かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

幻のオリンピック開会式の日

2020-07-23 09:48:53 | 日記

四連休で思い出したが、今日は、ほんとうなら東京2020オリンピックの開会式だった。日本人の何割が覚えているだろうか。真夏の東京、新国立競技場で、夜の8時から11時まで開会式がにぎにぎしく執り行われ、ほんとうなら、半分くらいの日本人が、親父はビールと枝豆、子供らはスイカなどをしゃぶりながら、TVの前でくつろいでいたことだろう。

それがどうだろう、この四連休、昨日はコロナの感染者が過去最多の796人を数え、小池知事や医師会長がとうとう「域外への移動の自粛」をアナウンスしはじめた。全く危機意識を待たず、トンチンカン政策を更新し続けている官邸も根負けして自粛を言い出すのは「時間の問題」だろう。

国のトップの危機意識のなさが感染したのか、多くの同胞と同じように、オイラも以前のように危機意識を持たずに、晴れたら域外に出て歩き回ろうと思っている。ただし、緊急事態宣言が再び出され、安倍さんや村井さんの口から、「県外移動は控えて」という段階で県内だけを歩き回ることにし、「Stay Home」が叫ばれた時点で、4月に遡って近所の青葉の森の徘徊でがまんしよう。どうなんだろう、このクラゲのような「風に吹かれて」人生観。

 

ネットで、「東京2020開会式」と検索したら「7月23日(金)」とでてきた。

「え?今日23日は木曜なんだけど、間違ってない?」

よくよく、そのサイトを調べたら「東京2020」とは2021年のお話。来年の7月23日はまぎれもなく金曜日なのだ。

「そうか、来年のオリンピックの名称は【東京2020】のままで、スケジュールは今年通りとすることになっていたんだ。」

と、やっと納得したが、ネットの世界からすでに今年のオリンピックはなかったことになっていて、跡形もなくなっている。あれほど、チケット予約アプリを登録できたことを喜んで、、応募しては、ハズレタ、またハズレタとアタフタされられた日々は何だったろうか。

オイラの記憶の東京2020は、あの宮城に降り立った聖火とブルーインパルスの描いたゴリンが強風に瞬時にかき消された日の映像で止まったままだ。

さて、2021年7月23日金曜日、日本はどうなっていて、オイラはどうなっているのだろう。もう、オリンピック熱はすっかり冷めている。


昨日は、晴れたので野草園へ。汗が噴き出して、虫に刺され、静かにニイニイが鳴いているのを聴き、2時間もしないで、外に出たが、もうミヤギノハギが咲き始めていた。2週間ぐらいの間隔で入園したいが、再休園の日も近いのか。(ちなみに、東北大植物園は、いまだ休園している。先見性というものか)

 

                       

                                

 

すこし、スライドビューにしてみた。

 

 

 

家でくつろぎながら、ベートーヴェンの 「アンダンテ ファヴォリ」リヒテルだ。

コメント

ハチと間違えたハエのお話

2020-07-22 09:12:55 | 日記

こないだの日記に、ヒメジョンにやってきた小型の「ハチ」について名前はまだ知らないと付記した。下の写真である。

ネットのハナバチ図鑑をたどっても、同じような美しいお腹を持った「ハチ」が探せなかったので、図鑑.JPという検索サイトの掲示板に教えを乞うた。

その日に、詳しい方の回答があった。「羽が二枚しかないので、ハチではなくハエの仲間だ」と。

ハチは、羽が二対四枚の「膜翅目」に分類されるが、ハエは、羽が一対二枚の「双翅目」に分類されるという。

(そうだったのか。そんなことも知らないで生きてきたのか・・・)

教えてくれた方によると、名前は、「ホソヒラタアブ」というハナアブ科に属するハエの仲間であると。

(そういえば、写真をよく見るとお顔が、あの嫌われ者のアブやハエに見えてきた・・・・)

え?「アブ」というのにハエなの?という疑問がわいたが、分類上アブは「直縫群」に、ハエは「環縫群」に分けられるので、名前はアブだが「ホソヒラタアブ」という「ハナアブ科」は「環縫群」であるからハエの仲間なのだという。

(直縫とか環縫とかは、さなぎの縫い目、どのようにさなぎが割れて成虫が顔を出すのかの分類らしいが、

学者というものはそんなに細かいヒトたちだったのか・・)

で、あの美しい縞々模様はハチじゃないの?とギモンがよぎる。これも生物学上のむつかしい言葉だが、「ベイツ型擬態」というのだという。天敵から身を守るため、危険生物、たとえば毒針を持っているハチのデザインをハチ以外の生物が真似ることをいうのだそうだ。チョウやガの羽根が鳥の目に見えることなどもそういった擬態なのだろう。

(誰が最初に考えたのか、恐ろしい知恵者だな・・・)

もうひとつ、そのホソヒラタアブさん(写真は♀のようだ)、すばらしいホバリングでヒメジョンの美味しそうな蜜を探してゐたが、あの飛び方はハチそのものではないのか、たった二枚の羽根でホバリング能力はすごくないか。?とギモンに思ったが、それが大間違い。ハエの仲間は、昆虫類の中で飛翔能力が非常に高いのだという。

(そうだったのか、ハエを見くびっていた・・

さらに、ハナバチ科のホソヒラタアブさんたち名誉のために言っておくが、植物の受粉を手伝ってくれるし、幼虫は農家の敵のアブラムシを食べてくれるので、園芸課にとっては益虫に分類されるとのことだ。益虫、害虫はヒトの身勝手な分類なのだろうが、このハナバチさんたちと出会わなければ、ハエという生き物を忌み嫌ったまま人生を終わっていただろう。ありがとう、ハチのようなアブの名前を冠したハエさん。

(ステレオタイプなヒトに成り下がっていたオイラを反省・・・・・・)

 

      

 

 

 

 

Wikipediaハナアブ

 

 

 

ハナバチの動画ではなくハナアブさんの動画でした。お詫びして訂正します。

コメント

閑かなる地球の音

2020-07-21 10:34:35 | 日記

きのう、ひさびさに雨の予報がなかったので、セミの音が聴きたくて山寺に行く。仙台は、25℃なのに県境をこえて山形の地にはいるや、30℃をこえている。奥の院までの階段で、汗が吹き出し、ふらついて気分が悪くなってくる。自粛のせいにする体重増と胃腸の不具合。数年前まで、富士登山競争やトレランにいそしんでいたヒトと同じヒトかと疑いたくもなる。なんという時のむごさ。

芭蕉翁が、奥の細道で詠んだ「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」のセミが何のセミだったのか、かつて歌人の斎藤茂吉と漱石の弟子だった国文学者小宮豊隆との論争あったということだが、芭蕉翁が立石寺を訪れた旧暦うるう年5月27日は、いまの太陽暦で7月13日とあって、茂吉の主張ずるアブラゼミは、「まだ鳴くのは早い」と片付けられ、小宮の主張するニイニイゼミが定説になっているとか。元禄時代の気候はいかなるものか分からんが、明治以降今に至るまでの概ねの季節感覚からして、ニイニイで妥当なのだろう。

地球温暖化が叫ばれる今日この頃、昨日は、もう7月20日。アブラゼミが鳴いていてもおかしくないのだろうが、山寺に降りて耳を澄ませども、ニイニイの微かな音を聴きとるのがせいいっぱいだった。今年は、永く梅雨空が続いてきたので、今年は「何か変」なのだろう。

でも、微かな音量でも、ニイニイが鳴いていいてくれてよかった。

思うに、芭蕉翁のあの句。「ニイニイでなければならない」と思っている。昨年も同じ時期に山寺をあるいて確信していたが、おしゃべりなしでは生きられないような外国勢が皆無に近かったことと、日本人参拝者も圧倒的に少ない今年の立石寺に登ってみて、佳景寂寞(カケイジャクマク)とした環境には、ニイニイの高周波の弱音がぴったりするのであり、まさに何千年も沈黙に耐えている凝灰岩の岩肌に、ニイニイの醸し出す音が吸い込まれていくような、そんな感覚を体験する。

俳人の、長谷川櫂さんは、NHKの100分で名著で、芭蕉翁のセミの声は現実のものではなく、芭蕉が心の中で聞いた静けさであるようなコメントをしておられるが、オイラは詩人の西脇順三郎さんの下記の訳の方が、現実的なのだとおもう。ニイニイの控えめな高音(オイラの右耳の耳鳴りのようだ)は、そもそも「閑か」の範疇に入るものだろう。

何たる閑かさ

蝉が岩に

しみ入るやうに鳴いてゐる

 


NHKテキストHPでの長谷川櫂さんのコメント

 

山から下りて、立谷川河畔の梢でニイニイが瀬音にかき消されるように鳴いていた。川面からはカジカガエルの声も聞こえた。カジカガエルの音も日本の夏の静けさ。瀬の音だって、ややもすれば静かなものだろう。個人差はあるだろうが、オイラにとって夏のセミ音(アブラやミンミンだって)は、すべからく静寂を誘う懐かしくもいとおしい音源なのだ。「山の音」すべからくなのかもしれない。もうすぐ、最も愛すべきカナカナの短い季節がやってくる。

 

 

 

    

  頂上付近の納経堂からは、面白山の山並みが青く望める。1000年以上にわたって祈りをささげるヒトビトが目にした風景。

 

 

    

トチの実が大きくなって色づいてきた。あと半月もすれば、立秋なのである。

 

 

 

 

    

寺のカキの実も大きくなっている。甘いのか渋いのかわからないが、誰かが植えついで、口にしてきたことだろう。

 

この夏も、ニイニイが聞こえてよかった。

 

すこし、スライドビューにしてみた。

コメント

閑かさや

2020-07-20 07:40:53 | 日記

近所の料理屋の庭にもうヤマユリが開いていた。あの強烈に艶っぽい匂いを嗅ごうとして顔を近づけるとセミの抜け殻。耳を澄ましても誰も鳴いていない。7月半ばをすぎても、雨の日が続いて、やっと晴れて暑くなってきたが、昨日まで梅雨寒。アブラやヒグラシにはまだ早い。きっとニイニイだろう。もう一度耳を澄ますしても鳴いていない。

 

    

 

晴れたので、ひさびさ広瀬川の河原を歩いてみる。目立たない小さな夏の花にハナバチやチョウがやってきて無心に蜜を求めている。ハチもチョウも名前がすぐ出てこない。かといって、捕まえて調べるわけにはいかない。写真で撮って、ネットで調べる。それでも分からないものばかりだ。草や木と同様、名前を覚えないと「友」とは言えないだろう。

 

 

     

               ヤブガラシのオレンジの小さな花

 

     

         ノブドウの花にキチョウがストローをさしています

     

     

       ヒメジョンにやってきた美しい小型のハチですが、名前をまだ知らない

 

 

 

 

 

 トウネズミモチの甘い香りに誘われて、タテハチョウ科のキタテハだと思いますが・・

 

 

 名前を知らないハチが、懸命にヒメジョンの蜜を集めています

 

 

 

ニイニイの声がしたんですが、きこえるか?

 

ニイニイの季節になると、この句が思い出される。山寺の今日は晴れて暑くなりそうだ。ニイニイの閑さを味わいたいので、いってこようか。

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声(芭蕉)

 

 

コメント

満月の山・新月の山

2020-07-18 10:16:59 | 日記

夏から秋にかけて、十五夜の満月となる日を選んで山に登り、月を愛でながら、あるいは山上で故人を偲び、あるいは山に逝ったヒトビトの御霊をなぐさめ、あるいは遠くない日に彷徨うであろうオイラの魂を想像しながら、彼らと酒を酌み交わす。

昨年9月の満月の日は、お天気に恵まれ、御嶽山上で雲海からのぼる月を迎え、山稜に沈む月を見送った。これの儀式にハマったので、今年も酒を担いで出かけよう。天体観測手帳で確かめると、8月なら4日、9月も4日、10月なら2日が満月とある。9月の4日は、沖縄では旧盆の夜、皆がご先祖様に手を合わせ、念仏踊りをルーツとするエイサーなどで練り歩く。今年は、オイラもその日に合わせようか。

さて今年は、どの山にするか、頂上付近か見晴らしのいい稜線に小屋やテント場がある山がいいだろう。できれば、感染リスクを避け、他人に迷惑をかけないような静かなテント場がいいが、どこがいいか探してみよう。

一方、月明かりの全くなく、天の川が輝く新月の夜。星空撮影に最適な夜を選んで、寒さに震えながら朝晩を過ごすのもいいだろう。今年は、8月なら19日、9月なら17日だ。できれば、星空を美しく撮るためにベルボンのカーボン三脚を持参したいが、アプローチの短い山はどこか、いくつか候補地を探してみよう。

一向に梅雨明けのめどが立たたず、コロナ問題も再浮上してきて、「行けるかどうかも怪しくなってきた」2020年7月なかば。「空想登山」だけでもしておこう。

 


昨年9月の御嶽から数コマを編集してみた。

 

 

     

     二ノ池の午後の陽

   

 

 

 

     

     御嶽山頂にかかるさそり座・アンタレス、木星、土星

 

 

 

     

        雲海に月の出

 

     

         月の精が山に帰ってきたみたい

 

 

     

         摩利支天に隠れる月の精

 

 

     

       明けて、八ヶ岳が雲海に浮かぶ

 

     

        乗鞍・槍穂の朝のシルエット

 

     

        八ヶ岳・赤岳付近から陽が昇る

 

コメント