ブログ

 

大学は秋深し

2024-11-15 | 機織り
登校日です。バスセンターからバスで。途中一か所だけ停まり、12分で着きます。



バスは西へ。まず本川(旧太田川)、あの先で元安川と二手に分かれます。

珍しいT字型の橋は原爆投下の目印になったそうで。昔はそこに慈仙寺というお寺があったので「慈仙寺の鼻」と呼ばれたそうですが、辺り一帯は今は平和公園に。
 
慈仙寺には大きな涅槃図があり、普通描かれない猫もあったそうで。絵師が製作中に猫が来て離れないので、「お前も描かれたいのか」とほだされたとか、何かで読みました。とても大きくて立派な涅槃図だったそうです。
 
涅槃図は1945年の原爆で焼失。
 
 
天満川。
 
 
太田川放水路。戦争で工事が中断、1966年完成。これで広島市街地の洪水はなくなりました。
また楠木町付近は八木用水の水利権のある土地でしたが、完成した放水路で完全に分断されて水利権は・・・どうなったのでしょうか。今は都市化して水田も全くありませんが、権利としては残っているのかも。
 
我が実家地方では「あの田圃は○○池の係り」と、どこの水を貰えるか、その権利が田一枚ごとに決まっていました。それは地元古老によると、日本国憲法よりもまだ上位にある決まりだそうで、水の乏しい土地で稲作をして来たことで出来上がった独特の慣習でしょうか。
 

きょうは昼休みに避難訓練がありました。小学校などと違って大学では実際に避難はしません。主には放送の確認。山の麓の大学なので津波は大丈夫と思われます。

工房の裏は山。一度歩きたいと思いつつ、果たせていません。

国際学部と情報学部の間の植え込み。

ススキにツワブキ。季節は秋から冬へ。

サクラは一足早い。

来年の展示会用パンフの写真撮る。ラインで事務へ送るのは週明けの予定。

大学内のコンビニで文庫本を買う。

この作家は久しぶり。夜のピクニックとか、関西のどこかの鉄道路線を舞台にした作品とか、隣町戦争とか面白く読みました。

学生割引で5%オフとなりました。

助教の先生が布を大量に捨てていたのでもらってきました。

昔のワンピース生地のようなものや、水玉模様は撥水性のある布なのでエコバッグにいいかなと。いつ縫えるか分かりませんが。

旅行には小さなショルダーバッグとエコバッグで出かけます。

エコバッグには脱いだ上着、観光施設で貰うパンフ、コンビニで買ったものなどを入れます。同じ重さでも荷物は二つに分けると軽く感じます。

なかなか使いやすいエコバッグに出会わないので、自分で縫うつもりです。

いつになるか分からないけど。


長いと思っていた大学生活も、あと2か月ほどで終了です。やっと慣れたのに、残念ですが、終了後はこの経験を創作に生かしたいと思います。
 
この年でいつまでできることやら。時間との競争です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11/14 家にいて機ごしらえ

2024-11-15 | 機織り

秋に会派の工芸部門の人だけで集まり、作品を見せ合う。予定が変わって一週間早くなり、あたふたしています。

午後にここまで。

今回の順番。綜絖→緒巻に結ぶ→本筬とシンブル。櫛筬は使わない。

最後まで綾竹(棒)は外さない。綾があればどんな不測の場面にも対応できる。

「命落としても綾は落とすな」の諺通りでございます。

そんなこんなで出かけそびれ、夕方はテレビ見ながら明日の登校に備えての撚糸。一時間で10m4本取りが2本くらいしかできない。しかし、二つの用事が同時に済むのでいいのかも。

昨日は近所に買い物に出ただけ。

ハヤトウリお買い上げ。すっきりとおいしく、薄切りにしてバルサミコ振りかける簡単料理でも、素材の新しさで食べられる。

私が嫁に来たときからある八百屋さんは、絶滅寸前の地元商店街にわずかに残る店。ほとんどがマンション、コンビニになってしまった。

戦後、街中が原爆で壊滅した後、島から魚や野菜を持ってきて道端で売り始めたのが商店街の始まり、以前はたいそうにぎわっていた。

このお店は青果市場のほかに、島の農家から直接仕入れる模様。たまに珍しい野菜あり。最後の2個を買う。今年も瓜に出会えてよかった。麹に漬けるのもいいらしい。乾燥麹は持ってるけど、その前に食べてしまいそう。

世間にキュウリはふんだんにあるのに、なぜ瓜がないのか不思議。子供のころ、夏はお盆過ぎるとよく瓜を食べていた。大量に出来るので残りは奈良漬に。下の弟が酔っ払っているのを見たことある。

来年は庭で瓜を作りましょうか。温暖化で難しいかもしれないけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに大病院へ

2024-11-13 | 日記
昨日は二か月に一度のかかりつけ医への通院。
9月の血液検査の結果、一部気になる数値があるのからと、基幹病院へ紹介され、午前中、出かけていました。
 
検査いろいろ、診察もして終わったのが11時。
悪い病気はない。今服用中の薬の副作用なので薬を変更するようかかりつけ医に連絡するで話は終わった。
やれやれ、何か大きな病気が隠れているのかと思ったよう~
気の小さい私は(←どこが!!)何言われるかと気になって、きのうはあまり食べず、眠れず、今朝の血圧は高く、病院で測ったらもっと高くなっていた。
 
大病院とは言え、我が家からは徒歩15分くらい。今朝はチャリンコで行く。
久しぶりの大病院。姑が脳梗塞の後入院し、終末期の病院に転院するときお供して以来。忘れもしない2020年の4/1で、転院先で翌年の9/2に亡くなった。
 
レンタルの病衣は返却し、移動のわずかな時間だけ自前の寝間着が必要。ガーゼの浴衣に、肌着は姑のタンスにあった昔の着物用肌着。それを急遽持って行ったのだった。
 
もう4年も経っていたなんて。車椅子を押して受け付け済ませて、「番号で呼ばれるのでそれまで待ちましょうね」と言っても、10分おきに「まだですか?」と幼児のようだった姑。
 
待っている時、あの時、この時のことを思い出した。車椅子を押して検査室、レントゲン室へ移動し、その合間にトイレで大急ぎでオシメ替えする。いゃあ、今思えば介護真っただ中。
 
お世話したことは無駄だったと、私は全然思っていない。むしろ、介護したことで自分のステージが高くなったはずと誇りに思っている。だから義妹も自分の夫からねぎらいの言葉がなかったといつまでも不満に思わず、今の自分の人生を楽しんでほしいと思う。
 
もう姑さんはいないのだなと、待合室に腰掛けてしみじみとしていた。
いかんですねぇ、秋はこの私もウェットになるのかも。
そして本日初対面の男性医師もとても丁寧な対応だった。今の医師は昔みたいに話しにくいこともなく、患者に寄り添ってくれる、そんな教員をしているらしい。
 
普段はごく身近な医師に症状話して薬貰って済ませることが多いので、その優しさに昨日からの緊張もほどけていた。いい時代になったのかも。



今から帰ります。玄関を振り返ったところ。
この玄関に介護タクシーに来てもらって、姑と一緒に乗り込んだことも再々。
 
 
気が付けば葉の先から少しずつ紅葉に。
 

 
月曜日は海田市の千葉家住宅で開催中の工芸展に行く。
作品の写真は省略します。
海田宿は広島の一つ江戸寄りの宿場。そこで天下送りの業務をしていた千葉家はもともと千葉から来た家柄。
 
現在も倉庫業などを地元で展開中。古い家と庭がよく保存されていて、不定期で開催中です。JR海田から徒歩10分くらい。
 
さて、引き続き機織り頑張らないと。やれやれでございます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11/10 赤穂緞通の工房見学

2024-11-12 | 旅行

9月は個人の工房を見ましたが、今回は職人の養成のための施設です。

赤穂市が開設、ここで研修をして一人前と認められたら卒業して個人で織れるそうです。

日曜日で、指導者らしい年配女性と研修中の若い女性がが説明してくれました。

左は織っただけの部分。ハサミで表面を切りそろえて右のように仕上げます。

細い糸を切りそろえてビロードのような艶があります。しっかり打ち込んた糸はへたらず、長く使えるそうです。

ペルシャじゅうたんなど、他の敷物を織るのは竪機で、全体の柄を見ながら織りますが、こちらは高機。織ったのは巻き取るので、最後にほどいて出来上がりを見るときは緊張するそうです。

一枚に数か月、何枚も織らないと一人前にはなりません。他に仕事を持ち、研修に通う人も。熱意がないと続きませんね。

方眼紙に柄を描いて、升目の数の通りに織ります。

間違えたらどうするんでしょう?

間違えたら多分ほどいて正しく織り直す。

一日体験で作る小物。

これは練習用?

少し大きいのやら

畳一枚の大きさは和室に敷くため。

テレビ番組で見た京都の老舗旅館では、玄関に置いているように見えました。

こちらは土足で見学。赤穂駅から歩いて10分くらいです。

複雑な柄です。

指導者らしき人としばし機織り談義をする。一口に機織りと言っても作品はいろいろ。織り方もいろいろ。

究極の手技の緞通が、廃れずに残ってほしいと思いました。

かなり高価ですが、それに費やした時間を思えばそう高くもないのではと思います。

来年はまた友達と赤穂を訪ねる予定です。とても買えないけど、見学だけなら。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11/9 京都と岡山

2024-11-12 | 旅行

11/9土曜日、AM7:45頃、工事完成間近の広島駅が姿を現していた。

電車の中から写す。

字は案外地味。

広島からのぞみで約100分、京都につきました。

まずは烏丸御池の京都市文化博物館で、他の展示に混じって開催中の「陽明文庫展」を見る。展示替えがあるそうで数は多くなかった。学生証提示で400円。

国宝「御堂関白日記」は本物。以前広島市郊外の筆の里で複製を見たことがある。

日記の墨の字は鮮やか。紙もいい物らしく劣化はほとんどなし。

この時代の字は読みやすい。近世になって、たくさんの文書がつくられるようになると、符丁のような崩し字や続け文字が増えて却って読みにくい。

道長の字は素直な感じ。そして筆まめな人だったのでしょう。

続いて地下鉄と京阪で国立京都博物館まで。

本館。

軒下の神像はギリシア神話の神ではなく、日本の神様。

向こうに平成新館。

方広寺の柱の遺構。

方広寺の石垣。今の方広寺との間には豊国神社がありますが、元は広い境内だったことが分かります。

以前、国立博物館の守衛さんに方広寺の場所を聞いたら、「よう知らんけど、豊国さんの向こうと違うかなあ」との返事。地元の人でこのありさま。

今は観光コースからも外れ、ひっそりとしたお寺ですが、鐘は現存しています。

見たのはこちら。

古い涅槃図が多かったのですが、ただ一つ、立体的な涅槃像は高松市の法然寺から出張展示。こんな感じで。

【関西レビュー】特別展「法然と極楽浄土」京都国立博物館で12月1日まで – 美術展ナビ

法然寺では写真撮影禁止ですが、ここでは自由に写していいのに、うっかり見逃しました。残念無念。

でも背景も何もなくて、やや迫力に掛けます。本物はこんな感じ。

さぬきの寝釈迦 涅槃世界へ | 仏生山来迎院法然寺(高松市)

小学一年生の頃、祖母に連れられて、「ぶっしょーざんのおねはん」に行ったことがあります。暗いお堂の中のたくさんの羅漢像?が生きているようで怖かったのを憶えています。嘆き悲しむ姿がとんでもない迫力でした。動物もいろいろ。

京都の展示は迫力にはやや欠けるかも。

前庭。

三十三間堂でバスに乗ればよかったのですが、七条京阪まで歩き、帰りに寄るつもりだったラーメン屋は行列ができていたのでパス。結局京都駅バスチケット売り場で進々堂のパンを買い、のぞみの自由席で食べる。

旅先では空いていたら即入店すべし。京都駅のどの店も混雑していた。

赤穂線に乗る場合、姫路まで新快速、あとは赤穂で乗り継いで岡山方面とめんどくさそうなので、岡山までのぞみ、また東へ引き返しました。

お金は余計にかかったはずだけど、年取って面倒なことが億劫になる。

着きました。

無人駅。


とても静かな宿でした。

お茶を飲んでとりあえず一休み。

夕食は部屋で一人で食べます。若女将が運んでくれました。

子持ち鮎、豚の角煮は柔らかくてボリュームいっぱい。

牡蠣とか

鱧にアナゴとか

全部は食べきれなかったけど、美味しくいただきました。連日の寝不足で宵の口からよく寝ました。

朝食も部屋で一人でいただきます。

箸置きが象嵌になっているとの説明。部屋でゆっくりして9時13分の上りで赤穂へ向かいます。

誰に遠慮もない女の一人旅。好きなもの見て、好きなもの食べて、失敗や勘違いも全部自分の責任。たまにはこんな旅もいいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山のレトロな宿

2024-11-11 | 旅行

9月に見そびれたもう一つの赤穂緞通の工房、それを訪ねるのが今回の旅の目的の一つ。

のんびり寛げる宿と探すうち、たまたまこちらへヒットしました。

ゑびすや荒木旅館

赤穂線のほぼ中間地点、姫路からも岡山からもアクセスが悪く、不便な土地。

今回は京都から岡山経由で宿のある西片上まで。

西国街道に面した宿は安政3年1856年創業。

若女将によると、それまでは片上湾に面した回船問屋だったとのこと。

泊ったのは8畳2室の続き間の部屋。廊下が部屋の外を巡り、突き当りの渡り廊下の手前で施錠する仕組み。他の部屋の気配もなく本当に静かな部屋でした。

長年の旅館業で宿泊者もいろいろ。

ゑびすや荒木旅館 » ゆかりの人々

明治天皇の名前も。

思うにこれは地方巡幸時の宿泊ではないかと思われます。

天皇巡行は昭和天皇が有名ですが、明治初めの天皇巡行も、ご一新で時代が変わったことを庶民に実感してもらう大切な政策でした。

当時は船で移動、宿は港に面した当旅館としたのでしょう。当時は海沿いのこの地方が海路、陸路ともメインのルート、人も物も多く行き交っていたと思われます。

チェックアウトして駅に向かおうとしたら、若女将が二階の大広間へ案内してくれました。

二階の大広間。

2年前、建築家の隈研吾氏がスタッフと泊まってこちらで宴会したそうです。

岡山県の木材の調査に来たとか、そんな話でした。

その他にビッグネームいろいろ。

与謝野鉄幹、晶子は各地に足跡を残しています。

各地で歌会があり、講師として呼ばれたようです。

備前焼の産地が近い当地で、陶芸作家と交流。

不鮮明ですが、昭和の超有名歌手がこの広間で歌ったそうです。

黒光りする舞台。

会館やホールのない時代・・・と言っても昭和40年代。地方ではまだまだそんなものだったのでしょうか。

片上八景の絵にこの宿の前身、回船問屋も描かれているそうです。

といろいろ驚くうちに最後はこれ。

電話室のガラスは当時のオリジナル。町で4番目の番号。

電話機も保存されています。

こんなにいろいろ見どころがあるのなら、もっとゆっくり聞きたかったのですが列車の時刻も迫ってきました。

JR駅まで急ぎます。

無人駅。駅前には店は一切ありません。静かな街でした。つげ義春氏の漫画に出てきそうな、不思議な宿のある不思議な街。

人が静かにほほ笑んで暮らしている、桃源郷のような世界・・・と妄想は果てしなく。

電車は赤穂方面へ。一時間に一本。これを逃すと大幅に予定が狂います。

レトロな宿の昔話から、少しずつ2024年の現実に戻ってきました。

そうですね、当節流行りの温泉旅館とは全く違う趣き、宿も宿の人も今の時代には稀有な不思議な体験でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

備前焼の宿

2024-11-10 | 旅行
お宿は備前焼の産地に近いので、部屋にもいろいろありました。




一輪挿し


朝食の器
宿の人に勧められて伊部の備前焼にも立ち寄ることにしました。
20年ぶりくらい?
きょうもいいお天気です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人旅の宿

2024-11-09 | 旅行

京都へ行き、岡山まで戻って、赤穂線西片上駅近くの宿に投宿。
八畳二間続きのレトロな宿です。

古くてもいい。広いの大好き。

柴田錬三郎がこの部屋に泊まり、この地に題材を取った小説を書いたそうです。





二間の外を廊下が巡り、その先は後付けの水周り。
静かです。

この後、部屋に食事がきます。

宿の前は旧西国街道とのこと。微妙に曲がった古い街道の面影。
無人駅で駅前には何もなし。
でもさらに歩いてマックスバリュで買い物しました。
今の時代、奇跡のように残った古い宿。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週に一度の登校日

2024-11-09 | 機織り
 
秋晴れ。9時半ころ。
大学にもだいぶ慣れてきました。
本当はずっと行きたいけど、複雑な織り機は学生さん用、社会人は平織り用織り機しか使えないので、一年でやめる。
でも糸のこと、道具のいろいろ、学んだことは多かった。

櫂の木に実が付きました。
孔子にゆかりの木。岡山県の閑谷学校には立派な木が二本あります。

教授の退官記念展を学内で開催中。
藝大ご出身で、30年前の開学当時、助手として赴任。
パンフには来歴として、御父君がプロ野球選手だったとのこと。
森永勝也氏ですね。広島→巨人と選手をし、後に監督にもなった人。
 
絵はさすがに素晴らしかったです。ロシア、サンクトペテルブルクで研究していたこともあったそうで、ロシアの街の雪景色の絵に感動しました。
写実的なのが多かったけど、手の描き方など、これがプロの仕事と思わされました。
来週もまたゆっくり見たいものです。興味のある方は是非どうぞ。
断れば外来者用Pが利用可能と思います。

ナンキンハゼも色づいて
国際学部と情報学部の間の植え込み。



昨日は135㎝まで。一月半ばに出来るのかしら。
真ん中の糸は中心の目印のため。
暗闇に浮かび上がる竜巻、またはきのこ雲。不穏の気配。
糸を均質に打ち込むのが難しい。柄がないので下手さがはっきりと。
 
きょうはいまから一人で旅行に。夫は留守番。行ってきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終日、整経をする

2024-11-07 | 機織り
機織り、機織りとウザいブログでございます。
その心は、いつから始めて日数どのくらいかかったかの記録。
次にする目安に。何卒お許しを。

 
青、生成、紺、生成、、、生成は染める前、1巻の糸が少し安い。
紺も前と微妙に色が違う。色を頼りにデザイン考えているので、なるだけ同じ色でお願いしたいところ。
休み休み、6分目くらいまで。残りは明日以降に。



傍らの椅子の上にメモなど置いて作業する。

宮殿風模様の布は先週の大雨の日、大学からもらってきたうちの一枚。
布団生地らしいけど、短いので椅子カバーに。上下の端を結んだだけ。
 
元の椅子はこちら。
 
 
京都は山科のホテル山楽で。
 
 
広いシングル部屋。
コロナ真っただ中の2021年年末、JR西日本2日間(新幹線も)乗り放題18,000円という企画切符で出歩いた時に泊まった宿。
 
 
椅子が座り心地いいので、ネットで同じものを必死で探して、見つかったので買った。安くて軽くて扱いやすい椅子。
 
以前友達が来たときこの椅子を見せたら、「**さん、椅子が好きよね」と指摘された。確かに。椅子各種、座るだけでなくていろいろに使っている。
 
これは脱いだ服をとりあえず掛けておくのに使うことが多いかな。自堕落。
昨日来た友達に布を何枚か持って帰って貰う。彼女も糸、布の好きな同好の士。活用してくれることでしょう。
 
私たちの親の世代、手のひらの大きさの布切れもきっと大切にしていたに違いない。その遠い記憶がこの体の中にもかすかに残っているらしく、布が捨てられない。
 
最後は雑巾にして天寿を全うしてもらう。その待機の布の多いこと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とも近くより来たる。 また楽しからずや

2024-11-06 | 日記


午前中、近所の友達が来て楽しく情報交換をしました。
織りをする人です。
午後からは糸を撚って過ごします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美術展に出かける

2024-11-05 | お出かけ

フリー素材より。ダリア。

昼前に待ち合わせて、友達二人と会食。

板蕎麦 香り家

そばの前に前菜とてんぷら、蕎麦の後には炊き込みご飯、またはわらび餅が選べます。盛りだくさんで、おいしくて、お値段そこそこ。

「美味しいもの食べて、気心知れた人と楽しく話して、私達幸せよね。でも窓がなくていい景色がないのが残念」と、私が言うと、友人が「その代わりに私の顔を見て」と。はいはい、そうでした笑。

食後は歩いてさる美術展へ。知り合いが出展していて、その場で別の知り合いもいて、他の要件も連絡したりして、一気に片付ける。

当地の工芸の世界もいろいろなところで繋がっていて、年は行ってるけど私は新参者。皆さんに頭下げていろいろ教えてもらう。

家を出る前、今回のリフォームの二件目の見積もりが届いた。最後のが来てから決定の予定。

夫は山を昨日歩いてやや不調。西洋医学だけではなく、整体とか行けばと勧めてもなかなかその気にならないようで。でも、先で困るのは本人。気長に話してみよう。

11月は他に二件、工芸展を勧められている。その他にも京都へ行く予定。と気候のいい時にせいぜい動きたいものです。

毎日の生活でストレスをためない。楽しいことは大いに楽しみ、嫌なことは忘れていく。人は来てまた去っていくもの。去った人をあれこれ思わず、今付き合っている人を大切に。

人の縁が切れるのは、次の新しい場面に行きなさいとの何かの計らい。素直に流れに乗っていく。

先日、遠くの友人が、別の、これまた遠くの友人の消息を知らせてくれた。体調悪くて私たちに連絡できなかったとのこと。心配です。私のことが嫌いになってもう付き合わなくていいと決めて、楽しくやっているのならそれでもいいと思っていたけど、そうではなかったので。

無理せず気長に快復してほしいと思う。

今日一日を無事に過ごせたことは当たり前ではなくて、いろいろな条件がそろった有難いことと思うって、考えることがいちいち年寄り。

いいもん、年寄りだもん。

大学では、学生さんに、あの人、今から勉強してどうするつもり?と思われているかもしれないけど、今まで生きてきたからこれからもずっと生きていくように錯覚している。20歳の頃と、今と学びの心は変わらない感覚。というか、親のお金で勉強していた時より、今の方が真剣かも。この年では、どんなことでもこれが最後かもしれないとしみじみと味わう私がいる。って、これまた年寄りくさッ。

年寄りの常として、昨夜は山を上がり降りして疲れて早く寝たら未明に目が醒めたので、今夜も早くに寝ることにします。寒くなる前の一瞬の気持ちいい季節、大切に過ごさなければ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾道で源氏絵(屏風)を見る

2024-11-05 | 日記

11/4 尾道の浄土寺所蔵、源氏物語の扇面を貼り合わせた屏風が、特別公開されていたので見に行きました。昨日は最終日でした。普段は東京国立博物館にあるとのことです。

尾道浄土寺蔵源氏物語図扇面貼交屏風特別公開展

 

展示は本堂裏の建物。

大人1,500円、私(学生)500円。

六曲一双の大きな屏風で、暗がりの中でも金色が光を放ち、特別の存在感がありました。

以下はパンフから。

10/26と10/28~11/4のわずかな期間の公開でした。

暗がりの中で特別の存在感。

六曲一双の右は春夏の華やかな場面、左は秋冬の寂しく悲しい場面で、物語の順ではありません。

実際に使われていた扇の骨を抜いて屏風に貼ったそうで、一枚ずつが大きい。

後から書いた字は、折り目を避けているとのこと。

若紫と野分

若紫の有名な場面「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠の中に籠めつりたるものを」が扇面に描かれています。

私はこの説明を読むまで、犬君とはその名前からいたずら好きの男の子とばかり思っていましたが、召使の童女だったらしい。

そうですよね。地味な境遇ですが、若紫の父親は先の帝の子で兵部卿宮、本人は藤壺の女御の姪、男の子が近くにいるわけがない。私の認識不足でした。

名前の由来は動物の生命力にあやかってのことでしょうか。大きくなると名前も変わる?

そしてこの場面は大河ドラマ「光る君へ」の冒頭部分、逃げた雀を追って川原へ来たまひろが、三郎と初めて出会うエピソードで本歌取りされていましたね。

いゃあ、よかったです。

美術館の無機質な空間ではなく、元々所蔵する寺のお堂の暗がりの中で、素通しで見られたのがよかった。

後は尾道散歩いろいろ。


千光寺山の裏、観光客用Pに車を停めて山を越え、街へ降ります。

尾道水道と向島。造船所も見えます。

千光寺への参道を下って行きます。

尾道大橋と新尾道大橋。

19歳、一年生の春休み、尾道で美術部の合宿をした。泊まったのは友愛山荘ユースホステル。その頃はまだ付き合ってなかった我が同居人(夫)も参加。

友達がその**クンに頼まれて街で絵の具を買ったのはいいんだけど、しばらくして落としたことに気が付き、みんなで引き返したらチューヴは車にひかれてぺしゃんこに。

道に点々と(等間隔で)黒い跡が付き、やがて薄くなって消えていた。黒の絵の具でした。

何にでも笑える年頃、友達以外の私達には受けたけど、頼まれた本人はごめんと謝って潰れた絵の具を**クンに渡していた。**クンは憮然。

私は一人でJRで行くつもりでしたが、その**クンが「一緒に行く」「山、歩ける?」「大丈夫」というので車で出かけました。

山頂往復のロープウェーがありますが下りは当然歩いて。

谷あいの暗い道を下ります。建築基準法が変わり、山の斜面の家はもう新しく建て替えられません。それで、古い家が、店になったりしています。

殆ど森に呑み込まれそうな家はカフェ。お客さんもいます。

以前は猫がたくさんいて「猫の小径」。昨日は見かけませんでした。

道端の石で作ったオブジェ。

降りてきました。麓の家のオブジェ。尾道的。

向かい側。


降りてきたところで夫は腰と背中が痛いと言い出して、しばし休憩。

車に積んだ、自作の長い木の杖を持って来るんだったと悔やんでいます。使わないときに邪魔と却下したのは私でした。これからは本人の言うことに従いましょう。

浄土寺は商店街を抜けて、ロープウェイの降りたところからは10分くらい歩きます。真言宗泉涌寺派の古刹、映画「東京物語」のロケ地としても有名です。

海に面した崖の上に建っています。

本堂。

裏に茶室があります。

浄土寺 露滴庵

あれなに?茶室じゃないのと話していたら、後ろから袴姿の男性が来て、伏見城の茶室が西本願寺→浅野家(広島藩主)→向島の豪商→浄土寺へとその来歴を説明してくれました。

袴姿のその人は浄土寺の茶事を取り仕切る方だそうです。

伏見城の遺構は伝説も含めて各地に点在するそうで、こちらは古田織部作の写しとして江戸時代につくられたというネット情報もあります。

おりしもお寺では屏風を公開した記念のお茶席があり、「光る君へ」のセットみたいな御簾を垂らした一角でお茶が800円で振舞われていました。

せめてあの御簾を写真に撮ればよかった。残念。


後は街歩きです。夫はもう歩かない、コンビニで何か買ってここで休むと、商店街中ほどの観光客休憩所から離れないので、私一人で以前行っていた尾道ラーメンの店まで。

尾道帆布

電動の織機。

シャトル。

駅に一番近い尾道ラーメンの店は、久しぶりに行くと経営者が変わっていました。

とてもおいしい尾道ラーメンから普通においしいラーメンに。残念。飲食店の有為転変も激しいようです。

再び商店街を引き返し、同じ道を歩いて山頂まで上がり夫と合流。以前より山を上がるのがうんと苦しかったけど、歩けるうちはと頑張る。登っているのは若い人ばかり。無理をするばあちゃんでした。

ずっと昔、一度くらいロープウェーに乗った記憶があるけど、もしかしたら19歳の合宿の時?、以後一度も乗っていません。節約、節約。

夫に聞くと片道500円だったとのこと。お客さん多くてだいぶ待ったそうです。

こうして夫とも無事合流、帰宅。片道一時間半のお出かけでした。


11月はこの後、私のソロ活動が続きます。

夫は義妹と一緒に従妹の家に遊びに行くらしいけど、いつになるかはまだ決まっていない模様。

この従妹は私は苦手。

母親が入院中に「お宅の息子さんにいい医師を紹介してほしい」とか、「車種は決めてないけどお宅の息子さんの口利きで車を安く売ってほしい」とか不可思議な頼みごとをしてくる不思議な人。息子たちは会ったこともない人。

入院しているのに、別な医師を紹介してもらってどうするんだろ???

「私、何々先生の知り合いですう~」と言っても主治医からは「はあ?それが何か?」と冷たくあしらわれるんじゃなかろか。

息子は車を作る会社に勤務、地元で車を売るのは全く別の会社。それを混同しているらしい。本人名義だと安く買える話だけど、保険関係などの手続きが面倒そうで、私たちも頼んだことない。

夫の親戚とどう付き合うかは夫の自由、しかし私と息子たちは関係ないと先日宣言した。

母親からは法事で顔を合わせるたびに「太った」と言われ続け、最後は年取ったのダメ押し。その兄からも「年取った」と言われ、ほんとに失礼な一家。

以前の私は夫親族から何を言われても言い返さない人だったけど、もうこの年なので嫌なことはしないことにしている。そう決めたら気が楽になった。

姑は私の容姿など何も言わないばかりか、どこかよそで「うちのお嫁さんは頭がよくて美人」と言ってたらしい。まわりまわってその話を友達からいた。

私はもちろん頭もよくなく、美人でもありませんが、その話聞いて少しは頑張らないとと思ったのです。

ね、人は言葉が大切。そして日ごろの思いが言葉に現れる。気をつけたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撚糸を頑張る

2024-11-03 | 機織り


いいお天気ですが、家にいてたまった用事いろいろ。
プランターの花の植え替え、 冬服を出す。などなど。
そして夕方は撚糸を。
4本をより合わせて、つづれ織りに使います。 明日もいいお天気らしい。休みはまだ続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日は120㎝まで

2024-11-01 | 機織り
 
金曜日は大学の登校日。
行って見たら織り機が窓際に移動になっていた。横と後ろが広くなって楽になったかな。
学生さんはまだデザインの段階で、十数台の織機のうち、非常勤助教の先生、卒業制作らしい巨大な綴れ織り、新しく始めたシャギー織り以外は機は空いている。
立派な織り機がずらりと並ぶさまは壮観で、写真に撮りたいけど、撮るだけならいいかな。
 
午後から染工房の見学をする予定だったけど、時間の連絡がうまくいかず、できなかった。
 
染工房は水や薬品を使うので、コンクリートの土間。織り工房は糸が汚れたらいけないので、靴を脱いで上がるフローリングの広い部屋。
 
前に習っていた工房も畳の部屋にカーペット敷いて織り機を並べていた。織機の数なら大学も工房も同じくらい。全くの個人で道具も各種揃えて教えてくださった先生にはただ感謝。
 
来週会いますが、「私は基礎を教えただけ」といつも謙遜。人生の出会いはいろいろあるけど、還暦過ぎての出会いは私にはとても大切なものとなりました。
 
大学も楽しい。年を忘れている。先生や学生さんから見るとおばあちゃんで、学内に出会う人皆が私より若い。いつの間にかこんなに時間が経ってしまって。
 
でも大学にいると、前の学校にいたのもついこの間のような気がしてしまうのです。
 
 
30年前にできた公立大学。
確か中四国で芸術系学部のある公立大学はここだけ。
学生さんは遠くからも来ている。
自由な気風がとてもいい感じ。私もその気風が感染しているかも。
 
山の元の植生に加えて一部植樹。ゆっくり木を見る機会もないのですが、ケヤキにモミの木は後から植えたものでしょう。
 
工房のすぐ前にはクヌギがあり、実生で生えた若木が茂っている。木を見るのも楽しい。

 
なかなか進みません。やっと120㎝。今日は初めから糸がなくて、1時間くらい撚糸をしていた。次回からは家でして持って行く。



工房に「学生さんの教材に」と布類の寄付がたくさんあったそうです。
織り工房は、機織りだけにはとどまらず、糸や布を使う自由な表現をするのですが、柄の布は使いにくいとかで、殆ど減らないと非常勤助教の若い先生が言われるので、とりあえず貰ってきました。
 
服地、カーテン地、布団生地などの端切れかなと思います。
何を縫う当てもないのだけど、行き場のない布についほだされて。
パネル柄のシルク?地はブラウスによさそうですが、本日は風呂敷のつもりで包んで帰りました。
 
黒と紺のレースもたくさんあります。布が嬉しいのは昭和の女。
さて何にします。来週友達が遊びに来るので要るのは渡すつもりです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村