2010年8月立山ツアーに参加。後列左から三番目。この時も一人で参加した。元気な女性ばかり、男性はガイドの方とあと一人だけ。
数日のツアーの間に各自ニックネームがついた。私はどう呼ばれていたかは不明。アミューズ、今でもあるんだろうか。
後ろは最高峰の雄山と思う。連日の雨、雨、雨・・・・
登山リュックに入れて山小屋で読むのにいい本らしい。文庫本で、どれも短いので読みやすいとのことだったが、ふだん、エッセィを読まない私にはとても時間がかかった。
随想なので、山の具体的な姿が思い浮かないのが原因かも。文章には5W1Hが必要と子供のころ学校で習ったけど、これはそういう約束事を超越した文章が多く、近年老化が激しくて想像力が枯渇しつつある身には読み切るのがつらかった。
1960年代初頭、各雑誌に掲載した短い随想が殆どらしい。その当時の山装備や山小屋、山行のようすなど、当事者には当たり前すぎて書き残す気にもならないようなことが、今になっては知りたいと思う。
山の本は、まずどの山へいつの時期に入り、何日で踏破したこと、装備、登山道のようすなどの記述が期待されるのではないだろうか。その上に立っての感想である。あまりに山の描写が少なくて、私的には不満足だった。別な方はまた別な感想だと思うけど。
ただ一つ、エーデルワイスはよかった。外交官の親とスイスにいたことのある女性にエーデルワイスのドライフラワーを貰い、額縁に入れて大切に保管していたが、虫に食われてしまった。女性はまたスイスへ行ったという話を聞いただけで、その後の消息も分からない。額は友達の弟にあげ、弟はとても喜んだらしいが、会うこともないまま、戦争のころに死んだ…とだけある。
エーデルワイスを巡って、人は出会いかつ別れ、久しくとどまりたる例なし。そしてそれにも戦争が影を落としている。。。。
今まで私が読んだ山関係の本、印象に残ったものをいくつか挙げておきます。
「日本アルプスの登山と探検」 ウェストン 日本に近代登山を導入した先駆者の好著。明治時代・・・だったかな日本にきた宣教師。山が好きで、好きで、ついには宣教師をやめて登山家になった。
平坦なイギリスから来ると、日本の険しい山がとても魅惑的だったことだろう。装備は原始的だけど、各山には案内人や強力(ヒマラヤのシェルパみたいな人)がいるので、今より楽な面も。ワクワク感が伝わってきて読んで楽しい。お勧めです。
「山と渓谷」 田部重治 こちらも名著。古典。八月初めの白馬岳に登るが、誰もいない。出会うのは水晶を探す人や、珍しい植物を探す人くらい。登山道を外れてはいけないという規制もないし、本当に山懐に抱かれる感じがよかった。この百年で、登山は本当に大衆化した。
「百年前の山を旅する」 著者失念。ヤマケイ社。確か雑誌「山と渓谷」の編集者だったと思うが、昔の山岳紀行と同じように山を歩いてみる。これもなかなか面白かった。
若狭から京都の出町柳まで24時間で歩くというチャレンジ、やってみたら本当にできたのに著者は驚き、私も驚いた。ルートは今のような平地ではなく、尾根伝いに行く。途中であった人にどこへ行くかと聞かれ、京都へ行くと自慢したら、「まあ、あんたならいけるやろ」と軽く言われた下りが面白かった。
あとはニュージーランド人の山岳案内人、クレイブマクラクラン氏の「ニッポン百名山よじのぼり」。友人と車で登山口まで行き、あとはひたすら登山。山であれこれ考えない。登って降りて、食事して宿を探して、その繰り返し。その潔さやよし。白山だって駆け上り、駆け下り、半日で下山しているのにはびっくり。私は15年くらい前、二日掛けて登って下りました。
あとは新田次郎の強力伝などですか。でも山の本は小説にするよりもデータを書いた方が読む気になるのも事実。登山は事実を書くだけで、充分読ませると思うので、小説にするのはなかなか難しいのでは。
また、山に行きたくなったかな・・・でも寝つきが悪いので、山小屋で8時ころに消灯するのは辛い。全然眠れない。もう歳だし、遠くの山はそろそろ卒業の時期かも。
昨日のお茶。最近買った器。
古い家具にはブルー一色の器が納まりいいような気がする。
昨夜お嫁ちゃんが孫二人連れてきたので見せたら、和風ですねと言っていた。そう、日本のメーカーです。世間的には地味かも。暈しの繊細さが日本的。
本通り歩いていたら可愛い服を見つけたので即購入。今の時期、別に理由もないので、「たまたま見つけたから」と言って渡す。
昨夜はお嫁ちゃんとお喋りしていたら21時前、下の子は寝てしまうし、慌てて解散。またおいでね。