長編である。文庫本で本文だけで530pもある。がしかし、読みやすいので毎日寝る前と、朝、夫が起きてくるまでに少しずつ読んで、約一週間で読了。
1910年代、辛亥革命の後、上海の租界に両親と暮らしていたイギリス人のクリストファー・バンクス少年。近所の日本人アキラと探偵ごっこをして遊ぶ幸せな少年時代。父は貿易会社の上海駐在員。母は聡明で美しく、アヘン撲滅運動をしている博愛主義者。
が、ある日突然父が失踪し、しばらくして母も行方不明になる。少年は帰国し、伯母の庇護の元、ケンブリッジ大学を卒業して私立探偵になる。
探偵として成功をおさめ、社交界にも出入りするようになったバンクスだが、どうしても父母のその後の消息が知りたくて、上海に戻る。
青年時代に知り合った社交界の花、サラ・ヘミングスは年配の貴族と結婚して、一足早く上海に出発していた。
1937年秋の上海は、満州事変から上海事変へと日本軍がずるずると大陸での戦線を拡大していた時代。遠くで爆撃の音や銃声が聞こえる街で、クリストファーは昔のつてを頼り、必死で父母の消息を探して歩く。
そして、昔、腕利きの刑事だった老人に巡り合い、ある事件の捜査で、軍閥からの圧力でどうしても調べることのできなかった家のあることを知る。
そこに父母は今も幽閉されているに違いない。爆撃で破壊され、戦闘の続く町を、クリストファーは捜し歩く。
サラ・ヘミングスは夫に愛想をつかし、一緒にマカオに逃げる約束までしているのに、ちょっと行ってくる、大切な用事と言い残し、結局それが永遠の別れとなる。
が、しかし両親は見つからなかった。1958年になって、やっと昔、母親の誘拐される日、子供だった自分を連れ出した老人と再会する。
彼の口から語られるのは驚くべきことだった。香港へ向かったクリストファーはさる慈善団体の施設へと向かう。。。。
前に読んだ「日の名残り」が淡々と物語が進むのに対し、こちらは一見推理小説、犯罪小説のようでもあり、読者も一緒に謎に付き合う仕掛け。話の運びが強引なところは作家の力不足ではなく、その不安定さが孤児としての情報の少なさ、つながりの希薄さを描写しているのだと思う。
二作しか読んでないのだけど、カズオ・イシグロは子供のころの、昔の失われそうな記憶、暮らしぶりをせめて心の中だけでも大切にしたいという思いの強い人ではないか。そう思った。
五歳で日本を出て、ついにはイギリス人になってしまった作家の経歴に安易に結び付けてはいけないけれど、記憶や思い出をとても美しく書ける人だと思った。
「日の名残り」ではホールと呼ばれる貴族の大邸宅での暮らしが読んで面白かったけど、この小説では上海の日本軍と中国国民党、共産党との闘いと破壊の場面が秀逸。その中を父母のいるかもしれない家を捜し歩く。絶望的で残酷で、やがて死にゆく人間の断末魔の叫びは民族国籍に関係なく共通のものだと思いつつ、がれきの街をさまよう。
おそらく今、シリアで行われている殺戮と破壊もこんな感じなのだろう。いくらニュース映像を見てもわからない迫真の描写に戦慄した。