著者32歳の時の作品。内容は笠智衆が演じたらいいと思われる(もう故人ですが)渋く枯れた老画家、一時はその土地の画壇の中心にいて、市の有力者の売り出した立派な屋敷に、婚期を逃しつつある次女と住んでいる。妻は戦時中の空襲で亡くなっている。
今は筆を折って半ば蟄居する暮らし。戦時中、国策に協力する絵を描いたり活動をしてきたことが、戦後批判にさらされ、自分のせいで戦地へ赴いた若者がいたことへの忸怩たる思いから。
しかしその時には精いっぱいだった。今となってはひっそり暮らすのがせめてもの償い。ただあらぬ風評で娘の縁談に支障のあるのは親として何としても避けたい。
まるで擬古文のような、小津安二郎の映画のように、大きな事件があるわけでもなく、人との交わりを丁寧にたどる。丁寧にたどるのはそうだけど、英国で教育を受け、物心ついた著者は日本的な許しや自然や時間と一体化することで流していくという書き方ができない。
日本風に見えて理詰めである。それが読んでいてまどろっこしく感じるけれど、こう書くしかなかったのだと思う。古臭く見えて、新しいと言うか、たぶんどの国の人が読んでもわかるのではないかと思う。
舞台設定は思いっきり日本。戦後数年したある方都市。著者は日本が大好きな人だと思う。五歳で故国と引き離され、自分の中の故郷の思いを忘れるまいと必死だったと、「知の最先端」では述べている。1960年、イギリスには日本人はほとんどおらず、コミュニティもなかった。イギリスの教育を受け、イギリス人になるしかなかった。じぶんは何者か、その問いのために小説を書き始めたのではないかと私は思った。
自分って何?
自分の中の思いを文字に定着しないと自分が中身のない透明な人間になってしまいそうな不安。それは文学の萌芽で、world wideな広がりを持つ問題意識。だれしも、たまには立ち止まって不安になるから。今63歳くらい?この先どんな作品を見せてくれることでしょう。楽しみです。