宮部みゆきの新しい連作捕物帳「きたきた捕物帳」の2作目です。
文庫売りの北一。千吉親分がなくなり、独り立ちして朱房の文庫を引き継いだのだが、八丁堀の旦那の手札は受けていないので岡っ引きは継いでいない。でもこれまでの縁で行きがかり上、使い走りをして何かと事件と関わっていく。
ひょんなことから知り合いになり相棒という訳ではないのだが要所要所で助けてくれるのが長命湯の釜炊きの「きたさん」と呼ばれる喜多次。なぞ多い出自なんですが、ひょっとすると忍びの一族?
ここに、亡き千吉親分のおかみさんで目の不自由な松葉に女中のおみつ、さらには北一の住む「富勘長屋」の面々と差配で何かと口を出してくる富勘。髪結いのうた丁、そして文庫つくりを担っている末三じいさんに、欅屋敷の用人青海新兵衛、少し謎めいた「若」の椿山栄花と言った面々がそれぞれの得意分野でいきいきと活躍。
宮部さんの江戸捕物帳では初期の作品に出てくる本所回向院裏の政五郎親分も登場し、さらには回向院の茂七親分まで話に出てきて思わずフフンとなってしまう。
しかし、イマイチ北一が売っている文庫がどういうものでどれくらい売れるものかというイメージがつかめずに、ちょっともどかしい。
ところで「子宝船」の物語は、人殺しとか暴力沙汰の事件ではないのだが、子どもにも恵まれて順風満帆の酒屋伊勢屋が縁起物として出していた「宝船」の絵のひと騒動。しかし、そんな伊勢屋に筋違いの妬み、嫉妬をぶつけてしまいたくなり、起こった騒動。富勘や政五郎親分の助けも借りて北一が奔走し話を納めていきます。
もう一つの「おでこの中身」ではこれまた懐かしい抜群の記憶力を持つ「おでこ」が登場。なんと今では奥さんもいてなんだかうれしくなってしまいます。因みにおでこの良き相棒だった算術好きは長崎へ行ったきりあちらに住みついて学者になったとか。今回は凄惨な殺人事件で弁当屋「桃井」一家3人殺し。ここにこれまた若旦那の本所深川方同心沢井蓮太郎が代替わりして登場。事件は一応沢井が解決するのですが、検視の与力栗山周五郎は現場の状況から納得していない。江戸時代の捜査では見込みでしょっ引き、拷問して自白に追い込むことが多くて、北一は割り切れぬまま、栗山の使い走りをすることになる。同心が脛に傷持つ者に手札を与えて岡っ引きとして使うという犯罪捜査の在り方にも違和感を感じて、同心の沢井とも距離をおいている。
この話は「人魚の毒」へと続き、弁当屋「桃井」一家3人殺しから21年前の安房国の内房の九崎村「染めちょう」の一家6人殺しへとつながっていき、木更津の差配の半次郎と一緒に真犯人を捜していく。
真犯人は根っからの性悪で手癖が悪く、モノが欲しいわけでなくて人様が妬ましいから盗む。ひどく執念深く恨みがましい。幸せな人たちを根こそぎ滅ぼしてみたいと思ったのが動機。
宮部みゆきの小説には、人間の暗い側面がよく出て来て、弁解の余地ないどうしようもない悪人が市井の生活に紛れながら悪逆非道をしている。とても近くにはいて欲しくないのだが、そういう一面を持つ人も確かにいるのが、物語に深みを与えている。
登場人物がすべて根っからの善人で、困りごともみんなの知恵で解決していくと言う話もよくあるのですが、読後感はなんか物足りない。さすが宮部さんはツボを心得ている。
もう1冊「ブラックムーン」は逢坂剛による記憶をなくしてアメリカへ渡った内藤隼人こと土方歳三の活躍する西部劇。
「果てしなき追跡」「最果ての決闘」に続くシリーズ第3弾ですが、この終わり方だとまだまだ続編がありそうです。
でも新撰組時代のことだけは忘れているという記憶喪失という設定はなんだか都合よすぎるような気がしますけど物語としてはさすが逢坂剛、読みだすと面白くて止まらない、一気に読んでしまいました。
続編が楽しみです。
文庫売りの北一。千吉親分がなくなり、独り立ちして朱房の文庫を引き継いだのだが、八丁堀の旦那の手札は受けていないので岡っ引きは継いでいない。でもこれまでの縁で行きがかり上、使い走りをして何かと事件と関わっていく。
ひょんなことから知り合いになり相棒という訳ではないのだが要所要所で助けてくれるのが長命湯の釜炊きの「きたさん」と呼ばれる喜多次。なぞ多い出自なんですが、ひょっとすると忍びの一族?
ここに、亡き千吉親分のおかみさんで目の不自由な松葉に女中のおみつ、さらには北一の住む「富勘長屋」の面々と差配で何かと口を出してくる富勘。髪結いのうた丁、そして文庫つくりを担っている末三じいさんに、欅屋敷の用人青海新兵衛、少し謎めいた「若」の椿山栄花と言った面々がそれぞれの得意分野でいきいきと活躍。
宮部さんの江戸捕物帳では初期の作品に出てくる本所回向院裏の政五郎親分も登場し、さらには回向院の茂七親分まで話に出てきて思わずフフンとなってしまう。
しかし、イマイチ北一が売っている文庫がどういうものでどれくらい売れるものかというイメージがつかめずに、ちょっともどかしい。
ところで「子宝船」の物語は、人殺しとか暴力沙汰の事件ではないのだが、子どもにも恵まれて順風満帆の酒屋伊勢屋が縁起物として出していた「宝船」の絵のひと騒動。しかし、そんな伊勢屋に筋違いの妬み、嫉妬をぶつけてしまいたくなり、起こった騒動。富勘や政五郎親分の助けも借りて北一が奔走し話を納めていきます。
もう一つの「おでこの中身」ではこれまた懐かしい抜群の記憶力を持つ「おでこ」が登場。なんと今では奥さんもいてなんだかうれしくなってしまいます。因みにおでこの良き相棒だった算術好きは長崎へ行ったきりあちらに住みついて学者になったとか。今回は凄惨な殺人事件で弁当屋「桃井」一家3人殺し。ここにこれまた若旦那の本所深川方同心沢井蓮太郎が代替わりして登場。事件は一応沢井が解決するのですが、検視の与力栗山周五郎は現場の状況から納得していない。江戸時代の捜査では見込みでしょっ引き、拷問して自白に追い込むことが多くて、北一は割り切れぬまま、栗山の使い走りをすることになる。同心が脛に傷持つ者に手札を与えて岡っ引きとして使うという犯罪捜査の在り方にも違和感を感じて、同心の沢井とも距離をおいている。
この話は「人魚の毒」へと続き、弁当屋「桃井」一家3人殺しから21年前の安房国の内房の九崎村「染めちょう」の一家6人殺しへとつながっていき、木更津の差配の半次郎と一緒に真犯人を捜していく。
真犯人は根っからの性悪で手癖が悪く、モノが欲しいわけでなくて人様が妬ましいから盗む。ひどく執念深く恨みがましい。幸せな人たちを根こそぎ滅ぼしてみたいと思ったのが動機。
宮部みゆきの小説には、人間の暗い側面がよく出て来て、弁解の余地ないどうしようもない悪人が市井の生活に紛れながら悪逆非道をしている。とても近くにはいて欲しくないのだが、そういう一面を持つ人も確かにいるのが、物語に深みを与えている。
登場人物がすべて根っからの善人で、困りごともみんなの知恵で解決していくと言う話もよくあるのですが、読後感はなんか物足りない。さすが宮部さんはツボを心得ている。
もう1冊「ブラックムーン」は逢坂剛による記憶をなくしてアメリカへ渡った内藤隼人こと土方歳三の活躍する西部劇。
「果てしなき追跡」「最果ての決闘」に続くシリーズ第3弾ですが、この終わり方だとまだまだ続編がありそうです。
でも新撰組時代のことだけは忘れているという記憶喪失という設定はなんだか都合よすぎるような気がしますけど物語としてはさすが逢坂剛、読みだすと面白くて止まらない、一気に読んでしまいました。
続編が楽しみです。
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