今週の本はこれ。
最近スケールの大きな話で資本主義の終焉を説いている水野和夫さんの最新(?、17年5月発行)の本です。
第1章は今までのおさらいなのですが、確か前にも書いたと思うのですが、利子率で歴史を見ていき、資本主義の分析を行うというのはシンプルで説得力があるのですが、シンプルすぎてどこまで精緻な実証研究がされているのか、経済史の分野では精緻な研究がたくさんあるだけに、ちょっと疑問です。
資本主義の始まりは1215年のラテラノ公会議でローマ教会が限度を超えない金利を容認したことにあるというのですが、そこから資本の自己増殖が始まり、中世から近代への移行期「長い16世紀」での超低金利では地中海を囲む「陸の世界」から「海の世界」に転化し、「海の世界」が限界に達すれば「電子・金融の世界」によって成長してきたが、もはやそれも限界で、新たに利潤を生む投資対象を見出すことが出来ずに、結果として低金利が続いている。
資本主義の始まりについてはいろいろな意見がありそうだし、その歴史をこうもシンプルに切っていいのかと思うんですよね。
でもいくら金融をじゃぶじゃぶにしてももはや利益を生み出すところが枯渇してきたので投資先がないというのは今の日本を見ていると肌感覚で分かります。まさに資本主義の終焉です。
グローバリゼーションの下、資本の利益と国民の利益が相反するようになり国家は資本に従属してしまいます。国民国家が機能不全になってきつつあるときに、トランプが現れた理由が理解できると思います。
ここからは予言的になるのですが、成長の糧を失った世界は、新しい中世に向かっていると。世界は有限であるという条件のもとに「閉じた帝国」に再編されつつあると。アメリカ帝国とEU帝国、そして、中国、ロシア、トルコも独裁者の下で帝国を目指しています。これは最近地政学観点からもよく言われている議論です。
著者はこうした定常状態になるのならば「閉じた経済圏」で市場経済を再構築することが必要というのですが、正直理論先行で現実世界に落とし込められないのではと思ってしまいます。日本がポスト近代の先頭に立つための提言もしています。
ただ、一つの意見としてはそれなりに説得力あり成り立つのですが、成長の夢を追うことなく定常状態の中での生活を受け入れるというのは、日本の国家戦略として受け入れられるにはなかなか難しいと思えます。いろいろ考えさせられるのですが、50年100年という長いレンジでこの日本はどうしていけばいいのか、耄碌した頭ではさっぱりわかりません。
ところで写真に写っているあとの2冊ですが、日本書紀については東アジアの中で考えるということの重要性を再認識しました。実際に日本書紀を書いたのはおそらく百済からの渡来人、日本書記の注記に頻繁に出てくる百済本記などの表記の比較からも書いた人の背景が分かってきます。難しいところは飛ばしても大勢に影響がないので割とスラスラ読めました。
池井戸潤の本はご存知「花咲舞」が主人公のもの。さすがテレビドラマでも評判だっただけあって面白い。でも銀行員が主人公の小説がこうも人気を呼ぶのはなぜ?銀行員というととかくお堅いだけと思われていたのですが、バブル期を経て頻発した金融不祥事を知ってしまったことによって、とかく金貸しの強みで偉そうにしているのに影ではとんでもないことをやっているんではないのか、でも銀行さんにはお金を借りているので逆らえないというアンビバレントな心情が反映しているのでしょうか。これ以外どういう業界だったら小説になるんだろうかとちょっと考えてしまいました。
最近スケールの大きな話で資本主義の終焉を説いている水野和夫さんの最新(?、17年5月発行)の本です。
第1章は今までのおさらいなのですが、確か前にも書いたと思うのですが、利子率で歴史を見ていき、資本主義の分析を行うというのはシンプルで説得力があるのですが、シンプルすぎてどこまで精緻な実証研究がされているのか、経済史の分野では精緻な研究がたくさんあるだけに、ちょっと疑問です。
資本主義の始まりは1215年のラテラノ公会議でローマ教会が限度を超えない金利を容認したことにあるというのですが、そこから資本の自己増殖が始まり、中世から近代への移行期「長い16世紀」での超低金利では地中海を囲む「陸の世界」から「海の世界」に転化し、「海の世界」が限界に達すれば「電子・金融の世界」によって成長してきたが、もはやそれも限界で、新たに利潤を生む投資対象を見出すことが出来ずに、結果として低金利が続いている。
資本主義の始まりについてはいろいろな意見がありそうだし、その歴史をこうもシンプルに切っていいのかと思うんですよね。
でもいくら金融をじゃぶじゃぶにしてももはや利益を生み出すところが枯渇してきたので投資先がないというのは今の日本を見ていると肌感覚で分かります。まさに資本主義の終焉です。
グローバリゼーションの下、資本の利益と国民の利益が相反するようになり国家は資本に従属してしまいます。国民国家が機能不全になってきつつあるときに、トランプが現れた理由が理解できると思います。
ここからは予言的になるのですが、成長の糧を失った世界は、新しい中世に向かっていると。世界は有限であるという条件のもとに「閉じた帝国」に再編されつつあると。アメリカ帝国とEU帝国、そして、中国、ロシア、トルコも独裁者の下で帝国を目指しています。これは最近地政学観点からもよく言われている議論です。
著者はこうした定常状態になるのならば「閉じた経済圏」で市場経済を再構築することが必要というのですが、正直理論先行で現実世界に落とし込められないのではと思ってしまいます。日本がポスト近代の先頭に立つための提言もしています。
ただ、一つの意見としてはそれなりに説得力あり成り立つのですが、成長の夢を追うことなく定常状態の中での生活を受け入れるというのは、日本の国家戦略として受け入れられるにはなかなか難しいと思えます。いろいろ考えさせられるのですが、50年100年という長いレンジでこの日本はどうしていけばいいのか、耄碌した頭ではさっぱりわかりません。
ところで写真に写っているあとの2冊ですが、日本書紀については東アジアの中で考えるということの重要性を再認識しました。実際に日本書紀を書いたのはおそらく百済からの渡来人、日本書記の注記に頻繁に出てくる百済本記などの表記の比較からも書いた人の背景が分かってきます。難しいところは飛ばしても大勢に影響がないので割とスラスラ読めました。
池井戸潤の本はご存知「花咲舞」が主人公のもの。さすがテレビドラマでも評判だっただけあって面白い。でも銀行員が主人公の小説がこうも人気を呼ぶのはなぜ?銀行員というととかくお堅いだけと思われていたのですが、バブル期を経て頻発した金融不祥事を知ってしまったことによって、とかく金貸しの強みで偉そうにしているのに影ではとんでもないことをやっているんではないのか、でも銀行さんにはお金を借りているので逆らえないというアンビバレントな心情が反映しているのでしょうか。これ以外どういう業界だったら小説になるんだろうかとちょっと考えてしまいました。
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