今日2020年12月8日、79年前の午前2時に日本陸軍が英領マレー半島コタバルという地点に上陸し、未明に日本海軍がハワイ・オアフ島真珠湾を奇襲攻撃した日。
今朝の朝日新聞朝刊には、その真珠湾攻撃に参加した102才になる元飛行兵の体験談が載せられていた。その朝、空母から350機が出撃して320機が帰還したという。機動部隊に発せられた南雲忠一中将の訓示は「十年兵ヲ養フハ只一日之ヲ用ヒンガ為ナルヲ想起シ」とある。十年訓練を重ねたのは1日で死んで成果を上げるためという趣旨のメッセージか。兵隊の命を使い捨てのコマ同様に見ていた時代。戦争末期の特攻隊などはその極地であろう。
終戦まで、皆そのような根本思想により戦いが行われ、進軍する兵士の兵站(食料ほかの補給物質)をあてがわず深いジャングルに進軍させた(多くが餓死、略奪)、輸送物質・人員の警護を行わず海を渡らせた(潜水艦によって撃沈)、兵隊の多くが農民で国内での自給が滞った‥、自国の兵士の命をそのように粗末に扱う思想は、捕虜や植民地とした朝鮮人や戦地の住民への命の軽視にもつながった・・・など負の遺産を残して、奇襲の日から4年も経たぬうちに戦争は終わった。
日本人だけで民間人を含めて300万人以上、米国、中国人ほか戦場となった国々の犠牲者はいかなるものか。朝鮮(?)、満州(?)、台湾(?)、樺太の半分、千島列島を失い、何一ついいことはなかった「戦争」という災禍。
そのような「戦争」という災禍を二度と繰り返さないという決意(たとえ米側のお仕着せであっても)の上に組織化された国の独立機関「日本学術会議」の委員として推薦され、某支離滅裂・原稿棒読み・来賓祝辞チック令和オジサンに「任命拒否」された加藤陽子先生の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)を、今日という日、走り読みして過ごす。
アベノマスク、然り
GOTOトラベル、然り
任命拒否、然り
あの太平洋戦争(短期決戦作戦、ガダルカナル、インパール・・・)同様、後戻りしようにも、「代替案」なく突き進んで、結果として多くの犠牲、失敗、無駄遣いを招いた為政者の発想力は、戦後75年たっても変わっていないかも…(合掌)