久し振りのお天気に、大洗濯をして、長男に折れた鍬を直してもらおうと届けるが、まだ眠っていたので、お嫁さんに頼んで、散歩に出掛ける。
昨年夫を亡くして、畑の世話している人が草取りをしていた。
何とか畑の仕事をしていると、気が紛れて、次は何を植えようかと考えていると、時間があっという間に過ぎてしまう。
私の父母が大井町に引っ越ししてきた頃、彼女も結婚したので、母のこともよく覚えているとのこと。
ちょうど息子たちの家の斜め南側の家だが、一本南側の道路のせいか普段は会うことはないが、畑が「シエン」に行く通り沿いにあるので、散歩の途中でよく会うことがあって、立ち話を最近よくするようになる。
お互いに「おひとりさま」になって、共通の話題が出来て、話しやすくなったせいかもしれない。
昼頃友人とランチに出掛けるが、急に空が曇ってきて、雨が降りそうになってきたので、慌てて食事をして帰ってきたが、洗濯物が濡れずに何とか間に合って助かった。
夕方息子の家に行くと、鍬がキチンと直してあったが、誰もいなかったので、そのまま貰って畑に持っていく。
折れた鍬に残った木を取ることが出来ずに困っていたが、さすがに息子は道具類も幾つがあるのか直ぐに直してくれて助かりました。
夫は大工作業がとても苦手で、父に色々頼まれても、上手くできなかったが、息子は教えることもなく、薪ストーブ用の薪置きの棚や家の中の棚なども木材を買ってきて、手作りをすることが大好きである。
大工仕事が好きなのは、お爺ちゃん譲りなのだろうか。
明治44年生まれの父は両親を5歳頃に亡くしているので、親戚の人に育てられて、高等小学校を出た時から大工仕事をして大変苦労した人である。
安城市に住んでいたが、電気関係の学校に通って、電気屋を始めて、終戦後は、随分儲けたようである。
父は真面目で几帳面だったようで、名古屋市新栄町の広小路通で電気工事店を開いて、甥や従兄弟などを使って、事業を手広くやっていました。
中区千郷町の広小路通に電気工事用の器具を扱う会社の名古屋営業所を自宅で任されて、私も結婚するまで住んでいました。
体調を崩して仕事も辞めて、父は温泉が大好きで、自宅で毎日温泉にユッタリと入れるように大きめなお風呂場を作って、1970年頃に大井町に引っ越ししました。
コーヒーも大好きで、いつも松屋の父用のブレンドのコーヒーを取り寄せて、毎日のように父が入れたコーヒーを飲ませてくれた。
肺気腫になって、終末はほとんど寝たっきりだった。
私達は結婚して港区に住んでいたが、長男が喘息になって、可愛そうだというので、車庫の2階に部屋を作ってくれて、1974年(昭和49年)3月に私達家族も一緒に住むようになって、賑やかになりました。
しかし、娘が生まれて1歳になった年の1978年(昭和53年)11月14に亡くなって、42年になります。
何年か振りに父を思い出しました。
今日の万歩計は、8,073歩でした。