「応仁の乱」がこの手の本では異例のベストセラーになって注目を浴びた呉座勇一さん。最近はBSの歴史番組にも出演する時もちょこちょこ。
専門は日本中世史なので、今回は中世についての一般向け新書です。
3部構成で1部は朝日カルチャーセンターの講義をもとにしたもの。第2部は朝日新聞のbeに連載していたものをまとめたもの。第3部はブックガイドになっていて、このブックガイドは参考になるので、いつの日か読んでみようかとノートに書き留めておきました。
ところで日本の中世とは、いつからいつ迄なのか。平安時代後期から戦国時代までか。
中世の始まりは「家」の成立とか。平安時代の摂政関白を独占していた藤原氏は、その地位は父から子へ継承されている訳でなく、「氏」の中で競争から勝ち上がってきたものが長となっていく。
それが徐々に「氏」の下のあった「家」が自立していき、1世代1組の嫡系の夫婦が世代を超えて垂直的に連続する中世的な「家」が成立していく。そのことをもって中世の始まりとしている。もっともその「家」の成立は貴族、武士、農民という階層によって時期がずれているようなのですが。
中世というと歴史に詳しい人がとうとうと語るのはほとんどが平清盛、源頼朝、北条時宗、楠木正成、後醍醐天皇、足利尊氏、さらには戦国時代の武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などなど政治と戦争の話。権謀術策を尽くした闘いの記録は現代にも通じるところがあって、好きな人は話し出すと止まらないのですが、それではその中世に暮らしていた一般庶民、農民はどんな暮らしをしていて、どういうことを考えていたのか。公家、武士、農民の日常生活は今の私たちの生活と同じなのか違うのか。そういうことを紹介する本も少なく、日常生活はドラマにもならないので、生活はあまり変わらないだろうと何となく思っているだけでほとんど知識がない。
それならばと文献を渉猟する正統派歴史学者の呉座さんがちゃんと史料に基づいて中世人の日常生活、習慣をコラム風に分かりやすく書いているのがこの本。
中世の家族形態、結婚は嫁取婚か婿取婚かとか相続はどうしたのか、教育はどう行われたのか、戦国時代の武士の識字能力はかなの読み書きぐらい。出産と医療はどうなっていたのか。葬送はどう?
それにしてもちょっと話題はそれますが頼朝は政子にああまで尻に敷かれていたのはどうして?逼塞時代はともかく征夷大将軍になっても遠慮しているというのはよっぽどのことに思えるのですけど。ひょっとしたら私生活は気弱なおじさん?それだけ政子がすごい女傑だったということなのか。
さらには、中世の宴会はどういうものかとか寺社巡り、接待、遊戯、旅行、お正月の過ごし方などなど具体的な生活の在り様を紹介しています。
それぞれについて可能な限りの史料を読み込んで推測しているのですが、上流階級はともかく、なかなか庶民の生活を記した文献資料はない。ここで役に立つのがキリスト教宣教師の報告。キリスト教に有利になるように話が都合よく盛ってある傾向はあるのですが、貴重な中世日本の生活を記した史料となっています。
ところで正統派歴史学者としては、史料原理主義が日本の歴史学会の欠陥と言っている井沢元彦の言説は我慢ならないみたいで、他のところでも批判しているのですが、この本でも井沢が逆説の日本史などで唱えた説をトンデモ説と断定しています。まあ、小説家の物語ならいいのですけどもっともらしく歴史的真実と言われると血の気の多い若手歴史学者としては許せないのでしょう。
トリビアな話が満載ですが、そこは歴史学者としてちゃんと史料的裏付けがありますので、説得力もあって興味津々で読めます。
一緒に写っている本は今野敏の「真贋」ですが、読んだかどうか定かな記憶もなく借りたのですが、やっぱり一度読んでいました。今野敏の小説は読みだしたら止まらない面白さなのですが、一気に読んで一気に忘れてしまう。かなりの本は読了しているのですが、内容も思い出せずに二度借りて読みだしてから気が付くこともしばしば。これって褒めているんですけど。
専門は日本中世史なので、今回は中世についての一般向け新書です。
3部構成で1部は朝日カルチャーセンターの講義をもとにしたもの。第2部は朝日新聞のbeに連載していたものをまとめたもの。第3部はブックガイドになっていて、このブックガイドは参考になるので、いつの日か読んでみようかとノートに書き留めておきました。
ところで日本の中世とは、いつからいつ迄なのか。平安時代後期から戦国時代までか。
中世の始まりは「家」の成立とか。平安時代の摂政関白を独占していた藤原氏は、その地位は父から子へ継承されている訳でなく、「氏」の中で競争から勝ち上がってきたものが長となっていく。
それが徐々に「氏」の下のあった「家」が自立していき、1世代1組の嫡系の夫婦が世代を超えて垂直的に連続する中世的な「家」が成立していく。そのことをもって中世の始まりとしている。もっともその「家」の成立は貴族、武士、農民という階層によって時期がずれているようなのですが。
中世というと歴史に詳しい人がとうとうと語るのはほとんどが平清盛、源頼朝、北条時宗、楠木正成、後醍醐天皇、足利尊氏、さらには戦国時代の武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などなど政治と戦争の話。権謀術策を尽くした闘いの記録は現代にも通じるところがあって、好きな人は話し出すと止まらないのですが、それではその中世に暮らしていた一般庶民、農民はどんな暮らしをしていて、どういうことを考えていたのか。公家、武士、農民の日常生活は今の私たちの生活と同じなのか違うのか。そういうことを紹介する本も少なく、日常生活はドラマにもならないので、生活はあまり変わらないだろうと何となく思っているだけでほとんど知識がない。
それならばと文献を渉猟する正統派歴史学者の呉座さんがちゃんと史料に基づいて中世人の日常生活、習慣をコラム風に分かりやすく書いているのがこの本。
中世の家族形態、結婚は嫁取婚か婿取婚かとか相続はどうしたのか、教育はどう行われたのか、戦国時代の武士の識字能力はかなの読み書きぐらい。出産と医療はどうなっていたのか。葬送はどう?
それにしてもちょっと話題はそれますが頼朝は政子にああまで尻に敷かれていたのはどうして?逼塞時代はともかく征夷大将軍になっても遠慮しているというのはよっぽどのことに思えるのですけど。ひょっとしたら私生活は気弱なおじさん?それだけ政子がすごい女傑だったということなのか。
さらには、中世の宴会はどういうものかとか寺社巡り、接待、遊戯、旅行、お正月の過ごし方などなど具体的な生活の在り様を紹介しています。
それぞれについて可能な限りの史料を読み込んで推測しているのですが、上流階級はともかく、なかなか庶民の生活を記した文献資料はない。ここで役に立つのがキリスト教宣教師の報告。キリスト教に有利になるように話が都合よく盛ってある傾向はあるのですが、貴重な中世日本の生活を記した史料となっています。
ところで正統派歴史学者としては、史料原理主義が日本の歴史学会の欠陥と言っている井沢元彦の言説は我慢ならないみたいで、他のところでも批判しているのですが、この本でも井沢が逆説の日本史などで唱えた説をトンデモ説と断定しています。まあ、小説家の物語ならいいのですけどもっともらしく歴史的真実と言われると血の気の多い若手歴史学者としては許せないのでしょう。
トリビアな話が満載ですが、そこは歴史学者としてちゃんと史料的裏付けがありますので、説得力もあって興味津々で読めます。
一緒に写っている本は今野敏の「真贋」ですが、読んだかどうか定かな記憶もなく借りたのですが、やっぱり一度読んでいました。今野敏の小説は読みだしたら止まらない面白さなのですが、一気に読んで一気に忘れてしまう。かなりの本は読了しているのですが、内容も思い出せずに二度借りて読みだしてから気が付くこともしばしば。これって褒めているんですけど。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます