現下の安倍政治を見ていると、強引に突き進んでいる姿にある種の恐怖心を覚えるとともに、そこに立ちはだかる論陣に今一つ勢いがないように思われる。
こんな状況に井上ひさしが生きていたら何を書くのだろうか。
「難しいことをやさしく
やさしいことを深く
深いことを愉快に
愉快な事を真面目に」書く
きっとユーモアにくるんで深くまじめにかつ真摯に批判するんでしょう…
この本は吉野作造、丸山真男、宮沢賢治、チューホフなどの人物評論です。
特に吉野作造の憲法観・国家観、丸山真男の戦争責任論については今こそ読まれるべきものでしょう。
大正デモクラシーとともに華々しく活躍した吉野作造の憲法論は時の政府なり為政者と憲法の関係を国民の側から問うものでした。立憲君主制の立憲こそ大切なんだと。
安倍政権は時代が変わったのだからと憲法を都合のいいように解釈していこうとしていますが、普通にどう解釈してもできないことをできるというのならば、成文法としての憲法の意味がありません。まさに為政者側の憲法無視行為では。時代が変わったというのなら堂々と憲法の規定に従って改憲を提案するべきではないでしょうか。正しい提案にも耳を傾けないバカな国民ばかりなので、解釈を変えたというのはいかにもエリートくさい上から目線の気がします。
吉野作造論は2003年の公演をもとにしていますが、いまこそ読まれるものでしょう。
丸山真男は「日本の思想」ぐらいしか読んでいなくて、こんな戦争責任論を展開していたのには目を開かされました。それにしても戦争末期の広田弘毅による対ソ連活動を見ると対外情勢を冷静に判断することなく情報過疎の状態での日本の外交の稚拙さには唖然としてしまいます。その間に何人の命が無駄に失われていたのか…
宮沢賢治について言えば、戯曲を書いていることもあってよく調べてあるのですが井上ひさし流の見方に引き込まれます。西洋の文化と科学に親しみ、ユートピアにあこがれ何としても実現しようと日蓮宗にのめりこみ、農民運動に飛び込み、挫折するのですが、ひょっとして宮沢賢治は躁と鬱が繰り返す双極性障害だった?そう思うと紆余曲折のある彼の人生が理解しやすいところがあります。
チューホフについては、若かりし頃その芝居を何回か見てその場はフーンと感心したくらいで、ほとんど基礎知識がないので感心するばかりでした。
笑いについての論考も同様なのですが、残念ながらこれは未完です。
もっと、もっと、井上ひさしの考えから受け継がなくてはいけないものがあると思いますが、残念なことにその不在を感じるばかりです。