怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「安倍官邸の正体」田崎史郎

2015-06-14 07:25:25 | 
正直言って私は、総理大臣安倍晋三が嫌いです。
第一次安倍内閣で迷走の上総理大臣を突然投げ出したことはもとより、その右翼的言辞、自信満々にできもしないことを断言(古くは消えた年金で最後の一人までとお約束します、福島では状況はアンダーコントロールとか)する姿勢にも嫌悪感を覚えます。
それでもその安倍晋三のもとで自民党は衆参選挙を勝ち続け、大きな破綻なく政権運営を進めています。

そこには前民主党政権のあまりにも無様な政権運営があったことも含めてオリンピック招致に成功した、世界経済の潮目が円安に振れていた(アベノミクスの発動前から円高は是正されてきていた)、原油高から原油安に大きく動いたなどなどの要因があるとは思いますが、菅官房長官を中心とするチーム安倍の働きがあるのです。
非公開の首相執務室で行われる首相と官房長官、加藤、世耕、杉田の3人の官房副長官、そして今井首席秘書官による「正副官房長官会議」は時間は10分から15分と短いのですが、ほぼ毎日行われています。顔を合わせることによって互いの考え方に理解が深まり誤解を防ぐことができる。雑談も多くカジュアルな雰囲気だそうですが、そこでディスカッションしたら総理の決意とか温度を聞いているみたいです。この「正副官房長会議」が安倍官邸における最高意思決定機関となっていて、ここで決定したことは政府全体を動かすことになる。政権(すべからく組織というものはそうでしょうけど)をきちんと動かしていくにはコアとなるチームの信頼関係と相互理解がいかに重要かということです。
ちなみに官邸首相執務室には祖父岸信介の写真が飾られているとか。父安倍晋太郎の写真は公邸に飾られているそうですが、祖父を模範とする心情が出ています。岸信介をどう評価するかでしょうが、ちょっとおぞましい気分です。
ところで首相の靖国神社参拝は、この正副官房長官会議のメンバーが全員反対したみたいですが、首相が押し切って参拝したものだとか。そこには第一次安倍政権からの宿題であり、安倍のコアとなる支持母体への仁義を切る必要があったのでしょう。案の定というか対外関係で無用な波風を立てています。
それにしてもこの本で紹介されていますが民主党政権時代の官邸の統治能力は悲惨としか言いようがありません。鳩山、菅の統治能力も能力ですが、それならそれで官邸スタッフがお互いに信頼関係をもち連携して支えるシステムを構築しなければ空中分解するしかありませんし、実際に空中分解してしまいました。
もっとも第一次安倍政権でもチーム安倍は縦割りでお互いに調整することもなく官邸が全く機能していなかったので、内部崩壊していっていた。ただし、第2次安倍政権はその失敗からよく学んでいる。それが端的には「正副官房長官会議」の働きとなっている。
安倍は第一次安倍政権での失敗を「反省ノート」に書き同じ轍を踏まないようにしているそうですが、辞任して孤立していた時にも誰にも言わなかったけれども再登板を渇望し、絶対に再起しようと誓って努力していたみたいです。不遇の時に暖かい手を差し伸べてくれたものには恩義を感じているし、一律ではないマスコミへの対応にもその感覚が出ています。靖国参拝もその延長線にあるのか…
ところで民主党の鳩山とか菅は「反省ノート」をきちんと書いているのだろうか。どうも全く反省していないみたいですけどこれでは捲土重来は無理ですね。野田はどうなんだろう。あの時政権に携わった人たちはまずきちんと反省ノートを書かなくては。
まあ、こう書いていくと安倍を評価してしまうのですが、ちょっと著者の安倍への贔屓が過ぎるかなとも思えますけどね。
これを読んで少しは安倍総理を見直しましたが、でもやっぱり嫌いです。
ところで今のチーム安倍を支えているのはなんといっても菅官房長官。この本でも1章を割いてその人となりと仕事ぶりを紹介していますが、本当に激務ですね。毎朝5時に起きて新聞を熟読し6時半からは主な項目を短めに伝えるNHKニュースを見て(私も見ています)、分刻みの日程をこなしながら1日4回それぞれ1時間ぐらい政治家、経済人、有識者、幅広いメディアと話す時間を作っている。寝るのは11時過ぎ、でもなにかあると本当に寝る間もないのでしょう。そんな中で一日2回の記者会見を無難にこなしつつも失言は少ない。もちろん首相とのコンビネーションもいい。強靭な意志と圧倒的な行動力があるのだが、政治家にとって特に重要な優れたカンを持っている。そのためタイミングの判断がいい。もっとも麻生政権の解散総選挙の先送りのようにその動物的なカンが大きく外れたときもあったそうですが。
そんな菅ですが「私は安倍総理を尊敬しているのです」と言っていると聞くとなぜかと思ってしまう。自分にない貴種尊崇の類?でも相互に深い信頼関係で結ばれているのは確かなようなのでこのコンビは強力です。
今、安倍政権は集団安保法制に突っ走っていますが、アメリカで調子よく約束したようにはすんなりいかない雲行きです。最後は力で押し切れると思っているのでしょうが、逆風の中、これから官邸はどう対応していくのでしょう。
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確定申告は難しい

2015-06-12 07:26:43 | Weblog
一昨年も昨年も寄付金控除があったので確定申告をしている。
一昨年は普通徴収だったのでよく見てみると住民税にその寄付金控除が反映されていなかったので、退職後で暇だったこともあり区の税務窓口へ行って問い合わせたら、確定申告の際に住民税に関する欄があってそこにも書かないといけないとのことでその場で修正申告。気が付かなかったことに恥じ入るばかりでした。
昨年は忘れずに住民税に関する欄の寄付金控除の市町村条例分に金額を記入しました。
ところで今年は今の職場の給与から住民税を特別徴収にしてあるのですが、6月になると普通徴収の通知が来る。
なんでや~と思いつつも、よくよく見ると個人年金をもらっていてその雑所得分の住民税でした。さらに明細をよく見てみると寄付金控除が市民税には反映されているのですが県民税には反映されていない。
う~ん?
市税事務所に問い合わせてみるとこれは確定申告の際に市条例分欄だけでなく県条例分欄にも金額を記入していないからとのこと。確定申告には領収書を添付しているし、寄付先も書いてあるのだから気を利かしてチェックしてくれればと思うのですが、申請主義なので余計なことはしないということか。でもそれで修正申告すると税事務所でも二度手間で余計なコストかかるんではと思うのは、こちらの言いがかりか…
仕方ないので区の税務窓口にいって県条例分を申告。
窓口は空いていてすぐに対応してくれましたが、あえて言えば受付の嘱託の人に用件を言うとこちらに座ってと言われたのですが、目の前にいる職員は何も言わずにコンピューターをかちゃかちゃ。やがて用紙を打ち出してきたのですが、座った時にいらっしゃいませとは言わないまでも(年金事務所では言いました)、いま用紙を打ち出していますとかひとこと言ってほしいですね。
修正申告はすぐにできたので、ついでに雑所得分は特別徴収にできないかと聞くとこれも確定申告の際に特別徴収という欄があるのでチェックすればいいとのこと。
あちゃ~、まだまだ書洩らしがあったということか…なんてこった、パンナコッタ。
でも普通徴収になったおかげで明細をじっくり見て県民税分に気が付いたのでよかったということか。特別徴収の通知書では計算をしないと出てこなかったので気が付かなかったと思います。なんでも通知が来たときはじっくり読んでみることですし、確定申告した結果がちゃんと反映されているか確かめるべきだと改めて思いました。。
でもやっぱり面倒くさいので今年の分も普通徴収から特別徴収に切り替えてもらいました。
今年こそ確定申告でミスがないようにしなくては。
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6月7日も「さわぐち」で

2015-06-10 07:19:10 | テニス
朝起きるとすっかり二日酔い
おまけに何故か肩が痛い。前日の激闘?の成果か酔っぱらって寝て寝違えたか…
ヤッターマンは5時に起きて散歩をしていたそうですが、こちとらは布団をかぶって7時まで寝る。
テーブルの上には前日の激闘の残骸が残り、焼酎の一升瓶は空いている。
どことなくあたりは芋焼酎臭いのです。
それでも朝食は食べなくてはとなんとか起き上がるのですが、タケちゃんマンはまだ起きようとしない。
聞くとやっぱり飲みすぎたようで、9時にはこれはいけないと薬を飲んだそうですが、時すでに遅かったみたいです。
結局前立腺はかなりパンパンになっていたみたいで、当然ながらおしっこが出ない。夜中に苦闘していたみたいでほとんど寝れなかったとか。はげ親父がもしものために自分で尿道にぶっさして出すカテーテルセットを持ってきていたのですが、さすがにそのお世話にはならなかったみたいです。
少しづつでも出つつ明け方にやっと薬が効いてきてすっきり出たみたいですが、圧倒的に睡眠不足になったようです。
でもみんなにはあまり同情はされていなかったみたいですけど…
ともあれ食欲はあまりなかったのですが何とか朝食を食べて、囲炉裏端でコーヒーをサービスしてもらって一休み。
8時30分にはみんなテニスコートに行くのですが、私はテレビを見てからと9時出勤。
肩が痛い中で乱打を少しやると疲労困憊。
それでもみんなで11時まではやろうと7人でじゃんけんして試合に。
これまた詳細は覚えていないのですが、私の結果はというと最初の試合は1:3、次の試合も1:3、それでも最後の試合は3:1で何とか1勝はできました。ボールがやたらと弾むし、コートは昨日にましてイレギュラーするので適応能力がないこちとらは散々でした。
なんだかな~
ちなみにはげ親父はこの日も全勝とはならずにいつもの成績だったと思います。
きっかり11時にはコート整備して上がりお風呂で汗を流しに。
このころにはやっと二日酔いの頭が痛いのが薄れてきました。
となると風呂上がりにはビール。すぐに残っていた缶ビール3本を飲んで、森の熊さんが瓶ビールを2本女将さんからもらってきました。
運転手のはげ親父とヤッターマンはノンアルコールビールで我慢ね。
お昼はいつものカレーライス。ここでもミニサラダをつまみに瓶ビールを1本。
こういうところを見ると森の熊さんも完全復活か
お昼を食べたら御勘定して、一人1万2千円でした。幹事の森の熊さんご苦労様でした。
12時30分過ぎには女将さんに見送られて宿を後にしました。

どうもお世話になりました。
ここから何処にも寄ることなく高蔵寺へ行くのですが、木曽川右岸道路に出るまでにはげ親父は2度道を間違えバックしたのでした。
それにしても木曽川右岸道路は立派なトンネルが長いのですが、前後を行く車も対向車もほとんどなし。費用対効果というか必要性があるのかと思ってしまいます。なんか道路行政の闇みたいなものを感じるのは私たちだけ…
まあ、道は渋滞もなくタケちゃんマンの家に2時15分過ぎには到着。私は高蔵寺2時30分の列車で帰名。お疲れさまでした~
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6月6日さわぐちの夜は更けて

2015-06-07 22:04:41 | テニス
4時過ぎには上がって、4時30分にはお風呂の用意ができていましたのでひと風呂浴びて、あ~。
夕ご飯は6時からなので風呂上がりのビールを部屋で飲みます。
ついでにというか赤ワインも飲みましょう。
そうこうしているうちに6時に。
バーベキュー会場へ移動します。本当はここでは持ち込んだ飲み物はいけないのですが、残り少なくなった赤ワインに大吟醸もイモ焼酎も持っていきます。
まあ何も飲み物を頼まないのはいけないので瓶ビールを3本。

魚(イワナ?)は焼けているのですが、後の串はこれから焼いていきます。

鶏肉ははげ親父が食べられないので串からばらして、もっぱら野菜を食べてもらう。かわいそうなので牛肉もあげました。
ビールはすぐになくなってしまい大吟醸も飲みだします。
ついでに氷をもらってきて芋焼酎も。
熱燗がいいという人もいて「中乗りさん」の銚子を2本。これは囲炉裏の灰に埋めて温める鳩型の徳利です。わかるかな…
串物をほぼ食べてしまったら最後にほう葉に包んだ寿司と焼いて食べるバナナが出てきたのですが、飲んでいる時に炭水化物の連発はちょっと無理。
ここらで場所を替えて囲炉裏へ移動。

他のお客はいないので貸し切りで囲炉裏を占拠。
以前は草刈り十字軍が団体で来て居て囲炉裏を占拠されていたこともあったのですが、今年は来週に来るそうです。
囲炉裏端で飲むお酒は煙の香りが薬味になって美味しい。
囲炉裏の横にはツキノワグマの剥製があって、その昔囲炉裏端で飲みすぎてこのクマに抱き着いて寝てしまった人がいたっけ。
わがグループも高齢者が多くなって、飲んでいるうちにそろそろ寝てしまう人がいたりして、大吟醸が無くなったこともあり囲炉裏を撤収。
部屋に戻ったのですが、芋焼酎の一刻者はまだ三分の一ぐらい残っていたので、勢いで飲んでしまうことに。

人数は7人でグダグダ飲む人が限られている中で、部屋飲みはギアが入ってきました。
あればあるだけというか結局11時前には全部飲んでしまい寝ることに。
布団は自分で敷いてシーツをつけて何とか無事寝ることができました。
まだまだ続きます。
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木曽上松の民宿「さわぐち」合宿

2015-06-07 18:42:28 | テニス
6月の第1週は森の熊さんが幹事役の恒例の木曽上松の民宿「沢口」での合宿。

ここはテニスコートを9面持っていて無料で使えます。
今回は私ははげ親父に高蔵寺で10時30分に拾ってもらう予定なので、9時30分過ぎに家を出て金山へ。ここから中央線で高蔵寺へ。10時25分に着いて待ち合わせ場所の南口へ。すでにはげ親父が待っていました。
ここから高蔵寺在住のタケちゃんマン邸へ行き、タケちゃんマンを乗せて抜け道を通って19号線へ。内津峠を越えて多治見から中央道へ。
森の熊さんは、ヤッターマンの車で長老とN獣医を乗せて10時に名東区役所集合でした。
中津川で中央道を降りるのですが、その時点でメールするとすでにヤッターマン号は南木曽とか。早い!
12時前には上松に着いたみたいで、お昼はどうするのかとメールすると駅前の食堂で食べるとのこと。我々は遅れていることだし途中のコンビニでおにぎりを買って宿へ直行することに。
折よくサークルKがあったのでトイレ休憩を兼ねておにぎりとつまみにコロッケ、ミニ串カツ、ちくわを買いました。
12時30分過ぎには「さわぐち」に到着。
早速ビールを飲み飲みお昼を食べます。
私の持参のオーストラリアの赤ワイン、はげ親父持参の大吟醸「北秋田」も出します。

タケちゃんマンはイモ焼酎「一刻者」、これは何と一升瓶です。

まあこれからテニスをやるのでひとまずは缶ビールを3本だけにしておかないと。
そのうちにヤッターマン号ご一行も到着。
身支度をしてテニスコートへ行きますが、さすがに「さわぐち」は標高690メートルとかで、ひんやりしていて、部屋の中にいるとうすら寒いぐらい。長袖を羽織らないといけないのですが、天気は快晴、日差しは強くてコートに出ると暑いくらいでした。

新緑の山がきれいです。
まずはコート整備をしてラインを自分で引かないといけません。

さっそくテニスを始めますが、クレーコートで球の弾みがどうも一定でない。加えて気圧の関係かよく飛びます。
長老はタケちゃんマンがひじを痛めていて、打ち方がどうかというので早速バックハンドの打ち方の講義。

ここからこの日は1面を使ってマンツーマンでタケちゃんマンのバックハンドのコーチをしていました。
残りの5人はじゃんけんして試合をします。
詳細は記憶があまりないのですが、とにかく出入りの激しい試合ばかりで、最初の試合は0:4の完封負け。次の試合は4:0の完封勝ち。これで調子に乗るかと思いきや次はまたも0:4の完封負け。とにかく間がありません。
それでは今度は4:0で完封の順番のはずだったのですが、そうはうまくいかずにここは2:2の引き分け。
この日は何故かはげ親父が絶好調で4:0の完封勝ちが2回に、2:2の引き分けが1回、最後は6ゲーム先取にしたのですが6:0の完封勝ち。
これは絶対近いうちに怪我をするかどうかなるでしょう。運をここで使い果たしたということでしょう。
4時過ぎには上がってひと風呂浴びることにします。
まだまだ続きます。




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熱田祭りの花火は順延

2015-06-05 22:02:34 | Weblog
毎年6月5日は熱田祭りの花火の日。
でも季節は梅雨の走りなのでいつも天気にやきもき。
この日も朝のうちこそ曇っていて雨は降っていませんでしたが、天気予報では午後からしっかり雨。
6日は晴れてくる予報なので、順延か。
花火をやる時には朝の8時30分には煙玉が上がるのですが、どうもそれらしきものが上がった気配はない。
雨は予定通り昼過ぎには降りだしてきて、夕方には結構降ってきました。
花火は順延で6日になりました。
土曜日なのでかえって良かったという人も多いかも。
でも今週は月曜日から早々とお寿司の予約がお得ですとチラシが入っていたのですが、予約した人は外れです。
花火を見ながらホテルで食事というプランの宣伝もありましたが、これも予約した人はあじゃぱ~
天気次第の行事は早い予約はギャンブルです。
ちなみに私は6日7日と木曽上松の民宿「沢口」でテニス合宿。今年は花火を見ることはできません。
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「天災から日本史を読みなおす」磯田道史

2015-06-03 22:46:12 | 
最近はテレビでもよく出ている(BS歴史館とか英雄たちの選択)ので顔も売れてきていますが、もともとは「武士の家計簿」で一躍有名になった磯田教授の最新著書です。

朝日新聞のbeに連載していたものをまとめたもので連載中から毎回読んでいました。今回あらためてまとめて読んでみて、今まであまり体系だって研究されていなかったのではと思うのですが、こういう形の歴史研究の優れた有用性を感じます。さすが、「目の付け所が磯田です」ね。

自然災害は人間の寿命とは時間的尺度が違っています。大地震は百年何百年の周期で起こります。火山の噴火なら千年に1回ということもあります。台風や高潮はもう少し頻度が高いのですが、自分が体験したことについては深く記憶が刷り込まれるのですが、先祖の言い伝えというのはなかなか伝わらないものです。
磯田先生は母が徳島で津波被害に遭った経験があることからか、武士の家計簿を書く前から震災の記録が書いてある古文書を集めていたそうですが、東日本大震災の経験からこの記録が役に立つのではないかと本格的にこのテーマに取り組んだ結果です。
それにしても平安時代から文書にした記録は残っているものです。特に江戸時代の日記の類には様々な記載があり、当時の一般人の知的水準の高さがうかがいしれます。
ところで最初の章は秀吉と二つの地震、天正地震と伏見地震について。この2回の地震はそれぞれ歴史の節目というか転換点に起こっていて、天正地震について言えば秀吉に準備万端だった徳川攻めを踏み留めさせ、たぶん結果として徳川の命脈を保たせている。
伏見地震ではその時秀吉の元にいち早くはせ参じたのは謹慎中の清正だったが、諸大名の秀吉というか豊臣家への忠誠度が露わになっている。そして震災後の処理の稚拙さと震災を顧みない更なる朝鮮出兵が豊臣政権の弱体化の端緒になるのです。
最近富士山が噴火したらというようなことが週刊誌にも出てきていますが、江戸時代の宝永噴火についてもたくさんの記述が残っています。読んでみるとその一月前には宝永地震が起こっており同時に津波も来襲している。静岡の人にとっては踏んだり蹴ったりだったわけです。
この時の宝永津波は広範囲に被害を及ぼしていて、高知や大阪にまで記録が残っている。津波がどこまで到達したかは神社とかお寺の言い伝えとして結構残っており、その記録を丹念に検討することで被害を未然に防ぐことができるかもしれません。
富士噴火の記録は江戸詰めの武士の日記にも詳細が記載されていますが、噴火による降灰は江戸の町まで飛んでいて、火山灰は12日間降ったとか。仮に現代であれば東京の都市機能はたちまちマヒしてしまうのでしょう。交通機関は軒並み止まり細かい火山灰が電子機器の隙間から入ってしまうとどうなるのか、携帯も使えなくなるとパニックです。
この時の噴火については新田次郎が「怒る富士」という小説に書いていますが、災害時における為政者の覚悟と迅速な対応について考えさせられたというのがはるか以前読んだ時の記憶です。もう一度読みかえしてみようかと思う次第です。
このところ火山の噴火が断続的にあり日本列島が活動期と言われるといつ起こるかもしれず祈るしかありません。
日本は定期的に台風が襲来するので高潮被害も侮れません。私にとっては伊勢湾台風の記憶が鮮明ですが、海抜の低いところに住宅がどんどん建っている中で何十年に一度の台風が襲来した時には果たしてどうなるのでしょうか。今は防潮堤がしっかりしているからと緊迫感が薄れているのですが、ハードでどこまでカバーできるのか難しいところです。
これら天災の記録を読んでいくと、ことに及んで多くの教訓が得られます。
まずは家族で災害時の対応をあらかじめ決めておくこと。津波が予想される場合はどこに逃げるとか、避難の際には誰が誰をサポートするとかです。
そして避難する時は時間が勝負、忘れ物(それが親であっても)があろうと自分の命より大切なものはないので取りに戻らない。
幕末の高名な儒者、藤田東湖と猪飼箕山の運命はここで正反対に分かれている。
東日本の大震災でも広島の土砂災害でも地名の由来を学び先人の記録を学んでいたならというところが多々あります。
私たちが歴史から学ぶことはまだまだたくさんあるみたいです。
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5月30日瑞穂公園テニスコートの後はいつもの

2015-06-01 07:13:12 | テニス
毎度ながらしげすしには誰もいなかったのですが、この日は4人なので奥のテーブルを占拠。
まずはビールを2本で乾杯
タケちゃんマンは席に着くとすぐにガラスの肘をアイシングします。

格好だけ見ると大リーガーの田中投手ですね。
最初にイワシの生姜煮。軟らかく煮えています。青魚が苦手のタケちゃんマンもこうやって煮てあれば大丈夫。すぐに食べてしまったので写真を撮るのを忘れていました。
ビール2本はすぐに飲んでしまい、まだ焼酎が残っていたはずなので出してもらい水割りに。
お勧めのシャコをいただきます。

家でもたまに食べるのですが、自分で殻をむくと手がべたべたになり、指を切ってしまうこともあるのですが、こうやって剝いてあるとそれだけでなぜか本当に美味しい。
ツメもついていて、食べ方を教えてもらいましたが、これは先をちょこっと取って、指で殻をつぶすと身がにょろりと出てきます。

野菜を取らないといけないのでオニオンスライスを出してもらいます。

焼酎の水割りはガンガン飲んで新しいボトルを。今度は神の河です。
そろそろ刺身もとカンパチの刺身を。

そうしたら、サービスでサーモンが出てきました。いつになく豪華なサービス品です。

サーモンを大根の桂剝きしたもので巻いてありました。
カンパチのカマ焼きもお願い。

量で圧倒されました。結構カマが残っていたのか。
ついでにアサリの酒蒸しも。これはホワイトボードには書いてなくて、この日は大浅利焼しかないのかとおかみさんに聞いてみるとできますというのでお願いします。

タケちゃんマンは家に帰るバスの都合で7時50分には帰らなければいけないのでそろそろ〆を。
太巻きと鉄火巻きとどちらにしようかと意見が分かれたのですが、大将がハーフアンドハーフでもいいというので、そうしてもらいました。

焼酎のボトルはまだ三分の一以上は残っているので次回に。

最後にデザートにオレンジが出てきました。

御勘定は約9500円で、一人2500円でおつりは基金へ入れておきました。
歩いて家に帰る途中に、どこからとなく地震警戒警報が聞こえてきました。できるだけ建物から離れて歩道を警戒しながら歩いていましたが歩いていたためか特に揺れを感じることもなく家に到着。愛知県は震度2とかでしたが家族もほとんど気が付かなかったみたいです。

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