合間から冬の日が射す。

ある知り合いの方、がんの手術後、毎日一時間の散歩。それで健康を保っているそうです。歩くの大切。歩くのが、自然の中を歩くのがリハビリになるなんて・・・膝が痛くなるまで知らなかった。

痛くなったきっかけは、9月に夫と食事に行ってから。Pのない店、近隣にもなくて、私自転車、夫徒歩。自転車走らせて少し行っては立ち止まり、また押して話しながら、また乗ってとふざけたのが悪かったかも。そこの平たい靴で、夏の間ほとんど家にいたので、急に変な歩き方して悪かったんだと思う。

登山靴に分厚い靴下、山道をゆっくり歩く。これからも機会を見つけて歩きたいものです。

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機織り・続行中

2021-12-11 | 機織り

昨日

綜絖通したら5本不足。整経のときの数え間違いが4本に重複して通したところが一か所、その糸は捨てて、右側から千巻をほどいて5本追加。

筬框から筬を外して水平にし、糸を通す。

手前の女巻に結び付けて機拵えが終わる。やれやれ。ここまで昨日。


本日、早く起きたので朝食前に一時間くらい織る。

面白い色合いを生かすために平織りにしたけれど、平織りは踏み方はいちばん簡単だけど、やはり難しい。

何かほかの織り方にしたらよかったけど、どうしようかな~

途中で綾織混ぜてごまかすとか。。。。

あと数時間の作業量でしょうか。マフラーにするつもりですが、首は一つ、マフラーたくさん。

今回は経糸も緯糸も毛糸です。

経糸は中細、イオンの手芸コーナーで。アクリルにウールが20%混ざった混紡。

緯糸にしたのはダイソーで。こちらはウール100%。

最近は街から手芸店が消え、毛糸の専門店もほぼ絶滅、自分で何か作る時には材料の調達に苦労する。少ない品ぞろえの中から、何とか妥協して買ってきた。

手作りをする人間もそろそろ絶滅危惧種。

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機織り始めました

2021-12-08 | 機織り

整経

中細毛糸 172本 60/10㎝の筬の予定

長さ220㎝ 

出来上がりは長さ150㎝、幅30㎝のマフラーの予定。

今回、粗筬は久しぶりに自作のを使う。

テキトーに糸を分けたら千巻に通すところが一つ多くて、これまたテキトーに配分。

自作の粗筬は5㎝角の角材に2㎝間隔に釘を打ったもの。

両端は糸巻(糸枠)に乗せて固定。

糸は細かく分けずに目分量で8等分、それを9つに分けて結ぶ。

膝を悪くしてから床巻はしない。座卓の上で、椅子に糸の端を結んで作業。

最後まで糸を巻いたら固定していた紐を外し、千巻箱を持ち上げて・・・

残りの糸を巻いて粗筬の向こうへ置く。簡単。綾返し不要。

これで織機の所へ持って行き、取り付けます。

千巻箱に芯棒を通し、歯車(菊)を付けて織り機に取り付けます。

あーあ、よく働いた。本日の作業はこれにて終了。

10年くらい前、まだ教室で習っていたころに織ったマフラー。

ずっとダウンのコートやジャケット着ていたので出番がなかったけれど、最近使っています。

経糸、緯糸ともに中細の毛糸。一番簡単な平織りで、糸の柔らかさがよく出ていると思います。グレー、ピンクを縦横2本ずつ並べるだけで上品な感じ。デザインは先生のアドバイスだったと思う。

ちょっとしたことも数こなしていないとできない。私はまだまだですが、まだまだでもう終わりそう。

でもまあ、出来る限りは頑張ります。


本日の発掘写真館。

右はシロを抱く私。成犬でこの大きさ。

私は小さいころ犬に何度か噛まれたので、犬への恐怖心が今もありますが、この犬だけは小さいし、そう怖くなかったです。

穏やかないい犬でした。

二つ上の写真の左二枚はこの家の最後。父が送ってくれた。

実家は元々は写真の後ろに見えている黒い屋根の家。

壊さずに残して新しいのを南側に建てたのは、まだまだ集まりごと、葬式などの必要から。

葬儀は新しい家で、そのあとの近所の人たちへのふるまいは裏の家の座敷で。

そして家一軒、のちには物置にしていた。

壊したのは区画整理事業の一環で。

農村に自然発生的にできた道路が狭くて時代に合わなくなった。

家が増えて、農業用水路に生活排水を一緒に流すのは限界があった。

農業用の用水路とは別に、生活排水のための下水道を整備。合わせて圃場整備と道路の確保。

要するに・・・

宅地に農地に道路に用水路に下水路に、全部区割りを直して地面も掘り返して新しい街を作る。ということでした。そのための換地と減歩、私の実家もまだ充分住めるのに取り壊し、宅地や農地も道路用地に一部差し出し、配分された別の場所に新しく家を建てました。その間一年間は米を作らなかったことも。だって水田は整備中。

その時には同じ広さの新しく家を建てる金額と、庭木なども(もしかしたら米代も)補償されたので、家が二軒に借家、納屋、そのほかの建物などもあり、私の実家では無事新しい家を建てることができました。

自分で古い家を壊して新しく建てるのは大変ですが、そういう経緯なので、よかったと思います。しかし、人間は思いがけないお金が入った時にどうふるまうべきか、考えさせられる出来事もいろいろありました。いいことばかりではないのです。

上の写真で、ブルドーザーで壊している手前に古い実家がありました。弟たちも大きくなり、三人に離れの勉強部屋を父が建ててくれました。廊下伝いに庭先の部屋は、勉強するのにいい環境でしたが、それ以上に友達が遊びに来たときには、玄関を通らず、庭から直接部屋に上がれるので都合がよかったのです。

それももうとうにありません。友達呼んでクリスマス会したことも。高校生なのでお酒はなし。ジュースにお菓子。そしてカラオケなしで歌うとか。


おやまあ、人さまにはどうでもいい長話、失礼しました。

写真をアルバムから剥がして、いちいちいろんなこと思い出していたらいくら時間があっても足りなさそう。

昔のことはほどほどにして、明日はいよいよ納骨です。暖かいいいお天気になりそうでよかった。どこまで行っても子供孝行な姑様です。

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超高速・秋の裂き織り

2021-11-18 | 機織り

昨日は一日で裂き織り仕上げる。作業時間は合計で4時間くらい。

材料は経糸は綿糸、20番手3本撚りとか、スラブ糸とか手持ち各種。

緯糸がわりに、嫁入り布団の裏面の薄手木綿、泥大島、紬などを裂きます。

昔、京都の骨董市で買った紬の着物。一度も着てなかったので裂く前に着る。

掛け襟だけでは足りず、片袖も少し使う。

昼前、織り始める。展示の後はテーブルランナーの予定。

縁の始末の目印に違う糸を入れる。

前日の旅行でよく歩いて疲れ、午後から爆睡、夕方織り始める。

おっと、ここでご飯の支度。主婦の悲しき宿命。

昨日は何だったかな。。。

小松菜、白菜、揚げの煮びたし。

キノコ入りシチュー。

豚肉の炒め揚げなどなど。

前日の夕食を思い出すのが脳トレに言いそうです。これからも思いついたらやってみましょう。

一人だと時間が自由に使えていいようなものだけど、私のような性格だと好きなことだけして自堕落に流れがち。めんどくさいと思わずいいように考えましょう。

23時過ぎ、完成。

縁が波打っているのは裂いた布をしっかり引いていないから。

いつまでたっても下手な私です。

2mかけて1.4m織れました。

たいていの本には、前後に1メートルの余裕を取るとありますが、もったいないので私は70㎝くらいで考えます。

今回は結ぶ部分もなるだけ短く、糸が開きにくくなっても板杼で目を拾いながら通したので60㎝の廃棄で済みました。

掛けた後でテーブルランナーにすることを思いついたので、窮余の策。

次は何にするか、決めてから織ろうよ、私。計画性が全然ない。我が人生もかくの如し。


せっかく名古屋へ行ったのに、友達には連絡しなかった。

前日まで迷っていて、朝起きたら行く気になっていたのです。これまた計画性の著しい欠如。

残念!残念な私の性格。今度またゆっくり。

いつもお土産はほとんど買わないけど、軽くてかさばらない絵葉書を徳川美術館で。

それぞれ8枚づつで、税込み300円のセールしていた。

絵葉書って、最近は売れないのかもしれません。

関屋。

光源氏が昔、思いを寄せた空蝉と、関所で(逢坂関)とすれ違う場面。

これは12月1日からの展示。

室内の描写がほとんどの絵巻物の中で、屋外の絵は珍しいそうです。

この部分は傷みが激しくて、絵の具も殆ど落ちていたそうですが、わずかに残った部分を解析して、元の絵の具を特定したとか。

修復した絵はきっと、くっきりと鮮やかなことでしょう。

山と雲の配置。向かい合う一行。緑と青の中に、差し色の黄色や赤が効いています。

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機拵え、終える

2021-11-12 | 機織り

筬を水平に置いて糸を通す。

筬框を織り機に取り付け、筬を溝に入れて止める。

手前と結び付けて出来上がり。次はいよいよ機織りです。

教室ではここで綾棒を外していましたが取り付けたままで織ることにしました。

その方が糸がもつれないように思います。


昼休み、近所のコジマに夫と二人で行き、私が寝ている部屋のエアコンを買い替えた。

前は30年くらい前に設置。夫が腰痛でベッドで寝られなくなり、今は一人で寝ています。エアコン、殆ど付けたことないけど、もう年取ったので、暑さ寒さに無理しない。一人で寝て、自分の適温にする。その予定。

最近、一段階年取ったなと思う。膝は軟骨(半月板)の損傷で、だましながら付き合うしかないようです。今はほとんど痛くないのですが、違和感はあり。無理するとまた痛くなりそうで、あまり歩いていない。

コタツに入ると背中が寒いので、昼間でもベッドの布団の中で本読んだりしている。

本当に、年寄りの生活様式そのもの。

で、それに焦ることもなく、ウトウトして覚めたとき、一瞬、今がいつで、どこに寝ているか分からず、それから現実に戻るまでの浮遊感がとても心地よい。

急ぎの用もなく、気を遣う人もいなくなって、たぶん幼い時のような感覚でのんびりしている。

年取るってこんな境地だったのね。分からなくなって現実に戻れなくなる・・・それもまたよし。人はそれを認知症と言うけれど。

エアコンは明日設置。何という速さ。生活全般がうまくまわって行く。日本という国のありがたさ。

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裂き織りの準備いろいろ

2021-11-10 | 機織り

緯糸代わりに布を裂いて準備します。

古い大島に古い布団地。

布団は嫁入り布団。まだ一枚残っていました。48年前の布はピリピリと気持ちよく裂けます。

ついでに同じ布団地を落ち着いた赤色に染めてみます。

用意するのは布、ミョウバン、それにアボカド一個。

布はぬるま湯に浸けておきます。

アボカドの皮はちぎって煮出します。(中身は食べておきます)

初め強火、続いて中火で15分くらい。

その液をボウルと鍋に20回くらい交互に移し替えて空気にさらすと、赤い色が出てきました。

20分つけて水洗い。

ミョウバン大2さじを熱湯500ccで溶かし、同量の水を入れて冷まし、15分媒染(色止め)します。

水洗いしてまた染め、同じように媒染します。

染まり具合はイマイチでした。布は薄いので絹かなと思いましたが、濡らすと木綿のようです。植物繊維は染まりにくいそうです。

残った液でシルクのスカーフを染めましたが、これもあまり染まりませんでした。

うーーーむ、草木染は難しいです。


液に浸している合間に本日は綜絖を仕上げました。

千巻を取り付けるのは7日の日曜日に済ませました。

朝6時、千巻箱が外れないのでねじの所を金づちでたたいていたら夫が「何をカンカン叩ている?」と起きてきました。

そんな時間にしなくてよさそうなものですが、やる気が起きたときがその時刻だったので。

いつやる気になるかは、その時になって見ないと分かりません。たまたま日曜日の朝だったので、起こしてしまいました。

本数が少ないので何とか一日で完了。

ちょっとお見苦しいですが。

X機は綾棒を置くところがないので横棒を付けてみました。

染めた布と染めたスカーフは夜になって干したので、出来上がりはまだわかりませんが、たぶんうまく染まってない印象。

さて、どうしましょうか。やっぱり赤い布を裂いた方がよさそうです。

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本日、綾返しと千巻

2021-11-06 | 機織り

膝に力が入らないので床巻を止めて座卓の上で。

椅子の背に糸を結んで引きます。

2本の綾棒と粗筬で糸目を整えつつ、手前で巻きます。

長年使って帆布の布がだいぶほつれてきました。

初めにボンドでほつれ止めしておけばよかったかな。

織の先生から6年前に頂いた織り機。

綾返しをしました。この後粗筬を抜いて、織機に手前の千巻を取り付けます。

それは明日以降に。


本日の小ネタ。

簡単ピクルス。

味付け海苔の空き容器に野菜各種、調味料各種入れて簡単なピクルス。

暇なときに逆さにしたりシェイクしたり。

一周忌には、みんなで感想書いて文集作ろうと提案したら、遺した短歌を集めて歌集作るとか。義妹の考え。それならそれでいいわ。立場をわきまえて、こんな時は第一線に立たない。

短歌・・・私も誘われたけど、できないので断った。私が作ると狂歌にしかならない。

故姑様、「うちの長男の嫁はとんでもない」なんて詠んでませんように。まさか、あの姑様に限ってそんなことはありません。

年内に納骨希望ですが、墓碑は中国で作るとか。何もかも中国頼みで、中国と喧嘩したら日本人はお墓も拝めないということになっているようです。

70代の一日一日がしみじみと味わい深く、毎日の出来事を、しっかりと胸に刻んでいます。

コメント (2)
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