川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

1941年7月25日

2010-07-25 06:37:13 | 父・家族・自分
1941・7・25 ○ 政府、駐日英・米大使に日仏印共同防衛成立を通告

    ○南部仏印進駐部隊、海南島三亜港を出港

○米、在米日本資産を凍結

 69年前の7月25日の出来事を年表で調べてみました。

   「政府」 第3次近衛文麿(このえふみまろ)内閣

   「仏印」 フランス領インドシナ  フランス(ヴィシー政府)が植民地支配してい        たヴェトナム・カンボジア・ラオス

   
 日中戦争の行き詰まりを打開するため(英米軍の援蒋ルートを遮断するため)政府はヴィシー政府に圧力をかけ、前年の北部仏印に続いて南部仏印に部隊を進駐させることにしたのです。
 これに対し、アメリカがこの日、直ちに日本の在米資産を凍結し、翌日、英蘭もこれに続きました。日米(英蘭)開戦(12・8)はもうすぐです。

 
 こんな日に僕は高知県室戸岬町で生まれました。父がなぜ「啓介」と名付けたのか、きき忘れてしまいました。「岡田啓介」という首相(海軍大将)の名とかかわりがあったのでしょうか?

 「資産凍結」という言葉は最近目にしたばかりです。


 米、北朝鮮不法関与者の口座凍結 追加制裁へ http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE0E3E2E1E48DE0E3E2E5E0E2E3E29F9FEAE2E2E2


 韓国哨戒艦撃沈事件をきっかけにして朝鮮半島の緊張は高まっているのです。鳩山(前)首相が「米軍の抑止力」を理由として普天間基地の県外移転を諦めると声明して辞任したばかりですがそのことはもうこの国では話題にすらなっていません。これでいいのでしょうか。

 戦争以外の方法で国際紛争を解決する、これが日本の国是です。北朝鮮の金独裁政権が引き起こす果てしのない無法とどう対決するか、私たちは私たちなりに議論を深め覚悟を決めなくてはならないはずです。

 69年前には「日米決戦」に突き進んでしまい、日本は破滅の道を選びました。憲法9条を持つ今の日本はどんなことがあっても戦争に突き進んではなりません。しかし、北朝鮮の独裁者の無法に融和的であっていいはずがありません。


 家族をはじめ多くの友人たちのおかげで69歳の誕生日を元気に迎えることができました。この12月には左肺摘出手術から5年になります。70歳になって「大野ヶ原から源氏ヶ駄馬に登る」という目標も夢ではなくなったかな。「皆さん、ありがとうございます。」

 今日はベスト4に挑む市立川越高校の応援に出かけます。大宮の県立球場です。いつもの通り自転車です。

 東に西に北に南に自転車を走らせる毎日です。しかし、どんな時でも北朝鮮で助けを待つ人々のことは頭から離れません。40年間在日コリアン問題とかかわりを持つことによって人の情けが少しはわかるようになった人間の現在です。無力ですができることをやっていきたいと思います。