今日は東日本大震災から7年が経ちました。
まだまだ仮設に7万3千人が避難しています。
放射能汚染で、まだ家に帰れないのです。
「3.11 福島を忘れない!さよなら原発 in 海部・津島集会」に娘と一緒に参加しました。
「あるみRPネット」の代表井川景子さんの震災当時の話を聞きました。
井川さん一家は、栃木県塩原市に4歳と7ヵ月のこどもの4人で幸せに暮していました。
当日は7ヵ月の子供をオムツを替えていた時に、凄い揺れに襲われ、食器や電化製品が飛ぶ中で、ジッとしていたら、揺れが収まり、すぐ夫の仕事場に行くと、工場はグチャグチャに壊れていたが、夫は無事だった。
買い物に行っても何もない。生協も届かない中で、オムツもなく、子供はお尻が真っ赤になってしまった。
そのうち福島原発が爆発して、福島原発から100km離れているが、4月中旬放射能の子供たちの影響にビックリして、広島へ、名古屋に避難してきた。
毎日毎日子供を守ることに精一杯だった。
半年後4歳の子供が、体調を崩して、PDSDになってしまった。
東北三県は何かと国の援助があったが、関東の栃木県、茨城県、群馬県には、切り捨てられ、忘れられた被災地には、何も援助はありませんでした。
今も子供たちの甲状腺ガンの検査を私費で行っています。
被災地の復興は進んでいくが、子供たちがおおきくなっていくにつれて、甲状腺ガンの危険に脅かされていく。
涙なしでは聞く事が出来なかった。
あゆみ.R.P.ネット(ARPN)という原発事故被害者支えあいの会を作って運動をしています。
娘とカンパをしてきました。
オリンピックよりも原発被害者への補償する事に国の予算を使って欲しいと切に思います。
今日の万歩計は、9,252歩でした。