川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『太陽の子』Ⅲ  キヨシ君の手紙

2010-07-06 06:35:27 | 映画  音楽 美術など
 『太陽の子』(灰谷健次郎著 角川文庫)の書き写し、最終回です。


 キヨシ君がふうちゃんに宛てた手紙(「四十八」「四十九」から)


「……。勇気いうたらなんやということを、ろくさんのおっちゃんにおしえてもろた。勇気いうたら警察で暴れたりさかろうたりすることやない。けんかして勝つことでもない。勇気いうたらしずかなもんや。勇気いうたらやさしいもんや。勇気いうたらきびしいもんや。そんなすごい勇気を持っているのは沖縄の人間だけや。そうおもたら、おれ、沖縄の子やってほんとによかった。沖縄に生まれたことをこうかいして、他人ばっかり(他人どころかかあちゃんまで)うらんどったおれは、人間のカスやった。けど、ふうちゃん。おれはもうカスとちがうでえ。おれは沖縄の子やで。おれも『てだのふぁ』や。そうおもたら、おれ、つらかったけど、うれしかったんや。おれは今まで自分が不幸やとおもとったけど、今はそうおもわへん。幸福いうたらおおかたは不幸をふみ台にしてあるもんやとおもたら、なんやあほくさなって笑えてきた。まえに、ギッチョンチョンが山之口貘(やまのぐち・ばく)とかいう沖縄の詩人の詩をおしえてくれたことがあったやろ。おれ、ちゃんとおぼえてるぞ。
 

 土の上にゆかがある
 ゆかの上にはたたみがある
 たたみの上にあるのが座ぷとんで
 その上にあるのが楽という
 楽の上にはなんにもないのであろうか
 どうぞおしきなさいとすすめられて
 楽にすわったさびしさよ
 土の世界をはるかにみおろしているように
 住みなれぬ世界がさびしいよ

 『座ぶとん』という題やったやろ。はじめてきいたとき、なにをねごとみたいなことぬかしとんやとおもたけど、今やったら、ちょっとくらいわかるような気がする。山之口貘というおっさんは、いっぺんも金持ちになったことがないねんやろ。てだのふぁ・おきなわ亭にくる連中といっしょや。ひとの不幸をふみ台にして幸福になったってしょうがないやないか。そんなもん幸福といわへん。けど、おれは今までそのことがわからへんかったんやなあ。てだのふぁ・おきなわ亭にきて、おれは少しずつそのことがわかってきたんや。ふうちゃん、おれ、ほんまにうれしいぞ……」


「人間いうたら自分ひとりのことしか考えてえへんときは不幸なもんや。そのことがこんど、ようわかった。おれ、ショウヘイになぐられているとき、ずっとかあちゃんのことを考えとったんや。かあちゃんが受けてきた苦しみを、おれは今、少しやけど味わっているんやとおもたら、おれ、ふしぎにしあわせな気分やった。ひとになぐられて、しあわせなことがあるはずがないのに、そのとき、おれ、しあわせやった」


「人間いうたらどんなときでもひとりぼっちやとおもとったけど、そやなかった。たしかに人間はひとりぼっちやけど、『肝苦(ちむぐ)りさ』の心さえ失わへんかったら、ひとりぼっちの人間でもたくさんの人たちと暖こうに生きていけるということがわかったんや。てだのふぁ・おきなわ亭にきて、そのことがようわかったんや。おれは今までなにをしとったんやろ。それを思うとはずかしい。おれはかあちゃんにすまんことをした。死んだねえちゃんにもすまんことした。土下座(どげざ)してあやまりたいー。ふうちゃん。かあちゃんのことを話すからきいてくれるか。ふうちゃんがもう少し大きくなるまで、この話はせんとことおもとったんやけど、きのう、ろくさんのおっちゃんの告白をきいているふうちゃんの眼を見てるうちに、ふうちゃんを子どもあつかいにしたらあかんとおもた。ふうちゃんの眼はきれいやった。きれいだけやない。ふかい海みたいなすごい眼やった。あんな眼ができるおまえがうらやましい。あんなすごい眼ができるふうちゃんにだったら、おれのかあちゃんのことを話してもだいじょうぶや。そうおもた。ふうちゃん、おれのかあちゃんはな。アメリカの兵隊に乱暴されて、そいつの赤ん坊を生んでしもたんや。おれのとうちゃんにすまんというて生んだ赤ん坊やったけど、生まれるとすぐ死んでしもうたそうやから、かあちゃんの決心はなんにもならへんかった。ふうちゃん、おれの生まれた家は、今、アメリカの基地の飛行場の下やて。とうちゃんの人生もかあちゃんの人生も基地のためにめちゃめちゃにされてしもた。アメリカの基地は日本を守るためにあるのやそうやから、おれの家の不幸をふみ台にして日本人は幸福に暮らしとるわけや。ええ気なもんや。そんな幸福はどこかまちごうとる。そうおもわへんか、ふうちゃん。沖縄の人間はもっと日本人に文句をいうたらええーだれでもそう思うところやけど、じっさいはふうちゃんのおとうさんや、ろくさんのおっちゃんみたいに、なにひとつ文句をいわん人が、大部分の沖縄の人間やろ。-けど、ふうちゃん。ふうちゃんのおとうさんやろくさんのおっちゃんの持っているやさしさは、いつかきっと日本人のお手本になるとおもうのや。おれが、てだのふぁ・おきなわ亭にきてだんだんまともになってきたように、日本は沖縄の心にふれて、だんだんまともになっていくのとちがうやろか。そやなかったら日本は死ぬだけや。ふうちゃん、おれ、死んだねえちゃんの死んだ理由を、あれこれとせんさくすることはやめにした。ねえちゃんのことをきいたら、だれもが口ごもりよった。それだけでもう十分や。そのことがねえちゃんの死んだ理由や。そうおもう。ろくさんのおっちゃんに教えてもろた勇気を大切にせなあかん。おれ、ねえちゃんの分まで生きたる」



 50人の生徒たちのただなかで『太陽の子』を声に出して読み続けた日々の喜びと感動を忘れることはありません。

 灰谷さんが彷徨の果てに獲得した言葉を二人の子どもの言葉として私たちにわかりやすく届けてくれたのです。

 この生徒たちが卒業していくときのアルバムに僕の口から「キヨシ少年の言葉」が発せられるコーナーがあります。

 「たしかに人間はひとりぼっちやけど、『肝苦(ちむぐ)りさ』の心さえ失わへんかったら、ひとりぼっちの人間でもたくさんの人たちと暖こうに生きていけるということがわかったんや。」

 あれから30年の月日が流れて今度はふうちゃんとキヨシ君の手紙を書きうつしました。
書きうつしながら声を詰まらせて泣いていました。どの言葉にも真実があり、真実にたどり着いた人間の喜びと誇りがあります。

 ぎっしりと詰まった文字で読みにくいかもしれませんが、声に出して読んでみてください。

 『太陽の子』http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%AD%90-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%81%B0%E8%B0%B7-%E5%81%A5%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4043520107

映画『太陽の子』http://item.rakuten.co.jp/neowing-r/ade-519/