かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

どっこい、みんな生きている!

2020-07-08 16:17:01 | 日記

九州や中部地方における河川の氾濫などで、多くの人命が失われたことに、あらためて悲しい思いになるが、いつも被害を受けるのは、多くが運動機能の低下している高齢者や施設入居者などの災害弱者である。逃げ遅れるか逃げようとしてもままならぬ者たちなのだろう。

 

宮澤賢治のどの作品だったか、あるいは書簡だったか、賢治は人命や農作物におおくの被害をもたらした北上川の氾濫について、同時に、ヒト以外の多くの生き物のいのちが奪われたことに思いをいたらせている。ネズミだったか、昆虫だったか、とにかく普通の人が思いもよらぬ大きな視点で、災害を見つめていた人だった。

山川草木悉皆仏を唱える信仰の現れなのだろうが、ヒトの命ばかりでなく、何億の命も奪われていることは科学的事実なのだろう。大しけの海で、波力の暴力を避けながらコンブやホンダワラのの根元にじっとしていたり、影響の少ない深海に避難するなど、海の魚たちはうまく凌いで生きながらえていることを知っているが、さあ、どうだろう、アユをはじめとする川魚たちは。あの激流には、なすすべもないのではないか。あるいは、いったん海に流されて、ほとぼりが済んだらのぼってくるのだろうか。ネズミやバッタやアリやアブラムシはどうしたものか。

今度の、氾濫した球磨川について、氾濫の原因を、「ダムをつくらなかった民主党政権や知事が悪い」、「環境左翼は、人命よりもアユの命を守ろうとしてダムに反対した」などどネトウヨ系の「言論人」は、したり顔で息巻いているが、いかに強大なコンクリート系施設をつくっても、このところの自然の脅威は人知を超えたところにあり、計画通りダムが完成していたとしても、はたして、被害を防げたかどうか、立証できないのではないだろうか。

極論の部類だろうが、「君子危うきに近づかず」、ハザード地帯での居住はやめることにしてはどうか。(東京のゼロメートル地帯の現実をを考えると暗澹とせざるを得ないが・・・ どんなに痛めつけられても、生き物は「どっこい 生きている!」とまた一からやりなおす習性があるのだろうか)

 

九州や中部に暴れまくる風神・雷神たちは、やがて当地にもやってくるのか。雲間から薄日のさす、広瀬川河畔では、カタツムリやベニシジミたちがつかの間の静穏に憩いでいるし、心配していたねむの木のつぼみの一団も開花したものと思われ、いたいけな淡紅のおしべたちは雨に打たれうなだれているが、もう役目を果たしたかのような眠りについているようにもみえる。

ついこないだまで青かったヤブデマリの実は、すでに頬を赤く染めて、秋の準備に入ったようだし、6月になっても硬くつぼんでいたトウネズミモチは、小さな薄緑の花をやっと開いて、ハチたちを誘っている。春から夏、夏から秋と花の開花は、示し合わせたように、微妙にずれて、ハチや蝶の命を長らえさせているようでもある。それが、花たちの戦略だという学者もいるが、示し合わせたのは、誰なのか。答えは分からない。

 

 

   

てっぺんまで行って、折り返しでござる。(でんでんむしの子供が遊んでいるようにも)

   

 

   

心配していたが、特定のブロックの花が集団で咲いていた。みな、雨に打たれたバーコドの髪のようだが・・・ほっとした。

   

 

   

たぶん♀のベニシジミさんだろうが、雨で葉の裏でじっとしていたので、晴れたらうれしいのだろう。日向ぼっこ。

   

紅をさしたヤブデマリの実たち。秋になって紅くなって、春までの間に黒く熟すとのこと。どの鳥がついばみに来るのだろう。

   

 

 

ここからは、滋味系の薄緑の花たち。

 

   

モクセイ科イボタボキ属 トウネズミモチの花がやっと咲きました。木の実は、ネズミのフンみたいだと称される灰色の実は、やはりまずいらしく、普通、粗食家(悪食家なのか?)のヒヨドリぐらいが食するのだという。

 

   

宇宙ステーションのようなブドウ科ヤブガラシの花たち。オレンジのが開いた花だという。

 

   

 もっとよく見れば、愛らしい花がいっぱいの タデ科イタドリの花。 葉っぱも花もいろんな虫たちに恵みを与えているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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