昨日、朝のブログにヤマモモを採って食べた喜びを書いたら夜になって今度は大粒の立派なヤマモモが届きました。お礼の電話をする前にしっかり味わいました。美味この上なし。
神奈川県に住む小学校の同級生のIさんがお友達からもらったものをおすそ分けしてくれたのです。
近頃はあちこちの公園や団地、街路樹などにヤマモモはたくさん植えられていますが、雌雄異株の木であるせいか、実がなっているのにはなかなか出会いません。一昨日は僕としては初めての体験だったのです。
それにしてもこんな立派な実がなる木があるものですね。品種改良を進めた成果かと思われます。ヤマモモはすぐに饐(す)えてしまいます。生食は今日限りでしょう。
まだまだたくさん残っています。妻や娘の友人たちにもおすそ分けすることにします。
午後、図書館の映画会で『太陽の子』(1980年)を見ました。
映画・『太陽の子』http://movie.walkerplus.com/mv18963/
灰谷健次郎の同名の小説の映画化です。1978年の一年生の授業でこの大作を読みあったことは前に書きました。
「俺もてだのふぁになりたいな」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/828475df05fd1d0b8a79898234c8638c
浦山桐郎による映画化はそれから間もなくのことですから見ているはずです。しかし、思い起こすことはできません。肝心のふうちゃんやキヨシくんを演ずる役者がぎこちなく学芸会の芝居のような感じがするので印象に残らなかったのかもしれません。
140分という長さのせいもありますがその後の授業で見せたこともありません。小説のほうがはるかにいい、というのが僕の判断だったのでしょう。
この映画で一番印象に残ったのはおきなわ亭の常連ろくさんがキヨシくんの病院を見舞ったとき「公平な」取り調べをするといってキヨシくんを犯罪者扱いする警察官に向かって毅然として言葉を発する場面です。
キヨシ少年が昔の「悪い」仲間と会い、半殺しの目にあっても無抵抗の姿勢を貫いていたのですが「根性ないな、オキナワは」という差別的な言葉を投げつけられたことから、猛然と反撃に転じ相手も怪我をしたのです。
以下、小説の同じ場面から抜粋します。
四十七
「知念君が人に乱暴したのなら徹底的に調べてもらいたい。しかし、なぜ乱暴したのかということも徹底的に調べてもらいたい。」
「知念君が最初に警察のやっかいになったのは八歳のときだ」
「小さい子が親から離れて沖縄から大阪に連れてこられた。なにに頼ればいいのかね。預けられた家を逃げ出して野宿のようなことをして夜を明かすこともあったようだね。猫を飼っている家を覚えていて、猫の食べ残した煮干をかじって飢えをしのいだ。いいかい。この食べ物の豊富な時代にだよ。その家の人間が面白半分に、猫の食べ残しをとりにきたたった八歳の子に、頭から水をぶっかけた。その夜、八歳の子は石を投げてその家の窓ガラスをわったんだ」
「おれが親ならその子をほめてやるね」
「知念君が最初てだのふぁ・おきなわ亭にきたとき、たしかに荒れていた。けれど、わしたち沖縄の人間は、そんな知念君がかわいかった。時間をさいて、みんなで手分けして知念君のことを、あんたがたが知念君を調べるのとは反対のやり方で、知っていったんだ。沖縄の人間はそうしてひとを愛してきた」
<これから後は全文紹介です>
(刑事)「せっかく無抵抗だった知念が、オキナワは根性がないといわれただけで凶暴になったのは、過剰な郷土意識を持っていたからではないのかね」
その言葉が終るか終らないうちに、ベッドのキヨシ少年が暴れた。
「くそ!」
振り向いた男にキヨシ少年は、ペッと唾をかけた。
「このガキ。なめやがって」
男たちはキヨシ少年のほうに殺到した。
「やめてください!この子は病人です」
悲鳴のようにお母さんは叫んだ。
ろくさんとふうちゃんがキヨシ少年をかばって立った。
「あんたたちは、この子のかなしみがわからんのか。沖縄のかなしみがわからんのか」
ろくさんははじめて大声を出した。
「法の前に沖縄もくそもない。みんな平等だ!」
「そうか、平等か。ほんとうに平等かね」
その時初めてろくさんの眼がぎらっと光った。怒りで手が震えていた。
四十八
「この手を見なさい。よく見なさい」
ろくさんは上着をとり、寒いのにシャツまではいだ。浅黒い皮膚が出て、その胴には手が一本しかついていなかった。
ろくさんは見えない左手を突きだした。ほとんど根元からその手はなかった。十分な手当てが受けられなかったのか傷口がいびつだった。
「手榴弾で吹っ飛ばされた」
ろくさんはいくらかたじろいでいる男たちの前でいった。
「敵の手榴弾ではない。わしはただの大工で兵隊ではなかった。沖縄を守りに来てくれていた兵隊がわしたちに死ねといった。名誉のため死ねといって手榴弾をくれた。国のためテンノウヘイカのため死ねと彼らはいった。わたしたちはみんなかたまってその真ん中で手榴弾の信管を抜いた」
ふうちゃんは大きく眼を見開いた。いつかギッチョンチョンの家で見た集団自爆の写真の中に、ろくさんがいたということではないか。
「そして、みんな死んだんだ」
ふうちゃんが吐き気をもようしたあのむごい光景が、今またそこにあった。
ふうちゃんはしっかり眼を見開いていた。悲鳴をあげたり吐いたりするのではなく、いましっかりとその光景を見なくてはならないと、ふうちゃんは思った。
ろくさんがキヨシ少年の苦しみを分けて担おうとしたように、今ここでろくさんの話に耳をふさいだり、眼をそらしては沖縄の子ではない、ギッチョンチョンのいう『てだのふぁ』(太陽の子)ではないとふうちゃんはけんめいに耐えた。
「ええか、この手をよく見なさい。見えないこの手をよく見なさい。この手でわしは生まれたばかりの吾が子を殺した。赤ん坊の泣き声が敵にもれたら全滅だ。おまえの子どもを始末しなさい、それがみんなのためだ、国のためだーわしたちを守りに来た兵隊がいったんだ。沖縄の子どもたちを守りに来た兵隊がいったんだ。みんな死んで、その兵隊が生き残った。…この手をよく見なさい。この手はもうないのに、この手はいつまでもいつまでもわしを打つ」
ふうちゃんの眼に涙があふれた。しかし、ぎゅっと唇をかんで、ふうちゃんは耐えた。
「あんたはわしとあんまり年も変わらん。きっとやさしい子どもがいてるだろう。わしはこうして見えない手に打たれてひとりぼっちで生きている。同じ日本人だ。これで平等かね」
「………」
「あんたは子どもを殺したわしに手錠をかけることができるかね。悪いことをしないで平和に暮らしているひとたちのしあわせをまもらなくてはならないとあんたはいったね。わたしたちはなにも悪いことはしないで暮らしていたんだがね。あんたが悪い人だとは思わない。しかし、あんたを見ていると、日本の国を守るといいながら、罪もない人たちを殺していかねばならなかった日本の兵隊を思い出す」
さすがに男たちはことばをなくしていた。
「法の前に沖縄もくそもないとあんたはいった。そのことを心から望んでいるのが沖縄の人間だと知ったら、あんたがたはなんというだろう。失業率は全国最高、高校就学率は全国最低だけれど、あんたがたはそのためになにかやったかね。ま、そんなことはいうまい。しかし、知念キヨシというひとりの少年を見るだけで、かれの人生の中に不公平な沖縄がいっぱいつまっているということを知ってもらいたい。あんたがたは知念キヨシという少年の人生を見る気持ちはないかね。あんたの人生がかけがえのないように、この子の人生もかけがえがないんだよ。ひとを愛するということは、知らない人生を知るということでもあるんだよ。そう思わないかね」
以下(略)『太陽の子』(角川文庫)より
この小説が理論社から世に出たのは1978年,映画化は80年です。30年たったことになります。
日本政府の手で沖縄の復興・振興のために確かに大金が投入されましたが、「不公平な沖縄」が解決されていないことは基地問題を見るだけで明らかです。
前の宰相が更迭されてから沖縄の基地問題はなかったかの如く参議院の選挙が進行中です。虚しいとしか言いようがありません。
「これで平等かね」ろくさんの毅然とした問いかけは今この瞬間にも私たちに突きつけられています。私たちの人間的荒廃はどうしようもないところに来ているというほかはありません。
ろくさんを演じた松田豊昌(ほうしょう)という人は俳優ではなく沖縄戦を体験した印刷屋さんだったそうです。「体験を伝えるのも生き残った人間の役目」と応じて映画に出ることになったといいます。
灰谷健次郎と兄http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200802160063.html
神奈川県に住む小学校の同級生のIさんがお友達からもらったものをおすそ分けしてくれたのです。
近頃はあちこちの公園や団地、街路樹などにヤマモモはたくさん植えられていますが、雌雄異株の木であるせいか、実がなっているのにはなかなか出会いません。一昨日は僕としては初めての体験だったのです。
それにしてもこんな立派な実がなる木があるものですね。品種改良を進めた成果かと思われます。ヤマモモはすぐに饐(す)えてしまいます。生食は今日限りでしょう。
まだまだたくさん残っています。妻や娘の友人たちにもおすそ分けすることにします。
午後、図書館の映画会で『太陽の子』(1980年)を見ました。
映画・『太陽の子』http://movie.walkerplus.com/mv18963/
灰谷健次郎の同名の小説の映画化です。1978年の一年生の授業でこの大作を読みあったことは前に書きました。
「俺もてだのふぁになりたいな」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/828475df05fd1d0b8a79898234c8638c
浦山桐郎による映画化はそれから間もなくのことですから見ているはずです。しかし、思い起こすことはできません。肝心のふうちゃんやキヨシくんを演ずる役者がぎこちなく学芸会の芝居のような感じがするので印象に残らなかったのかもしれません。
140分という長さのせいもありますがその後の授業で見せたこともありません。小説のほうがはるかにいい、というのが僕の判断だったのでしょう。
この映画で一番印象に残ったのはおきなわ亭の常連ろくさんがキヨシくんの病院を見舞ったとき「公平な」取り調べをするといってキヨシくんを犯罪者扱いする警察官に向かって毅然として言葉を発する場面です。
キヨシ少年が昔の「悪い」仲間と会い、半殺しの目にあっても無抵抗の姿勢を貫いていたのですが「根性ないな、オキナワは」という差別的な言葉を投げつけられたことから、猛然と反撃に転じ相手も怪我をしたのです。
以下、小説の同じ場面から抜粋します。
四十七
「知念君が人に乱暴したのなら徹底的に調べてもらいたい。しかし、なぜ乱暴したのかということも徹底的に調べてもらいたい。」
「知念君が最初に警察のやっかいになったのは八歳のときだ」
「小さい子が親から離れて沖縄から大阪に連れてこられた。なにに頼ればいいのかね。預けられた家を逃げ出して野宿のようなことをして夜を明かすこともあったようだね。猫を飼っている家を覚えていて、猫の食べ残した煮干をかじって飢えをしのいだ。いいかい。この食べ物の豊富な時代にだよ。その家の人間が面白半分に、猫の食べ残しをとりにきたたった八歳の子に、頭から水をぶっかけた。その夜、八歳の子は石を投げてその家の窓ガラスをわったんだ」
「おれが親ならその子をほめてやるね」
「知念君が最初てだのふぁ・おきなわ亭にきたとき、たしかに荒れていた。けれど、わしたち沖縄の人間は、そんな知念君がかわいかった。時間をさいて、みんなで手分けして知念君のことを、あんたがたが知念君を調べるのとは反対のやり方で、知っていったんだ。沖縄の人間はそうしてひとを愛してきた」
<これから後は全文紹介です>
(刑事)「せっかく無抵抗だった知念が、オキナワは根性がないといわれただけで凶暴になったのは、過剰な郷土意識を持っていたからではないのかね」
その言葉が終るか終らないうちに、ベッドのキヨシ少年が暴れた。
「くそ!」
振り向いた男にキヨシ少年は、ペッと唾をかけた。
「このガキ。なめやがって」
男たちはキヨシ少年のほうに殺到した。
「やめてください!この子は病人です」
悲鳴のようにお母さんは叫んだ。
ろくさんとふうちゃんがキヨシ少年をかばって立った。
「あんたたちは、この子のかなしみがわからんのか。沖縄のかなしみがわからんのか」
ろくさんははじめて大声を出した。
「法の前に沖縄もくそもない。みんな平等だ!」
「そうか、平等か。ほんとうに平等かね」
その時初めてろくさんの眼がぎらっと光った。怒りで手が震えていた。
四十八
「この手を見なさい。よく見なさい」
ろくさんは上着をとり、寒いのにシャツまではいだ。浅黒い皮膚が出て、その胴には手が一本しかついていなかった。
ろくさんは見えない左手を突きだした。ほとんど根元からその手はなかった。十分な手当てが受けられなかったのか傷口がいびつだった。
「手榴弾で吹っ飛ばされた」
ろくさんはいくらかたじろいでいる男たちの前でいった。
「敵の手榴弾ではない。わしはただの大工で兵隊ではなかった。沖縄を守りに来てくれていた兵隊がわしたちに死ねといった。名誉のため死ねといって手榴弾をくれた。国のためテンノウヘイカのため死ねと彼らはいった。わたしたちはみんなかたまってその真ん中で手榴弾の信管を抜いた」
ふうちゃんは大きく眼を見開いた。いつかギッチョンチョンの家で見た集団自爆の写真の中に、ろくさんがいたということではないか。
「そして、みんな死んだんだ」
ふうちゃんが吐き気をもようしたあのむごい光景が、今またそこにあった。
ふうちゃんはしっかり眼を見開いていた。悲鳴をあげたり吐いたりするのではなく、いましっかりとその光景を見なくてはならないと、ふうちゃんは思った。
ろくさんがキヨシ少年の苦しみを分けて担おうとしたように、今ここでろくさんの話に耳をふさいだり、眼をそらしては沖縄の子ではない、ギッチョンチョンのいう『てだのふぁ』(太陽の子)ではないとふうちゃんはけんめいに耐えた。
「ええか、この手をよく見なさい。見えないこの手をよく見なさい。この手でわしは生まれたばかりの吾が子を殺した。赤ん坊の泣き声が敵にもれたら全滅だ。おまえの子どもを始末しなさい、それがみんなのためだ、国のためだーわしたちを守りに来た兵隊がいったんだ。沖縄の子どもたちを守りに来た兵隊がいったんだ。みんな死んで、その兵隊が生き残った。…この手をよく見なさい。この手はもうないのに、この手はいつまでもいつまでもわしを打つ」
ふうちゃんの眼に涙があふれた。しかし、ぎゅっと唇をかんで、ふうちゃんは耐えた。
「あんたはわしとあんまり年も変わらん。きっとやさしい子どもがいてるだろう。わしはこうして見えない手に打たれてひとりぼっちで生きている。同じ日本人だ。これで平等かね」
「………」
「あんたは子どもを殺したわしに手錠をかけることができるかね。悪いことをしないで平和に暮らしているひとたちのしあわせをまもらなくてはならないとあんたはいったね。わたしたちはなにも悪いことはしないで暮らしていたんだがね。あんたが悪い人だとは思わない。しかし、あんたを見ていると、日本の国を守るといいながら、罪もない人たちを殺していかねばならなかった日本の兵隊を思い出す」
さすがに男たちはことばをなくしていた。
「法の前に沖縄もくそもないとあんたはいった。そのことを心から望んでいるのが沖縄の人間だと知ったら、あんたがたはなんというだろう。失業率は全国最高、高校就学率は全国最低だけれど、あんたがたはそのためになにかやったかね。ま、そんなことはいうまい。しかし、知念キヨシというひとりの少年を見るだけで、かれの人生の中に不公平な沖縄がいっぱいつまっているということを知ってもらいたい。あんたがたは知念キヨシという少年の人生を見る気持ちはないかね。あんたの人生がかけがえのないように、この子の人生もかけがえがないんだよ。ひとを愛するということは、知らない人生を知るということでもあるんだよ。そう思わないかね」
以下(略)『太陽の子』(角川文庫)より
この小説が理論社から世に出たのは1978年,映画化は80年です。30年たったことになります。
日本政府の手で沖縄の復興・振興のために確かに大金が投入されましたが、「不公平な沖縄」が解決されていないことは基地問題を見るだけで明らかです。
前の宰相が更迭されてから沖縄の基地問題はなかったかの如く参議院の選挙が進行中です。虚しいとしか言いようがありません。
「これで平等かね」ろくさんの毅然とした問いかけは今この瞬間にも私たちに突きつけられています。私たちの人間的荒廃はどうしようもないところに来ているというほかはありません。
ろくさんを演じた松田豊昌(ほうしょう)という人は俳優ではなく沖縄戦を体験した印刷屋さんだったそうです。「体験を伝えるのも生き残った人間の役目」と応じて映画に出ることになったといいます。
灰谷健次郎と兄http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200802160063.html