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地中海式ダイエット

春だー五感でその息吹を感じましょう。

日焼けが気になる〜っていうのもわかるけど、ちょっと太陽浴びて光合成してください。

頭が解放されますよ、、、

まー日本には厳しい気候風土が生んでくれる食文化がある、、、
季節と共に暮らせる豊かさにもう一度光を当てたいですね!
https://forbesjapan.com/articles/detail/26429/1/1/1

令和ですしね、、、

万葉集もですが、テレビもネットもない時代って言うのは、季語を使って歌を歌いそして食事を愉しんでいたと思います。

いつからなのか?愉しむが楽しむと言うラクになってしまったんだろう?

りっしんべんが付いて愉しむのは、頭で理解とかじゃなく心から楽しむことなんだと思いますが、感覚を大事にして処理をすると言うことじゃないかって思います

https://okjiten.jp/sp/kanji2022.html

漢字の歴史って面白い
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味覚共育!

味覚とはなぜ存在するのでしょうか?
味覚とは五感のうちの一つですが、なぜ存在するのでしょうか?
味覚を通して五味を味わうことができると言われますが、五味とは?

良薬口苦しとは、、、
口は災いの元、、、
味という字は、口からの未来と書きます、、、
食と料理の違い、、、
UMAMIの可能性、、、
簡素と便利による弊害、、、
フライパン運動、、、

2019年4月24日(水)
KEISUKEMATSUSHIMA カフェにて
10時30受付 10時00分スタート 13時00分終了

1.味覚の生理学、うま味の相乗効果(50分)
2.アッパー系、ダウナー系、GABAの可能性(50分)
3.噛むということ(50分)
会費 20,000円

※当日現金にてお支払いいただきます。
15名限定のイベントです。
ご予約は、レセプションデスク(03-5772-2091)まで。
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0→1→♾

令和に変わると言うことで、、、

地元太宰府は梅の花の恩恵で少し賑やかなようです。

学問の神様で知られる天神様、菅原道真公が祀られる福岡の太宰府天満宮!!
そもそも学問とはなんなんだ?勉強嫌いですこそが、自分の人生のようなものです。

ちなみに、僕にとって太宰府は庭みたいなもので、ここでいたずらいっぱいやった場所です。
何をしていたかというと、自然と共に遊んでいたんです。

ちなみに、石川善樹にクリエーションの語源は「クレオ」と言うんですが、「自然がつくり出したもの」という意味なんです。ですから、クリエーターと呼ばれる人たちは、自然がつくり出したものにいかに近づけるか、それが根本なんだと思う。逆に「人間がつくり出したもの」は「ポジティヴ」という意味なんですね。たとえば「ポジティヴに考えよう」みたいなことは、おそらく近代以降の話で、ぼくはどちらかというとそちら側の人間なんです。
と言う事を対談から学びましたが、、、

じゃ、令和の定義とは?
親父ギャグ的に解釈すると、0→1→∞ レイワということで、どうやってゼロイチから無限の可能性に拡げていくかってことが大事なんだと思います。

さて、この太宰府天満宮を通して、坂本龍馬は「温故知新」を手にして、もしかしたら東郷平八郎を含む、薩摩藩の藩士は「和魂漢才」または「和魂洋才」を胸に刻んだと思います。

ちなみに「漢学に精通しつつも、日本文化の心は失わない」と遣唐使を廃止し、日本独自の文化を尊重した道真の考えは、グローバル化が進んでも日本人の心を失わないようにするという意味で、世紀を超えて現代、そして未来へ残されたメッセージのようです。
そんな菅原道真の想いを解釈したかのような元号が令和のようにも思います。

ちなみに「神社とは本来、人間の感覚を研ぎ澄ませたり、育てるための場所である」ということを第39代目の宮司が西高辻信良さんから学び感銘を受けましたが、この元号の発表のあった4月1日には、ちょっとしたドラマがあり第40代目に西高辻信宏さんに宮司の継承がありました。これもまたすごい偶然ですが嬉しい限りです。
地元の後輩なので、愛情持って仲良くやろうと思います。(苦笑)

好きな人が見ている方向を見るということが愛情です。だから、愛情がないといい仕事ができない、とガウディは言っています。人は愛情がなければ表面だけ見てしまいます。
人間は賢い人もそうではない人もそう大きな差はありません。それよりも自分を引っ張っていってくれる、本当のところまで連れていってくれる、それが愛情です。
現代では人は脳で話して脳で理解しているといわれていますが、時々、脳と耳を通してストンと落ちて納得できることがあります。それが人間が本当に理解し合えるということです。
理解し合えるというのは、分かったから信じ合えるのではなく、信じているから分かり合えるのです。by外尾悦郎

これは以前書いたコラムです。
https://forbesjapan.com/articles/detail/23277/1/1/1?s=ns
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貪欲であれ、、、

善樹の本にも馬鹿代表で登場です。

問い続ける力、好きな事に夢中になれたり、自分の道を開拓できるのは幸せな事です。

引かれたレールで安全で安心も良いけど、そのレールの行き先は「衰退」です。
それよりも「希望」と言う行き先に向かってガムシャラに、挑んでいける人生の方が辛くて苦しいかも知れませんが、楽しいはずです。
https://www.amazon.co.jp/%E5%95%8F%E3%81%84%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%8A%9B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%9F%B3%E5%B7%9D-%E5%96%84%E6%A8%B9/dp/4480072209
挑戦者は美食家で、酸味も苦味もうま味も辛味も渋味も味わいます。でも成功者は甘味と塩味だけで何も感じずに考えずに味わいます。
頭が良くなるのもいいですが、やはり自分の感覚を大事にそして感覚から処理ができるようになれる方が人生は豊かです。

馬鹿万歳🙌天才とは天から頂いた才能をフル活用してる健康者なのかもしれないですね、、、
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食通?美食家?

フランスを見てて、、、この国の不健康が増えたのはブラッセリーが増えてステーキフリットとビールが増えたからだと思ってますが、、、フランスの駅前にあるのがこの手軽で手頃な組み合わせです。
美味しいんですけどね、、、
https://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/22132
生活習慣病とか現代病の増加って、肉や揚げ物の量が増えてからなのに、平成の食にステーキフリット食べるって、これは何を指してるんだろう?

食の知識って健康のためなのか、美食家風のための認知確認をするための、承認欲求と快楽のためなのか?

食通(しょくつう)とは、料理の味や料理の知識について詳しいこと。またそれを詳しく知っている人物のことである。
フランス語を用いてグルメ (gourmet) ともいわれるという提起がありますが、ちゃんと感覚で処理してるのですかね?それとも知識や情報で知ってるだけなのでしょうかね?

せっかくの漢字を使える日本人だし、人を良くすると書いて食が、食べる事のベースだと言う事にもう一度原点回帰が必要に思います。
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変革への対応が得意!

朝比奈さんの記事が素晴らしくて、、、
でも過去はもう取り戻せれない、どうやって常識という過去の成功体験や既得権益を、打ち破っていくかが大事な時代なんだと思います。

「変革への対応が得意だった日本人」
とありますが、、、これって要するに「最近の若者は」って言い続けてきたっていう事のようにも思います。

だから若者は常に興味が沢山で、視野が広く、アップデートすることが得意だったということかなって思います。
それは行動範囲が広がる旅をして行動をして、体験を通して感覚をアップデートしていたからだと思います。

「移動距離=クリエイティブ力」にも繋がるように思います。

ただ現在は感覚を使っての総合的な五感からアップデートより、なんでも便利になったことで、視覚情報からのアップデートに偏りがあることに問題があるように思います。

常に時代を見つめ、問題を発見し、課題を定義し、共に未来を想い共創することができることが最高ですが、、、

「そもそも可愛い子には旅をさせよ」なんても言いますが、大人が子供を自分が知らない世界に送り出させてるんでしょうかね?

記事の中に、、、
かつて日本人は学ぶことを「学問をする」と言っていました。学問とは、問いを学ぶ、ということです。そこには、「自分で問題を見つけ出し、その答えを自分で考える」というニュアンスが含まれています。
しかし昭和の後半から平成の時代の学びは、「学問」ではなく「勉強」でした。これは、自分で問いを立てたりすることはなく、与えられた問題に対する正解を覚える・選ぶという行為です。あらかじめ決まった正解を、どれだけ多く覚えられるかを競うのが「勉強」でした。こういった「勉強」中心の教育になってしまったことが、日本凋落の原因だと私は感じています。
たとえ答えが見つからなくとも、自分で問いを立て、自分で考える。自立的にものごとを考え、自ら行動を起こせるような人材を育てる教育こそが、本当は必要だったのです。

努力は夢中に勝てない、、、自分の好きな事をすることを許してくれる親に感謝ですし、自分も大人として娘の好きなことが見つかる事をサポートしなくてはいけないと思います。

ただ自由とは生まれてから誰しも持つ権利ではなく、戦う事、結果を出す事で得れる事だと思っています。

記事読んで、爺さんから学んだ畑仕事を手伝っていただくお小遣い、応接間で対戦した五目並べからのご褒美について改めて思い出したし、そんな人間味に触れれてたことに感謝です。
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