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飯塚、繁栄のあと

2015-09-26 | 旅行

9/21

志賀島の砂浜の松の木陰、車の日よけをシート替わりにしてお弁当食べてから今度は飯塚へ行きます。

貝塚インターから都市高速に乗り、福岡IC手前で降ります。福岡ICまで行くと九州道へ行くしかありません。そんなことを助手席で話すのに運転者は納得できないご様子。でも近付いたら大きく表示していて誘導してくれるので心配いらなかった。

飯塚は遠賀川の川筋で、福岡とは九州の脊梁山脈の深い山で隔てられています。昔の道は峠越えの大変な道ですが、今はR201のバイパスで早く行けます。といっても40分くらいはかかりましたか。

道順逆ですがまずは旧伊藤伝衛門邸へ。以前は気が付かなかった広い臨時駐車場があって大勢の観光客です。

 

門。福岡の銅あかがね御殿を移築したそうで。武家屋敷みたいに長屋門になっています。表札は元総理大臣麻生太郎氏の筆。

麻生家も伊藤家も飯塚の炭鉱で財を成した家とのこと。

玄関。西洋風の煙突、マントルピースがあるらしい。

応接室。伊藤伝衛門と柳原白蓮の結婚写真が飾ってある。建物は伊藤家の手を離れて何度か所有者が移り、今は市が取得管理して公開している。

食堂はイギリス風。北向き。使用人が毎日、門司までパン買いに行ってたとか。ホームベーカリーもない遥か昔の贅沢。

座敷はたくさん。ちょっと一休み。畳に座ると疲れが取れます。

本座敷

白蓮の部屋は二階の角部屋。陽当たり通風眺望がいい。几帳は前にはなかった。

庭に回ります。

建物全景。家は南北二棟あり、廊下と二つの部屋で繋がっています。広いです。広いけれど、この家で白蓮はあまり幸せではなかったそうで。

お妾さん替わりの女中頭が家を取り仕切っているし、子供のない伝右衛門が親戚の子を引き取って子供として育てているし。それは行ってみて初めて分かったこと。

深い孤独感から歌を詠むようになり、やがて帝大生の宮崎龍介と恋に落ちる。伝右衛門はわざといじわるしたわけではないと思うけど、何から何まで違う二人、うまくいかなかったんだなあと思った。

白蓮は華族の家の出で、プライドも高かったみたいなので周りも大変だったかも。

先来の花子とアン、白蓮が龍介と駆け落ちした翌朝、真っ赤な長襦袢着ていたのでドキッとした。半襟は真新しい正絹、しかも手縫いで縫いつけてあった。取るものもとりあえず駆け落ちして、白い新しい半襟???・・・それはもちろんNHKの衣装部の人が縫ったことでしょう。

燃えたつ赤。ケイトウにセンニチコウ。


 

続いて嘉穂劇場へ行きます。昭和六年完成。国の登録有形文化財。そして現役の芝居小屋です。

催し物いろいろ

間口十間、トラス構造で中に柱はなし。1,200人が収容できるそうです。

飯塚には最盛期、30以上の芝居小屋があったとか。

10月というのは今年ではなさそうな・・・

1970年代。

2000年代。

今は空調も完備しているそうで、この秋も海老蔵、梅沢富雄などいろいろ公演があるようです。

桝席になっているのがレトロで、芝居見物という感じ。演じる人もお客さん近くて、力が入るのでは?

R200を北上して八幡ICから家に帰ります。ときに午後4時半・・・・暗くなるまで私が運転し、途中で夫に交替。無事家の近くまで帰りました。

晩御飯どうする?

絶対作りたくない。お米洗ってご飯炊いて、おかず作って、あとお皿洗って、絶対やりたくないと頑張り、家の近所に最近できたイタリアンへ。

何でもいい、カロリー補給するだけ。

半個室の店内。腰板と各ブースを区切る布。鶏小屋みたいと言ったら、聞こえると注意されました。

場所は半田屋と廻るお寿司の間。夜のコースで1600円くらい。でも食べられないので単品にしました。

いいお天気で楽しい旅行でありました。

BEST3

志賀島のサーフィンする砂浜と若者がじゃれ合う砂州、菊池渓谷の滝各種、阿蘇の眺望。

夫は九州にいた子供時代の場所へ行けて満足そうでありました。

 

 

 

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