このところ天候が安定して秋晴れのいい日が続いています。
こうなると老いた小人閑居して徘徊する。
ちょっと遠出して関ケ原の古戦場巡りに行きました。
金山を9時22分の大垣行に乗って大垣で乗り換え。実は早めに着いたので予定より1本早い列車に乗ったのですが、これが正解。大垣の乗り換えはホームの反対側に待っているのでなくて跨線橋をまたいで1番線まで行かなくてはいけなかったのに予定した列車は3分しか乗り換え時間がなかった。おかげで走らず余裕で乗り換えできました。
前日古戦場記念館を予約していたのですが関ケ原駅に着いたら案内板が見当たらない。観光交流館の人に聞いたのですが、駅から見えていると言っても初めての人にはわからんだろう。
教えられて歩いて10分もかからずに到着。入場料800円支払って1時間ほど見学。最初に30分ほど映像を見るのですが、これは予約が必要。前日の15時までにネットで出来ます。映像はそれなりに迫力ありましたが、展示内容は複製の鎧とか古文書中心でそれなりに充実していますが、こんなもんと思えばこんなもん。
ところでここ関ヶ原は、東西の決戦の地としてはあまり知られていないのですが壬申の乱の不破の関の戦いがあり、南北朝時代の北畠顕家の青野ヶ原の戦いの場でもあるので、そのコーナーも1室あるといいのではと思います。
展示室を一回り観るとエレベーターで5階に。
5階は展望室になっていて、関ヶ原を東西南北見ることが出来ます。
北の笹尾山の石田三成陣は旗が立っています。
西は小早川秀秋が陣取る松尾山ですがよく分からない。主戦場とは結構離れています。
南を見れば大垣岐阜市街方面です。
東には黒田長政陣跡と岡山の烽火場が見えます。
ここから主に山沿いを歩いて西軍の陣を回ることにしました。
案内板はしっかりあって道に迷うことはありません。舗装された歩道ですが、結構田舎道。
道を歩いているとすぐ横をキジが飛び出してきてびっくり。
最後の決戦地を経由して笹尾山に行きます。
笹尾山にはふもとに物々しい柵が復元されていて、これはなかなか強力な防御。
三成陣跡へはここからのぼって行くのですが、階段を直登していくと汗をかいてしまいます。自転車とか車で回っている人もいたのですが、陣跡には歩いて登るしかなくて私もですが高齢者が多くてみんなひーはーと言っていました。
陣跡には簡易な展望台もあって関ケ原古戦場が一望出来て戦争指揮には最適な場所だと分かります。実際には柵だけでなく結構本格的な防御態勢が取れていたみたいで三成としては短期決戦ではなく長期戦を想定したという説もあったような。それが数々の誤算が重なり遭遇戦のような短期決戦になってしまったとか。逆に言えば家康としては短期で決着したかったし、勝算もあったということか。
それでは笹尾山を下りてのどかな山沿いの道を歩いて行きますが、もう2千字越えた(写真多用ですけど)ので、ここでいったん切って、さらに続きます。
こうなると老いた小人閑居して徘徊する。
ちょっと遠出して関ケ原の古戦場巡りに行きました。
金山を9時22分の大垣行に乗って大垣で乗り換え。実は早めに着いたので予定より1本早い列車に乗ったのですが、これが正解。大垣の乗り換えはホームの反対側に待っているのでなくて跨線橋をまたいで1番線まで行かなくてはいけなかったのに予定した列車は3分しか乗り換え時間がなかった。おかげで走らず余裕で乗り換えできました。
前日古戦場記念館を予約していたのですが関ケ原駅に着いたら案内板が見当たらない。観光交流館の人に聞いたのですが、駅から見えていると言っても初めての人にはわからんだろう。
教えられて歩いて10分もかからずに到着。入場料800円支払って1時間ほど見学。最初に30分ほど映像を見るのですが、これは予約が必要。前日の15時までにネットで出来ます。映像はそれなりに迫力ありましたが、展示内容は複製の鎧とか古文書中心でそれなりに充実していますが、こんなもんと思えばこんなもん。
ところでここ関ヶ原は、東西の決戦の地としてはあまり知られていないのですが壬申の乱の不破の関の戦いがあり、南北朝時代の北畠顕家の青野ヶ原の戦いの場でもあるので、そのコーナーも1室あるといいのではと思います。
展示室を一回り観るとエレベーターで5階に。
5階は展望室になっていて、関ヶ原を東西南北見ることが出来ます。
北の笹尾山の石田三成陣は旗が立っています。
西は小早川秀秋が陣取る松尾山ですがよく分からない。主戦場とは結構離れています。
南を見れば大垣岐阜市街方面です。
東には黒田長政陣跡と岡山の烽火場が見えます。
ここから主に山沿いを歩いて西軍の陣を回ることにしました。
案内板はしっかりあって道に迷うことはありません。舗装された歩道ですが、結構田舎道。
道を歩いているとすぐ横をキジが飛び出してきてびっくり。
最後の決戦地を経由して笹尾山に行きます。
笹尾山にはふもとに物々しい柵が復元されていて、これはなかなか強力な防御。
三成陣跡へはここからのぼって行くのですが、階段を直登していくと汗をかいてしまいます。自転車とか車で回っている人もいたのですが、陣跡には歩いて登るしかなくて私もですが高齢者が多くてみんなひーはーと言っていました。
陣跡には簡易な展望台もあって関ケ原古戦場が一望出来て戦争指揮には最適な場所だと分かります。実際には柵だけでなく結構本格的な防御態勢が取れていたみたいで三成としては短期決戦ではなく長期戦を想定したという説もあったような。それが数々の誤算が重なり遭遇戦のような短期決戦になってしまったとか。逆に言えば家康としては短期で決着したかったし、勝算もあったということか。
それでは笹尾山を下りてのどかな山沿いの道を歩いて行きますが、もう2千字越えた(写真多用ですけど)ので、ここでいったん切って、さらに続きます。
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