生は生としてあり、
死は死としてあるのであって、
生から死へという連続的な変化としてとらえてはならない。
生は生であって、さらに生じることはないから「不生」
死は死であって、さらに滅びることはないから「不滅」
たしかに前後はあり、そしてその前後は「際断」している。
・・・略・・・
生は生として生の中に一切があります。
死は死として死の中に一切があります。
それぞれに絶対的なものだから、
生を生きればよく、
死を死ねばよいのです。
それぞれ絶対的なんだから。
ただ事実として生の後に死が続くだけのことです。
「生は生、死は死」これに尽きるのです。
それぞれ完結した存在の仕方をしており、
意味的に「前後際断」しながら続いて存在しているのです。
ああ、くちこ、またもや無断転記、抜粋。
くちこの理解は浅いと思うし、
この文も抜粋で伝わりにくいかもですが、
くちこの為に此処に残しておきます。
最近、結構、へこんでいます。
ある友人の母の言葉。
葬式の時によく「人」を見ておきなさい。
隠された本性が出ているから、と。
今回、その事、骨身に沁みました。
知らないうちに人を傷つけていることってある。
不可抗力で人に恨まれることもある。
悪意が無くても人に恨まれるのは、
やはり不徳なのだろうか。
人生は、何度でも、
今、この時からでもやり直せる。
自身の心で仕切りなおせる。
そう思いたいなあ。
なるべく正直に、
少しは人様の役に立とうとする、
そんなくちことして精進しよっと。
こんな時に次の訃報。
明日は伯父の葬儀です。
とても可愛がって貰いました。
娘夫婦や、孫達に囲まれ最後近くまで、
普通に自宅で過ごしていたようです。
九十余歳の大往生。
「伯父ちゃん、大合格!」
「明日、会いに行くね!」
昨今の神社仏閣巡り、
初めての精霊流し、
次々の訃報・・・
しかも、昨夜、普通の子が出張絡みで帰省。
へこんでいるくちこを支える役に。