怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

東野圭吾「沈黙のパレード」

2022-10-09 07:14:07 | 
東野圭吾のガリレオシリーズです。
最近映画化されたのですが、こういう場合読んでから見るか見てから読むか悩ましいところですが、今回は先に読んでみます。

ミステリーの場合、ネタバレになるので詳しくは書けないのですが、さわりだけを。
23年前に12歳の少女が行方不明になり4年後に奥多摩山中で白骨死体で発見された。状況証拠から蓮沼寛一が犯人とされ逮捕されたのだが完全否認して黙秘を貫く。
裁判の結果、犯行を裏付ける物的証拠がない中で自白がなく、証拠不十分で無罪。控訴審でも被告の疑いは強いとしながらも証拠不十分で無罪。無罪確定後は1千万円以上の刑事補償金と裁判費用を請求している。
さらに3年半前には蓮沼の実家が焼失し、そこから行方不明だった並木佐織の死体が発見される。他殺の疑いがあり捜査が進められる。
いろいろな状況証拠は蓮沼の犯行と思われ逮捕するのだが、ここでも直接的物的証拠がない中完全黙秘を貫き自供はない。物的証拠がないため検察は処分保留で釈放する。
全く鬼畜のごとくふるまいなのだが状況証拠だけなら如何ともしがたい。
そう言えばだいぶ以前ロス銃撃事件で三浦某が世間を騒がせたことがあったが、物的証拠はなくもちろん自白もなく有罪に持ち込む出来なかった。九州の荒木某の保険金殺人というのもあったけどこれも同様だったような記憶。
刑事コロンボだと状況証拠を重ねていく中で犯人を追い込み自白させるのだが、コロンボに出てくる犯人は裕福な人が多くそれなりに人間味があり知的レベルも高いので論理でやり込められると自白してしまうのだが、ここに出てくる蓮沼は冷酷で感情が感じられず、鉄面皮で完全黙秘を貫く。
ここで出てくるのが23年前の事件を担当していた草薙警部、今は警視庁捜査1課の係長と部下の内海薫。こうなると当然現れるのがガリレオこと湯川学。アメリカで4年間研究生活を送り、教授として帰国したばかり。
蓮沼に疑いは強く、並木佐織を愛していた両親をはじめとした関係者は蓮沼殺害を計画。ネタバレ「オリエント急行殺人事件」みたいですが、自室で蓮沼は死んでいるのを発見されるのですが、事件かどうかも不明。ガリレオの推理もあって殺人事件として捜査が始まるのですが、そこからのなぞ解きはネタバレになるので自分で読んでください。
まあ、東野圭吾作品ですので、推理も二転三転、事件解決かと思いきやさらにどんでん返しがあります。ガリレオの推理で真相にたどり着くのですが、後味はほろ苦いものです。ガリレオシリーズの「容疑者Xの献身」、加賀恭一郎シリーズの「祈りの幕が下りる時」と同様に、愛憎が混とんとする中で生きていく切なさがあふれています。
幾らなんでもガリレオが事件に首を突っ込みすぎで、積極的に容疑者たちに接触して話を聞き、草薙も簡単に捜査状況を教えすぎというのはちょっと気になりますけど、そうしないと真相にはたどり着かないし、話は進まないからね。
それにしてもこの複雑な謎解き、読んでしまうと誰かに教えてしまいたくなるのですが、じっと我慢。書きたいんだけどな~
テレビや映画を見ているので、どうしてもガリレオは福山雅治の、内海薫は柴咲コウの、草薙は北村一輝のイメージが焼き付いていて、読んでいても頭に浮かんでくる姿と話し方は福山となってしまいます。
これを映画観てから読んだとしたら、どんな印象になったのでしょうか.。ところで映画の展開は小説と同じなんでしょうか。
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中野信子「嫌い!の運用」

2022-10-05 10:12:44 | 
最近テレビのコメンテータとして出まくっている中野信子さん。
本も次から次へと出していて、どれも売れ行きはいいみたい。図書館で予約するとだいぶ待たされてしまいます。
それでもこの本はちょっと前(2020年12月)の出版なのでか、待つことなくすぐ借りることが出来ました。

幼い頃から食べ物の好き嫌いはなくすようにと言われ、人には好かれるよう、嫌われないようにしなさいと言われてきた気がします。
それでも偏食でよく無理やり食べさせられた記憶があります。まあ、歳をとってきて最近では出されたものは皆食べるようにしていますけど、それは年齢だけでなくて食物の品種改良が進んで、独特の臭みとかえぐみのあるものが出回らなくなったせいかもしれません。
仕事をしている時は、本人的には嫌われないようにとそれなりに気を使い、いろいろな人が何となく集まってくる人は、人望があり仕事ができる人なんだろうなと思っていて、自分も人が寄ってくるような人にならなくてはと思っていました。
それでもどうもケミストリーが合わないというか嫌いな人というのは厳然としてあり、そういう人が上司にいると顔を合わせるのも気が滅入ってしまうものでした。
でもどうやら「嫌い」という感情は、努力によってどうにかなるものではなく消し去ることのできないものであって、ちゃんと「嫌い」という感情には意味があり役割があるみたいです。
「嫌い」という感情の中には、脳が感じる自分にとっての不快、不安、不振、違和感があり、その先には危険、恐怖、不利益、有害がある。「嫌い」という感情は、根拠のないネガティブな感情ではなく、蓄積された情報から、脳が合理性を持って判断している結果としての心の声だというのです。それは自身の経験でなくても仲間や遠い先祖などの危険、恐怖の経験が、世代を重ねて記憶や機能として蓄積された結果(人が蛇に対する敏感反応は進化の過程で培われた生得的なシステム)と言われると警告としての「嫌い」という感情は大切にしなければいけないみたいです。
ただ、日本という国は同調圧力が強く、組織集団の利益を優先すべきとの社会通念が強い。自分の感情を露にすることは大人のふるまいでないと押さえつけられがち。
でも日本でも世界でも、成功している人の多くは「嫌い」という直感を大切にして、経営なりビジネスに生かしている。
この本では「嫌い」という感情がどういうふうに形成されるのかを脳科学的に明らかにしている。詳細は読んでみてください。
因みに思春期の女性が父親を避けたり臭いに敏感に反応して嫌悪感を露にするようになるのは「偏桃体」が反応して本能的に嫌いになっている為とか。これは遺伝子が近い男性を遠ざけるごく自然な生理的反応で、いわばセキュリティシステムの一つだそうです。
それでは「嫌い」という感情をどう運用すればいいのか。
第3章からは戦略的運用術とか嫌いな人との付き合い方、家族に対する嫌悪感、自己嫌悪への向き合い方とが縷々述べてあります。
「嫌い」という直感を大切にして無駄な努力を惜しみ、必要な努力に注力すべきというのはよく分かるのですが、組織の中で働いていると嫌な仕事でも嫌ということが出来るわけでもなく、逃げることも出来ないことはままあります。誰もが嫌がることからうまく逃げのびて立ち回る人はたくさん知っていて、上手く逃げのびて世渡りが上手い人もたくさん見てきましたが自分的には軽蔑の対象でしかなく、分かっていながら自らあえて嫌なことに突っ込んでしまう馬鹿さが自分にはあるんですが、それはそれで愛おしいので厄介なものです。
ケミストリーの合わない嫌いな人とはなるべくお近づきにならないようにしたいのですが、それも組織の中では否応なく一緒になる時がある。こちらが嫌いな時は往々にして向こうも嫌っているのですが、それが上司だったりするとじっと人事異動があるのを待って我慢するしかない…じっと我慢していればいいのですが、ぶつかったりしてどれだけ損をしたことか。
リスクを回避するためには何故嫌なのか冷静に分析して、上手く転化できればいいのですが、それは分かっちゃいるけど…
最後の第7章は嫌いなことの向き合い方として、具体的詳細に対処方法が書いてあります。それぞれいろいろ大人の事情があって、すべてうまくできるかは分かりませんが、自分に合った出来そうなことを一つでも出来れば、気持ちが少し軽くなるかもしれません。
もっとも今はリタイアして身ですので、あまり嫌なことは近づかないしやろうともしないので、現役時代にそれができればよかったのですがままならずに、いまだ嫌な記憶は思い出される時があって私はネガティブな性格なんでしょう。
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10月2日薄暮の千代田橋緑地テニスコート

2022-10-03 14:31:38 | テニス
この日は千代田橋緑地テニスコートで17時からの薄暮の予約なのですが、日没は17時30分。
曇りの時などは早くも17時には薄暗くなるので、日没までの30分勝負に。でも前の区分は16時30分なので早めにできれば1時間はできるかも。
と言うことで早めに家を出て地下鉄西高蔵から茶屋ヶ坂へ。
西高蔵だと茶屋ヶ坂は環状線のちょうど中間で右回りでも左回りでもほぼ30分で変わらない。

15時50分ごろに茶屋ヶ坂の駅に着いたのですが、思えばこの駅は環状線開通以来通り過ぎたことはあっても降りるのは初めての利用。
改札を出て、じっくり案内板を見て方角を確認しないとどちらへ行っていいか分からない。

ところが1番出口を出ると階段をぐるぐる回っているので方角が分からなくなる。
西に傾いている太陽を確認して、北へ行けば矢田川の土手にぶつかるはずだからと歩いて行きます。でも真っすぐな道がなくて試行錯誤しながら川にぶつかるようにと歩きます。
ようやく河川敷に出て千代田橋緑地なのですが、川沿いに緑地は長く続いていて目の前は野球場ばかり。緑地施設の案内板がなくテニスコートの場所が分からない。

はるか以前に利用したことがあって、確か上流の方だったと歩いて行くと何となく木が茂っていてそれらしいところにやっとたどり着きました。
この日はBコートなのですが、16時にはコートは空いてていたそうで既にエビちゃん夫妻はひと汗流したとか。はげ親父と合わせて4人揃いました。
16時15分現在では日は傾いていてもまだまだ明るい。

早速暗くなる前に手短に練習してしまいましょう。
一通りやったらじゃんけんして試合に。
最初はエビちゃんママと組んではげ親父、エビちゃん組と対戦。ここは調子よく3ゲーム先取して、最後のゲームもこの勢いでとはいかずに3:1、でも幸先いい勝利です。
休んでいるとはげ親父は毎度ながらビールを出してくれます。

次の試合ははげ親父と組んでエビちゃん夫妻との対戦。ここはエビちゃん夫妻の声はかけあっているのですがイマイチ連携の悪さが出て、3:1で勝利。
ビールがすすみます。この日は500缶1本に350缶1本。因みにいつもは飲むエビちゃんはママが免許証を忘れたとかで運転しなけれなば行けないので飲めず
次の試合はエビちゃんと組んではげ親父、エビちゃんママ組と対戦。この時点では、日がかなり傾きちょっと薄暗くなってきました。
ビールを飲んでいる私とはげ親父は動態視力も落ちてミスを重ねるのですが、私の方が飲む量が少なかったのか3:1で勝利。
かなり薄暗くなったですが、まだできると最後の試合は最初に戻ってエビちゃんママと組んではげ親父、エビちゃん組と対戦。休みもあまりなくて連続での試合で疲れも出て来てビールの酔いも回り目も見えなくなった(言い訳ばかりですが条件は同じか)のか、最後はミスで1:3の負け。
終わりよければとなりませんでしたが、薄暮でどれだけできるか危惧していましたが何とか4試合出来ました。お疲れ様です。

17時30分過ぎの空に様子はこんな具合です。日は沈んでいますが、まだ薄明かりは残っています。
帰りは地下鉄に30分乗るのは気が滅入るので大曾根に出てそこからJRで金山へ。
金山からは熱田イオンに行き、フードコートの「いきなりステーキ」で夕食。

イチボステーキ150グラムに、サラダ、スープ、ご飯をつけてハイボールを1杯。1838円でしたが、ご飯はつけなくてもよかったか。
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小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」

2022-10-01 09:41:32 | 
先日残念なことに逝去された小田嶋隆さん。1956年生まれなので私より2歳若い。まだまだこれからという年齢なのに早すぎる…
いつも日経ビジネスオンラインの記事を愛読していたのですが、この本はその連載記事から27本のコラムを選んだもの。

2015年から2019年までのコラムですが、多くがオリンピックと安倍政権の政権運営に対するもの。
小田嶋さんはツイッターで発信を頻繁にしていて、それに対してご多分に漏れず、リツィートとかいいねとか罵倒の書き込みが来て、そのこと自体も話題にして原稿の枚数稼ぎにしている?のですが、炎上も楽しんでいる感じ。匿名の意味不明の罵詈雑言は無視すればいいと思うのですが、冷静にいいね数と比較すれば世間の反応も分かるということ。実際いいねと思った人は書き込みなどしなくて、せいぜいリツィートするぐらいですか。
年代に従って読んでいくと如何に安倍政権が酷い政権運営をしていたのか改めて思い知らされます。
丁度安倍元首相の国葬でもめている時期ですが、敵と味方を峻別して味方には甘く、敵と思う相手には徹底して叩くという姿勢は、世論が割れてしまうのもむべなるかなと感じる次第。選出母体はともかく為政者として国を動かす時には国全体の利益を考え敵と思われる意見も取り入れていく度量が必要と思うのですが、今の政治家にそれを求めるのは無理なのか。
最初は2015年でオリンピックの国立競技場建設問題とかどんどん膨らむ予算問題なのですが、今となってはそんな話もあったのかと随分以前の問題に思えます。それにしても計画の無責任体制と言うか、誰が意思決定してどこで決めたのかが判然としないまま決まり、詳細な説明もないまま、設計をやり直す羽目になるとか予算が大きく膨らんで国と都と組織委員会で押し付けあうことになったのか、そのことについてだれが責任を取ったのでしょう?今となっては、国にもいろいろ物申した当時知事だったあの舛添さんがいたってまともに思えます。舛添さんは自分のせこさで自滅したのですが、知事にとどまってそのせこさを発揮できたら経費はずいぶん安く済んだかも。たぶん森さんには嫌われますけどね。
その頃から安倍さんは「責任」という言葉を使い分けていて、「過去の失敗についての責任」についてはどうもうやむやにしているのに対して、「これから実施する計画を誰の名において推進しるのか」という意味の責任(権限と言ってもいいのだろう)を使う時には、雄弁に全権委任を求めている。いろいろな不祥事などで責任は私にあると言うこともあっても具体的に自分自身責任を取ったことはあまりないように感じるのだけど、記憶にないだけ?
そこから時系列を追って安倍政治をフォローしていくのですが、森友問題や、加計学園問題、桜を見る会の問題を見て行くと、どうしてこんなに政権に忖度して官僚が劣化してしまったのか呆然としてしまいます。突然のごとく今までの見解を変えて、牽強付会の解釈がされ、行政文書が平気で改ざんされ廃棄され、虚偽の答弁がされる…
人事権を手にした為政者が行政を押さえつけて、忠誠を誓うイエスマンで固め、議会制民主主義を軽視して、国を自分の好きなように動かしていく。この渾然たる時代にはある程度独裁的な手法が必要と言うことかもしれませんが、未来に対しては大きな禍根を残す前例になったのではないでしょうか。
安倍政治とは何だったのか、一度きちんと振り返ってみるためにも読むことが必要でしょう。
もちろん内政だけではなく、小田嶋の専門外なのか触れられていませんけど、経済のアベノミクス、地球を俯瞰する外交はどうなんだという議論もあるのでしょうけど、日本が世界経済に深く組み込まれ国際情勢のただなかで日本だけではままならぬことばかりなのですけど、アベノミクスは当初目論んでいた成果は尻つぼみになり、やってる感をだすばかりで目先を次々変えていた。地球を俯瞰する外交も具体的成果は何だっただろう。これもやってる感はあったんですけど、ロシアとの外交はプーチンにいいように振り回されただけ、韓国とは戦後最悪と言われ、アメリカとの蜜月もトランプと共に去りぬ…
それにしても小田嶋さんが生きていれば、今回の国葬、オリンピックの贈収賄についてどういう発言をしているのか、聞いてみたかったなあ。
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