久しぶりの伊東先生の本ですが、2012年に倒れて奇跡の復活でしょうか。原子力発電に関する過去の論文も含めてですが、相変わらず理論的で歯切れのいい議論です。
今でも原子力発電の発電コストは安く、再稼働の可否が電力会社の経営を左右すると言われていますが、サッチャー時代のイギリスからの市場化テストの議論からはLNG発電に対抗できないとされている。コストの議論では福島事故以後日本の研究者からも否定的な議論も出てきている。アメリカにおいてもシェールガス革命があり原子力発電は投資対象ではなくなっている。
外部コストとして政治家が群がる地元対策の膨大な交付金の類があるが、それだけではなくて原子力発電はその性格から短時間での出力調整ができず、余剰電力の有効利用のために揚水式発電所が創られている。この建設費も運転費も原子力発電の外部コストであり、本来は内部コストとして計算されないといけない。
更に福島の事故のような大事故が起こればその補償は天文学的数字となるが、企業の法的責任を超えることもあり、それは考慮されていない。未だ世界中でフィンランドしか建設を進めることができていない放射性廃棄物最終処理場も含めるとどうなるのか。未来には優れた処理方法を開発できるという根拠のないオプチュニズムにすがっていていいのだろうか。
それでは原子力発電に頼らないとすればどうすればいいのか。
まず電力会社の在り方について、発送電分離とか地域独占の解体とか言われているが、公益事業論によれば公益事業は日常不可欠な財であるとともに巨額な設備投資を必要とし重複すれば経済的合理性を欠くため必然的に地域独占となり、かつ各種設備の一体的運用を必要とする。代替品もなく価格弾力性も低い。
これらの価格を市場の自由に任せると供給者が価格を引き上げ超過利潤を得てしまう。そのために政府が合理的、公正、公平なものとなるように規制している。家庭向け電力に対する需要弾力性は小さく企業向けのそれは大きいため自由な競争市場は、家庭向けは高く、企業向けは安い価格政策となる。規制が必要な所以である。
カルフォルニアでは電力を自由化したが発電部門の分離は長期的には発電部門への過少投資をもたらし、投機が介入して不安定事業になり、大規模な停電が生じた。
電力需要が一日のうちで、季節で変動し振幅が大きい場合、電源の特質と新旧の設備差を考え運転施設を稼働させ発電コストを低く抑える。こうした電源ミックスによる垂直的統合は経済的な合理性を持っている。問題は規制当局が企業の経営努力を促しつつ適正な価格政策をとることができるかであって、安易な分離分割を行えば投資抑制・停電、投機を呼び込むだけである。
どうもその事業の性格を考慮することなく市場化すればすべてうまくいくというのは、一般受けを狙ったある種の思考停止ではないでしょうか。
長期はともかく当面の電力エネルギーの主役は、シェールガス革命も踏まえ高効率でありかつCО2排出量も少ない天然ガスのコンバインドサイクル発電が一押し。
自然エネルギーについては太陽光発電、風力発電はその性格上変動が激しく質が悪いため制約が多く主役にはなりえない。高い買取価格ではいずれ電力料金体系が破たんする。地熱発電は立地の制約から進んでいないが発電コスト的にも可能性が高い。圧力に屈せず技術開発を進めてほしいものです。
おまけで藻谷浩介の「里山資本主義」に触発されてバイオマスエネルギーについても触れていますが、これは原典を読んでください。十分経済的合理性があると認めています。
往々にして雰囲気とか勢いで事柄を判断しがちなのですが、伊東先生の経済的合理性はどこにあり問題はどこにあるのか整理したうえで政策的判断を行うという思考方法は健在です。でも残念ながらこういうのって最近はやらないんですよね。
今でも原子力発電の発電コストは安く、再稼働の可否が電力会社の経営を左右すると言われていますが、サッチャー時代のイギリスからの市場化テストの議論からはLNG発電に対抗できないとされている。コストの議論では福島事故以後日本の研究者からも否定的な議論も出てきている。アメリカにおいてもシェールガス革命があり原子力発電は投資対象ではなくなっている。
外部コストとして政治家が群がる地元対策の膨大な交付金の類があるが、それだけではなくて原子力発電はその性格から短時間での出力調整ができず、余剰電力の有効利用のために揚水式発電所が創られている。この建設費も運転費も原子力発電の外部コストであり、本来は内部コストとして計算されないといけない。
更に福島の事故のような大事故が起こればその補償は天文学的数字となるが、企業の法的責任を超えることもあり、それは考慮されていない。未だ世界中でフィンランドしか建設を進めることができていない放射性廃棄物最終処理場も含めるとどうなるのか。未来には優れた処理方法を開発できるという根拠のないオプチュニズムにすがっていていいのだろうか。
それでは原子力発電に頼らないとすればどうすればいいのか。
まず電力会社の在り方について、発送電分離とか地域独占の解体とか言われているが、公益事業論によれば公益事業は日常不可欠な財であるとともに巨額な設備投資を必要とし重複すれば経済的合理性を欠くため必然的に地域独占となり、かつ各種設備の一体的運用を必要とする。代替品もなく価格弾力性も低い。
これらの価格を市場の自由に任せると供給者が価格を引き上げ超過利潤を得てしまう。そのために政府が合理的、公正、公平なものとなるように規制している。家庭向け電力に対する需要弾力性は小さく企業向けのそれは大きいため自由な競争市場は、家庭向けは高く、企業向けは安い価格政策となる。規制が必要な所以である。
カルフォルニアでは電力を自由化したが発電部門の分離は長期的には発電部門への過少投資をもたらし、投機が介入して不安定事業になり、大規模な停電が生じた。
電力需要が一日のうちで、季節で変動し振幅が大きい場合、電源の特質と新旧の設備差を考え運転施設を稼働させ発電コストを低く抑える。こうした電源ミックスによる垂直的統合は経済的な合理性を持っている。問題は規制当局が企業の経営努力を促しつつ適正な価格政策をとることができるかであって、安易な分離分割を行えば投資抑制・停電、投機を呼び込むだけである。
どうもその事業の性格を考慮することなく市場化すればすべてうまくいくというのは、一般受けを狙ったある種の思考停止ではないでしょうか。
長期はともかく当面の電力エネルギーの主役は、シェールガス革命も踏まえ高効率でありかつCО2排出量も少ない天然ガスのコンバインドサイクル発電が一押し。
自然エネルギーについては太陽光発電、風力発電はその性格上変動が激しく質が悪いため制約が多く主役にはなりえない。高い買取価格ではいずれ電力料金体系が破たんする。地熱発電は立地の制約から進んでいないが発電コスト的にも可能性が高い。圧力に屈せず技術開発を進めてほしいものです。
おまけで藻谷浩介の「里山資本主義」に触発されてバイオマスエネルギーについても触れていますが、これは原典を読んでください。十分経済的合理性があると認めています。
往々にして雰囲気とか勢いで事柄を判断しがちなのですが、伊東先生の経済的合理性はどこにあり問題はどこにあるのか整理したうえで政策的判断を行うという思考方法は健在です。でも残念ながらこういうのって最近はやらないんですよね。