ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2018年3月21日(水)、45年前の交換日記

2018年03月22日 05時06分06秒 | 日記

    3日間で1番激しい雨が降っている。

夫のお墓に行こうかと思ったが、とても行けるお天気ではなかった。

昨日の夫との交換日記を読んで、一番感動した文章を2編残しておきたい。

   「交換日記のはじまり」(1971.1.2~10.22)

   1971年1月2日  夜

  我が思いは    御岳へ

なんと長い一日であろうか

   1971年1月3日   

   おもいは  はせる   なんと重い空気だ    いきがつまりそうだ

   なぜおもいははせるのか    なぜこうまていきがつまりそうなのか

   早く帰って来い    おもいきり   だきしめたい

   力強くお前を   抱きしめたい

(私が初めての冬登山に出かけて、帰って来た時に見せられ、プロポーズしてくれました)

   1971年5月26日(水)晴

    昨日は遅くまで話し合えて良かった。

いろいろな意味で和子の両親が、いろいろと考えてることは大きな収穫であった。

心配されていることは、よく分かるが、認識不足から、来ている面も多分にあるので、話し合いの場をもっと持つ必要がある。

  部屋に帰ってから、考えてなかなか眠れなかったが、このことは会ってから話す。

   只一つ腹わたがにえかえる思いをしたことがある。今でも頭からはなれないが。

和子には分かるかな。いや気がついたかな。

おそらく気づかなかったと思うが、俺自身笑って「ルンペンプロレタリアと僕達は言っている」とヒニクって言ったけどが。

  「ルンペン」と言われれば、たしかにそうだろうけど、この言葉の意味、ひびきはなにを言うものか分かるだろう。

人をバカにしたたぐいのものだ。

俺はそれを和子の母から、これから俺の少なからず、どうあれ親になる人から言われたのだ。

俺の今の気持ちは、しょげていない。意地でも立派にやって、みかえしてやるぞというきでいるが、一面では情けなくなる気もある。

自分自身に情けなくなってるのではなく、和子の母にだ。

こんなこと位は気にすることはなく、笑ってすごせばそれですむことてあるだろうが、

そうなるまでは時間が少しかかる。

すくいがたいことは、俺自身バカになれる才能を持っていることだ。

和子!どうなれ やるぞ。やれるんだ俺達は。

(今、無性に和子をだきしめ、俺の気持ちを肌でつたえたい。ノートでは実にじれったい)

 

   みなと労山の会長と結婚のお願いに行った時の母の言葉でした。

こんな日記を46年振りに読むと、夫のことを思い出して涙が出てくる。

やっぱり生まれ変わってもまた一緒になりたいなあ。

 

母は、母にとっては長女の私が、会社からクビを切られて、労働組合で反対運動をしている人が、娘をほしいと言ってきたことなんて信じられないのでしょう。

    でも、長男が喘息で苦しんでいるのを知って、少しでも空気のいいところにということで、佐屋で一緒に住むようになって、母も夫のやっていること、人柄を認めてくれました。夫も母を最後まで一番気にかけていた人でもあった。

    今日の万歩計は、3,453歩でした。

コメント