『わたしの娘を100ウォンで売ります』(晩聲社)という本を神戸の友人が送ってくれた。
張真晟 (チャンジンソン)という人の詩集でユン・ユンドウさんの日本語訳だ。
本の存在は知っていたが詩集とは気付かなかった。友人が送ってくれなかったら読まなかったかもしれない。読書力が極端になくなっているのだ。
詩の力というものを知った。
一つの詩を紹介するくらいなら許されるかと本の題名にもなっている詩を声に出しながら書きうつした。
わたしの娘を100ウォンで売ります
張真晟 (チャンジンソン)
その女は 憔悴(しょうすい)していた
――わたしの 娘を 100ウォンで 売ります
書かれた 紙を 首に かけ
おさな児を わきに立たせて
市場に 立っていた その女は
女は 唖者(あしゃ)であった
売られる 娘と
売る 母性を ながめては
人々の 投げかける 呪詛(じゅそ)にも
地べたを みつめるばかりの その女は
女は 涙も 枯れていた
母が 死病に かかって いると
わめき 泣き叫ぶ 娘が
母のチマに すがっても
女は ただ くちびるを
震(ふる)わせるばかり
女は 感謝することも 知らなかった
あんたの 娘ではなく
母性愛を 買うと
ひとりの 軍人が 100ウォン 手渡すと
その金を もって どこへやら
駆け出した その女は
女は 母であった
娘を売った 100ウォンで
小麦粉パンを かかえ
慌(あわて)て 駆(か)け戻り
別離(わか)れ行く 娘の
口へ 押し込み
――赦しておくれ!
慟哭(どうこく)した その女は
【註】100ウォン 2001年7・1経済管理改善措置で労働者の基本給が110ウォンから2000ウォンにアップした。1999年の労働新聞によると、米1キロが最低500ウォンで、卵一個が200ウォン以上となっている。
【註】チマ 韓服のスカートの部分
続いて著者の書いた「はじめに」の抜粋。
○北朝鮮の党報である労働新聞には、抒情詩や叙事詩がたびたび紹介されてはいるが、そのような作品は金正日の賛辞、あるいは特別なサインを貰ったものに限られる。私の最初の読者も金正日であった。…金正日と一緒に写真を撮った二十代の自分を思い起こしてみたりもする。そのころの私は間違いなく幸福であった。しかし、それは奴隷としての幸せであった。最も貧しい国に、最も裕福な王がいるということを知ったとき、私の良心が脱北を選ばせた。そしてついに、2004年に韓国に入国した。
豆満江をこえるときは、その身分の露見につながるような、いかなる痕跡も残さないようにするのが常識である。しかし、私は韓国に行ったら、必ず三OO万人の餓死者のことを暴露しなければならないという使命感から、北朝鮮で書きとめたメモを抱いて越境してきた。…「わたしの娘を100ウォンで売ります」もその中のひとつであった。在北の当時、市場で見た衝撃的事実をそのままに載せたものであり、悲劇的な母性愛をうたったものである。
○私は韓国の大学生たちに訊きたい。
自然災害も、戦争もない平和な日常の中で、三OO万人もが餓死する国のあることを知っているか。この朝鮮半島にその三OO万人の餓死者たちの数をさしおいて、他に語るに足る正義と良心とは何か。
○今も夢の中で、生々しく蘇(よみがえ)る道端の屍(しかばね)、物乞いたちの差し出された手や、顔の真っ黒な子どもたち、刑罰ではなく教養という名の、見せしめを目的に行われる公開処刑の銃声。その地獄を逃れ、脱北するそのあがきさえが犯罪になる北朝鮮。その惨状を詩にするというそれ自体が、奢(おご)りのようにも思われるが、私の感情は鬱憤(うっぷん)を吐き出し、慟哭(どうこく)しなければいられなかった。
○読者たちにお願いしたい。私のこの本は詩集ではなく、北朝鮮のルポである。だからぜひ、お詠(よ)みにはなりませんように。今も現在形である私たちの北半分、あの北朝鮮の苦痛を共に悲しみ、深く理解して下さることを…。
2008年4月15日 著者 張真晟 (チャンジンソン)
「川越だより」を読んでくださる皆さん。
友人が送ってくれた本は歌手の朴保(ぱく・ぽー)くんに届けました。彼は保くんに是非とも読んで欲しいと考えて、僕に伝達を頼んだのです。脱北した詩人の慟哭をコリア系の歌手はどう受け止めるのでしょうか。
皆さんもどうかこの詩集を手に入れて読んでみてください。長い文章を読む力をなくした僕にもこの方の詩の力には深く深く打たれます。映画「クロッシング」にひけをとりません。
「朝鮮半島にその三OO万人の餓死者たちの数をさしおいて、他に語るに足る正義と良心とは何か。」
問われているのは韓国の学生たちだけではありません。10万人の在日コリアンと日本人配偶者を北に送ったまま知らんぷりを続けているこの列島に住むすべての人々も同様なのです。
この本は川越の図書館にはなく三郷市立コミュニティセンターから取り寄せて貸してくれました。
僕は一昨日、北朝鮮で音信が絶えたままの娘さんを持つ、昔の生徒のお母さんの消息を知ったばかりです。元気だというので近く母子に会えるかと楽しみにしています。
張真晟 (チャンジンソン)という人の詩集でユン・ユンドウさんの日本語訳だ。
本の存在は知っていたが詩集とは気付かなかった。友人が送ってくれなかったら読まなかったかもしれない。読書力が極端になくなっているのだ。
詩の力というものを知った。
一つの詩を紹介するくらいなら許されるかと本の題名にもなっている詩を声に出しながら書きうつした。
わたしの娘を100ウォンで売ります
張真晟 (チャンジンソン)
その女は 憔悴(しょうすい)していた
――わたしの 娘を 100ウォンで 売ります
書かれた 紙を 首に かけ
おさな児を わきに立たせて
市場に 立っていた その女は
女は 唖者(あしゃ)であった
売られる 娘と
売る 母性を ながめては
人々の 投げかける 呪詛(じゅそ)にも
地べたを みつめるばかりの その女は
女は 涙も 枯れていた
母が 死病に かかって いると
わめき 泣き叫ぶ 娘が
母のチマに すがっても
女は ただ くちびるを
震(ふる)わせるばかり
女は 感謝することも 知らなかった
あんたの 娘ではなく
母性愛を 買うと
ひとりの 軍人が 100ウォン 手渡すと
その金を もって どこへやら
駆け出した その女は
女は 母であった
娘を売った 100ウォンで
小麦粉パンを かかえ
慌(あわて)て 駆(か)け戻り
別離(わか)れ行く 娘の
口へ 押し込み
――赦しておくれ!
慟哭(どうこく)した その女は
【註】100ウォン 2001年7・1経済管理改善措置で労働者の基本給が110ウォンから2000ウォンにアップした。1999年の労働新聞によると、米1キロが最低500ウォンで、卵一個が200ウォン以上となっている。
【註】チマ 韓服のスカートの部分
続いて著者の書いた「はじめに」の抜粋。
○北朝鮮の党報である労働新聞には、抒情詩や叙事詩がたびたび紹介されてはいるが、そのような作品は金正日の賛辞、あるいは特別なサインを貰ったものに限られる。私の最初の読者も金正日であった。…金正日と一緒に写真を撮った二十代の自分を思い起こしてみたりもする。そのころの私は間違いなく幸福であった。しかし、それは奴隷としての幸せであった。最も貧しい国に、最も裕福な王がいるということを知ったとき、私の良心が脱北を選ばせた。そしてついに、2004年に韓国に入国した。
豆満江をこえるときは、その身分の露見につながるような、いかなる痕跡も残さないようにするのが常識である。しかし、私は韓国に行ったら、必ず三OO万人の餓死者のことを暴露しなければならないという使命感から、北朝鮮で書きとめたメモを抱いて越境してきた。…「わたしの娘を100ウォンで売ります」もその中のひとつであった。在北の当時、市場で見た衝撃的事実をそのままに載せたものであり、悲劇的な母性愛をうたったものである。
○私は韓国の大学生たちに訊きたい。
自然災害も、戦争もない平和な日常の中で、三OO万人もが餓死する国のあることを知っているか。この朝鮮半島にその三OO万人の餓死者たちの数をさしおいて、他に語るに足る正義と良心とは何か。
○今も夢の中で、生々しく蘇(よみがえ)る道端の屍(しかばね)、物乞いたちの差し出された手や、顔の真っ黒な子どもたち、刑罰ではなく教養という名の、見せしめを目的に行われる公開処刑の銃声。その地獄を逃れ、脱北するそのあがきさえが犯罪になる北朝鮮。その惨状を詩にするというそれ自体が、奢(おご)りのようにも思われるが、私の感情は鬱憤(うっぷん)を吐き出し、慟哭(どうこく)しなければいられなかった。
○読者たちにお願いしたい。私のこの本は詩集ではなく、北朝鮮のルポである。だからぜひ、お詠(よ)みにはなりませんように。今も現在形である私たちの北半分、あの北朝鮮の苦痛を共に悲しみ、深く理解して下さることを…。
2008年4月15日 著者 張真晟 (チャンジンソン)
「川越だより」を読んでくださる皆さん。
友人が送ってくれた本は歌手の朴保(ぱく・ぽー)くんに届けました。彼は保くんに是非とも読んで欲しいと考えて、僕に伝達を頼んだのです。脱北した詩人の慟哭をコリア系の歌手はどう受け止めるのでしょうか。
皆さんもどうかこの詩集を手に入れて読んでみてください。長い文章を読む力をなくした僕にもこの方の詩の力には深く深く打たれます。映画「クロッシング」にひけをとりません。
「朝鮮半島にその三OO万人の餓死者たちの数をさしおいて、他に語るに足る正義と良心とは何か。」
問われているのは韓国の学生たちだけではありません。10万人の在日コリアンと日本人配偶者を北に送ったまま知らんぷりを続けているこの列島に住むすべての人々も同様なのです。
この本は川越の図書館にはなく三郷市立コミュニティセンターから取り寄せて貸してくれました。
僕は一昨日、北朝鮮で音信が絶えたままの娘さんを持つ、昔の生徒のお母さんの消息を知ったばかりです。元気だというので近く母子に会えるかと楽しみにしています。