10月9日(日)晴れ
新河岸の「曼陀羅」で姉と妻の母(柳子さん・92歳)と私たちで昼食会をしました。二人が会うのは10数年ぶりです。
「曼荼羅」で開いたのはここの主人・井上泰久くんが高知県室戸市浮津の出身だからです。故郷には長く帰っていません。室戸からやって来た姉なら最新の室戸情報を届けてくれます。
二人は初対面ですが井上くん(僕の高校の後輩でもあるのでふだんからこう呼んでいます)のお母さんが姉や僕の母校・室戸岬小学校の先生だったのですぐにつながります。
料理が出来るまで井上くんに頼んでご両親のアルバムを見せてもらいました。姉は井上くんのお父さんの記憶もあるようです。仕事場がご自宅に近かったのです。
井上享子先生が海岸に引きあげられた大敷舟のうえで10数人の女の子たちと一緒に写っている写真がありました。まるで「24の瞳」の大石先生のようです。
不思議に思って探してみると同じ日に海岸の岩の上で10数人の男の子と一緒に写っている写真も見つかりました。担任をしていたクラスのこどもたちとの記念写真なのでしょう。昭和30年(1955)前後かな?室戸岬町椎名小学校辺りか?
(室戸市椎名海岸の秋祭り風景)
先生は三人のこどもを育てながら学校に通勤していたそうです。泰久くんの口から「毎朝、バスに乗り遅れそうになって、ぞーもみよった」と言う言葉が出てきました。遠い昔に聞いたことがあるような?
僕はもうすっかり忘れていた土佐弁です。『高知県方言辞典』には「ぞーもむ」「気をもむ。心を痛める。心配する」とあります。
東京生まれであるにも関わらず、室戸の女性たちとの交流が深い妻はなんの違和感もなく理解したそうです。曼荼羅には土佐高校の同級生たちが時々やってくるので井上くんの土佐弁は枯死することがないのでしょう。この日も絶好調。望郷の念を募らせてしまったようです。
井上享子先生と一緒に写っている昔の「こども」さんたちに先生のその後の消息を伝えてやりたくなりました。どうしたらいいのかなあ?
今日(10日)から姉と一緒に伊豆高原の保養所に出かけます。2・3日「川越だより」は休刊です。