怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

伊達公子インタビュー

2017-11-29 21:19:57 | 
ダイアモンド社に「SIX」という雑誌があってたまたま見ていたら伊達公子のインタビューが載っていましたので紹介してみます。
伊達公子が本格的にテニスが強くなったのは高校に入ってから。それまでは両親が健康のためと通っていたテニスクラブに入っていたみたいですけど、関西で2番か3番。
高校に入ってからは1年の時はインターハイ予選落ちでしたが新人戦優勝。2年の時のインターハイはベスト4、3年生では優勝しています。全日本選手権でもベスト4まで行き、卒業したらプロになります。大好きなテニスを毎日できる環境を求めた結果だったんですが、プロに入ったらがむしゃらやるしかなくて大変なことだと初めて気が付いた…
それでも順調にランキングを上げ95年には世界ランキング4位。ライジングショットで世界に伍していました。テレビでリアルタイムで伊達の活躍を応援していた覚えがあります。
でもその頃のテニス界はまだ欧米のスポーツという意識が強くてルール改正も体力勝負みたいなことになって不利に。トーナメントの試合に絶えず出ていないとポイントが稼げないので体力的にもたない。今の錦織を見てもフルセットを勝ちあがってくると決勝になる頃はもうヘロヘロ。結局ばねキレになるか故障するなどして惜しい結果で終わる。
伊達さんも当時肩の故障などもあってそれやこれやで、今思っても勿体ないのですが、96年にランキング8位で引退。
引退の大きな理由は体力面よりもメンタル面でイッパイイッパイだったとか。当時グラフとかセレシュ、サバティーニたちを見ているとテニスがすべてでナンバー1になるためだったら何でもやるみたいな感じ。そこまでのモチベーションはなかったと言っています。世界で活躍する日本人アスリートとしては唯一と言っていい状況で日本中の応援と重圧もすごかったのでしょう。
そこから11年半のブランクののち37歳で現役復帰。一応全日本選手権に出るということが目標だったのですが、なんと優勝してしまう。全豪オープンに出場できる位置まで来て、セカンドキャリアでトップ50まで行くのでこれは驚異的。
20代の最初の時は和食が無いとだめで、確か炊飯器持参でご飯を炊いていたと聞いたことがあるのですが、さすがに外国人と結婚したこともあって今では日本のお米が1か月無くても平気に。若い時には3日あれば日本に帰ってきたのに今では現地で3か月くらい行ったきりでもいいみたいです。
ところで伊達は運動神経は抜群で負けず嫌い。でも自身曰くボールを上手に打つ才能という点ではそれほどある方ではないと。ただここ一番の集中力はかなり高いと。
子どもたちにテニスを教える時ですが、ボールを10球打つ時に打ち方を教えて1球目にできることは才能。1球目にはできないけどミスしてもミスしても10球やり続けることも一つの才能だと。引退したこれからもテニスとのかかわりは続けるみたいです。
ところでこのインタビューには伊達のグラビア写真が2枚出ているのですが、ブラウスはアルマーニ、ドレス、スカーフ、パンプスはトムフォードで1着2~60万円。ネックレスは4700万円でイヤリングは1600万円。

美しくて素敵なのですが、伊達公子はサポーターだらけのスコート姿の方が似合うのでは。時よ止まれ、君は美しい。

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